第48話 豊後の怪物 原大隅守

 みなさんは川岸にある一枚岩を見たことがあるだろうか?

 実は岩にも色々あって宝石のように硬さも違っている。

 これはマグマによって溶かされた岩がどの段階で固まったかによって硬度がかわるらしい。

 花崗閃緑岩という岩はマグマが地下深くで固まってできた岩石(深成岩)で、数mm程度の石英、長石という非常に硬い鉱物からできている。

 どれくらい硬い岩かと言うと、硬度7――ダイヤモンドより3つ下の硬さで翡翠・アメジスト・クオーツ・ガーネットなどと同じ硬さらしい。

「まあ、そんな硬い岩は重量も重たいので、ふつうは地中の奥底に眠っているですけどね」と考古学方面にも手を出したさねえもんが言う。

 だが、大陸間プレートという大きな固まりがぶつかったりすると底にあった岩盤が地表に押し上げられ、上の土は雨や川水で流されることで地表に露出することがある。

 流れの激しい川でも削られずに残っている地面はそんな硬い岩である事が多いらしい。

 この花崗閃緑岩が能島を構成する主な岩である。

 つまり硬い。


 むっちゃ硬い。


 これが能島を構成する岩石だという。

「昔みた写真を思い出すと、この能島の船の係留所も堅い岩盤に穴を掘って杭を打っているみたいですね」岩礁ピットと呼ばれる直径10cm程度の穴があるