第83話 豊後人がみた肥前
だまされた。
肥前守護代(守護の代理)に任命された一万田は有明海を見ながら途方に暮れていた。
肥前に赴任してから1月警戒した一万田親子は最初
「ついに、一国の主となったぞ!あの青二才も中々人を見る目があるではないか!!」
と有頂天になっていたにもかかわらず。である。
島原半島にそびえたつ雲仙岳のように興奮していた気分は次第に薄れていくのを実感していった。
まず、この国は非常に交通の便が悪い。
それは未開の土地というわけではなく地理的に遠いのだ。
上手くいえないが、遠い将来長崎と佐賀という二つの行政区域となるべきものが一つの国に纏められたかのような感じである。
自分が拠点としている島原ですら雲仙岳という天然の要害に阻まれて反対側に向かうのに時間がかかる。
海を隔てた佐賀へ行くには大きく湾曲した有明湾を迂回しなければならず、さらに北へ行くには岩屋山などの山々を越えなければならない。
「まるで豊後国を南北逆にしたようじゃ」
と島原を国東半島に見立てた一万田は思った。
だが、問題は地理より人だった。
豊後の領主は何だかんだと文句を言いながらも大友家という300年以上続いた家に従っている。
日田・玖珠・国東は放任に近いとはいえ積極的に反乱を起こそうとしておらず、比較的平和だといえるだろう。
だが、肥前はそうではなかった。
先ず、滅んだ党首に好意的かそうでないかで小領主が小競り合いを繰り返しているようだ。
今回の提案を持ちこんだ、肥前で一番勢力を持ち土地の代表面をしていた有馬氏だが、その権力は長崎北部の松浦や佐賀にまでは及んでいない。
あちらは神代・八戸・龍造寺・小野などの豪族が時に協力し、時に争っており、どこに肩入れすべきか皆目見当がつかない。
変に味方をすれば数珠つなぎで敵が現れるので関わりたくないのが本音である。
おまけに当主の権力が弱い大村氏(のちに日本初のキリシタン大名となる長崎中部領主)では1538年から家臣や親族の意見によって嫡男を佐賀の後藤家に養子という形で追い出し、権力者の有馬氏から養子をもらって1550年に家を継がせている。
下が上に意見を言って通す。
武力を使わない下克上だ。
権力者の一族を当主に迎えたのは肥前統一のためかというとそうではない。
大村領自体は大村氏の庶家や家臣が政治を行い新当主は都合が悪くない場合だけ従う傀儡政治を望んでいるらしい。
「父上。これでは新当主は家臣に不満を持ち、いずれ対立するのは目に見えておりますぞ」
と息子の親宗が言う。
「ああ、それに養子に行ったとは言え後藤の養子は大村が本領地。先祖の土地を家臣たちに好き勝手に動かされるのは我慢ができまい。これは一波乱くるぞ」
と言った。
なお一万田には、有馬から大村に養子に出された男が、将来大村家の位牌を焼き捨てる光景が幻覚でみえたのだが、まさか他人の家の先祖を踏みにじるような行為など他の宗教にでも入らない限り日本人ならするわけがないので、疲れすぎで夢でも見たのだろうと思う事にした。
そんなことをすれば家臣だけでなく後藤家に行った養子が殴り込んでくることはまちがいない。
そんな事、余程の財宝などで釣られなければ出来るはずもないのである。
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たった一月でも肥前にはこれほどの問題が山積みされていることが判明した。豊後の統治がノーマルモード、薩摩がハードモードだとすれば、肥前は明らかに難易度が高い。
「…タヌキめ」
あのクソガキ…もとい、大友五郎義鎮が何故自分たちをこの土地の守護代にしたのか分かった気がする。
非常にやっかいな紛争地帯の仲裁を押しつけやがったのである。
「大変だとは思うがお主ならできる」と出立前に言われたが、あれは社交辞令ではなく『大変』に重きが置かれた言葉だったのだろう。
まんまとだまされた。
一度就任したからには放り出すなど名誉にかけてできない。
大変でもやらなければ一生わらいものである。
統一までに何年…いや十何年かかるだろうか?どちらにせよ大友家への謀反などこの土地では自分主体でおこせそうにない。
がっぷりと四つに組んで仕事をするしかないのである。
そのような覚悟をしながらも、一万田は怒りを押さえられず
「地獄に堕ちろ!!!あんの腐れ外道が!!!!」
と遠い豊後に向かって大友家唯一の守護代は叫んだ。
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筆者もアジ●開発という会社にだまされて300万円ほど金を失いました。
会社を建て直すために奮闘するはずの会社役員が株を格安で買って大量売却するような外道とは思いませんでした。中国系経営者はやる事がエグイ。
世の中は金持ちが勝って欲をかいた貧乏人は養分となるという地獄絵図をカラダ●ートって会社で見ていたのですが、自分がその当事者になるとは想像もしてませんでした。
さて今回の話ですが、織田信長が岐阜攻略に10年以上かかったことを考えると、それ位の時間は必要だと思いました。
長崎は陸地は少ないですが島が多く、それら全てを統括するには膨大な時間がかかるでしょう。まあ一万田父も処刑エンドは免れたし、実際に国主になるとどれだけ大変か分かったと思うので、ある意味ハッピーエンドかと思います。
…龍造寺の動きによりますが。
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