第2章 戦国文化破壊の準備 ~まだ戦争なんてやってるの?~
第51話 ~入田丹後を憶えていますか?~
いままでチマチマと基礎研究的なお話をしていましたが、これからは本格的に戦国文化を破壊していく過程を中心に書いていきます。
1551年9月の大内義隆討伐までにどこまで下準備できるか考えてましたが、物語的にダレますし、そろそろ宗麟を歴史の表舞台に引きずり出して行こうと思います。
「時間を飛ばせば後出していろんな研究を使えるんじゃね?」と気がついたのは多分関係ないです。
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~入田丹後を憶えていますか?~
1550年2月10日の『2階崩れの変』で「今回の事の根源は入田親子の悪行ゆえ(訳;今回の事件は入田がぜーんぶ悪い)」と書かれた大友家の家老。
入田丹後は4カ月にわたる長い航海を終えて東南アジアのタイに到着していた。
この間の生活は非常に大変で、種子島から季節風を待って台湾から当時中国領だったマカオに漂流したかのような姿で到着したのである。
皮膚は太陽で健康的に焼け、褐色になった目には権力闘争に明け暮れていたような凄惨さはない。
慣れない南国の食糧でぜい肉がそげ、ストレスで目つきは暗くなっている上に頭髪がだいぶ後退しているが、まあ生きているから健康なのである。
途中、倭寇に襲われ死にかけたり、その時タイミング良く台風が現れて九死に一生を得たものの、今度は想像以上の暴風に巻き込まれ、海の藻屑になりかけたり、五郎(宗麟)から「海の上で7日おきに食べるように」と言われていた果実を食べなかった乗組員の手足が黒く腐りかけたりと(壊血病です)3回位死にそうな目に遭った。
それでも何とか生きてこれたのは、最後に遭った娘の顔だった。
戸次の家に嫁いだ娘。本来なら離縁されて追放されてもおかしくない状況でも、あの若い当主は罪を許し、このような『死んだ方がマシ』と思える船旅を命じたのだ。
「……………………」
素直に喜べないのだが、まあ娘が不幸になってないのは幸福である。
早く日本に帰りたい。
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入田がタイに派遣されたのは鉛の鉱山から鉱物資源を買うためである。
そして、南蛮の珍しい品々や植物の種を可能な限り集めて欲しいと言う事だった。そのために豊後特産の硫黄(黒色火薬の材料)と日本刀(中国人の倭寇が愛用した切れ味抜群の刀。中国の警備隊の大敵)を満載してここまで来たのである。
そのせいでマカオの海岸警備をしていた中国役人から国内を攻めに来た武器商人と勘違いされて捕まりそうになったのは良い思い出である。
「父上、帰国したら若君の玉体に、一撃くらいくらわしてやりましょう」とすっかり目つきの悪くなった息子から提案されたのも無理はない。
あの、のほほんとした顔でとんでもない地獄に叩きこんだあのツラを一撃ぶん殴りたい。そんな思いもあって今まで生きてこれたのだ。娘の顔の次に。
「まあ、日本に帰るにしても来年の話になるじゃろうなぁ…」
実質的な流刑地で入田は嘆息する。
遠洋航海が風の力で行われていた時代。日本と東南アジアの航海は季節風の力を借りる。冬の北風に夏の南風である。
タイには6月に着いたが、必要な商品をそろえていると夏は過ぎ去り秋も終わろうとしていた。
言語の壁は入田は早めにクリアしていた。 船でやる事が無かったので船長から中国語を学んでいたのである。
ザビエルと同行していた薩摩の通訳、アンジロウがポルトガル語の習得に数年を要したのを考えると驚異的なスピードである。
元々大友家の家老を20年近く務めた出来る男。2カ月にわたる現地学習もあってたどたどしいながらも「鉛を下さい」「高すぎます。まけてください」「それなら余所の店にいきます」「この刀の切れ味をここで試してもよろしいでしょうか?」などの言葉を駆使できるようになっていた。
それでも、夏は過ぎ日本に帰る時期は終わってしまった。
現地の農家の手伝いをしながら栽培方法を学んで作物の種を増やしたり、日本武術の見世物でお金を稼ぎながら南風が来るのをまたなければいけないのである。
余談だが大友宗麟は1556年に弟の大内義長に誘われて日明貿易を行ったのだが、義長が大内家の当主として認められず、倭寇の頭目、王直との関係も疑われて船を焼かれた事があった。
結局、中国で船を作りなおして日本に帰ったそうなのだが、その間の生活費をどうやって稼いだのかは分かっていないのだが、頑張れば外国でも生きていける当時の日本人のたくましさを感じられる話である。
中国の沿岸を通って朝鮮半島から帰る手もある事にはあるが、中国の海洋警備隊からは船をしっかりと憶えられているので危険すぎる。
こうして海と言う牢獄に隔てられ、あと半年は滞在しないといけない身としては日本への思いは募るばかりであった。
この知り合いもいない土地で「入田どのではございませぬか」生きていくのは大変だ。
聞こえるはずのない日本語を聞いて振り向くと、そこには大友家家老 臼杵鑑続が立っていた。
「何故、ここにいる?」
ここは日本の府内ではなくアユタヤ王朝国である。
入田は幽霊かと思って足を見る。
臼杵は1551年頃には亡くなっている武将だったりするので死んでいる可能性もあるのだが、日に焼けた褐色肌の幽霊と言うのは珍しいだろう。
「何故、ここにいる?」
再び疑問を口にする。
「船で来ました」
あっさりと臼杵は言う。
牢獄に入れられたような地獄の日々で服はボロボロ。体はガタガタ。そんな悪夢の日々を越えたはずの臼杵の恰好は小ざっぱりしていた。
あの4カ月にわたる地獄の日々を簡単に言う鑑続に入田親子は驚愕の表情を浮かべていると臼杵は職場でのストレスから解放されたようなスッキリした顔でにこやかに話しだす。
「いやあ、五郎さまがあれから『じょうききかん』というカラクリを考えましてな。十隻ほど『りょうさん』というものをしたうちの一つを賜りまして、数回の練習でここまで来れたのです」
信じられない。いったいどんなチートコードを使えばあの悪夢の日々をこのような楽勝モードな顔で到達できるのだろうか?(日本語がおかしいですが、入田の頭がバグっているので笑って流して下さい)
そういえば、先ほどから市場がやけに騒がしい。
「火事の船が来た」とか「鉄が海に浮かんでいる」とか、宗教家のデタラメのような言葉を叫んでいる子供がいたが、あえて無視していたのだが…
「ああ、せっかくなので集めた品物と、当座の金を交換いたしませぬか?」
そういって案内された港には海上要塞のような、巨大な船がそびえていた。
「これは真★春日丸と言いましてな。鉄でできており『すくりゅう』なるもので海を縦横無尽に動ける優れものでございます」
日本語なのに全く意味がわからない。
日々の生活に疲れた入田にはこれが全て異国で見た幻覚に思えた。
漕ぎ手も入らない船。車輪でも付いているかのように走る船。自分がどこにいるか分かる「らしんばん」なる装置。
ああ、そうかこれは日本に帰りたすぎる自分が見た幻だ。目が覚めたらぼろ舟の中で生活費に困窮するしみったれた日常が始まるにちがいない。
「信じられないのも無理はないですが、全部現実ですから」
幻覚がなんかしゃべっている。
ならば、もう少しだけ夢を見ようか。
「では、この「じょーききかん」とやらで出来た船はここまで何日かかるのかの?」
自分が生みだした願望なら1日で帰れるだろう。
幻覚でも良いから藁ぶき屋根と木材建築物のある日本に帰りたかった。
さあ、どんなデタラメでも聞いてやろう。
「5日です」
「5日ーーーーっ!!!!」
ふざけんな、ここまで来るのにどれだけ苦労したと思ってんだ。水に苦労して風が弱くなれば海原に立ち往生する孤独と不安の4カ月がたったの5日?
魂が抜けたように入田は「…5日…5日…あの地獄の距離がたったの5日…」
とつぶやいていた。
その後ろで臼杵とその家臣たちは入田の船に、別府の金山から発掘された金や食料を積みこみ、その代わりに鉛やコショウなどの香辛料。欧州を経由した新大陸の唐辛子、ココア、トマト、カボチャ、七面鳥、コーヒー、トウモロコシなどを船に積み込んでいった。
何とかに包丁どころか、ダイナマイトを手に入れた瞬間である。
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本当は入田の航海日記とか途中でやりたかったのですが、この頃の中国の様子とか船の話とかを正確に描写するのは不可能と思い、このように結果だけ書きました。
決して「九州治乱記の翻訳してたら忙しくて入田の存在を忘れてた」わけではありません。
なおブラタモリでも語られてましたが、別府の楽天地付近には金山があったそうです。もしも戦国大友を発展させたいなら貴重な資金源となるでしょう。
1595年くらいから火山活動が活発になって被災する運命にありますが…
なお金を小遣い稼ぎに掘り出したかったのですが、入口がどこかわからず断念しました。
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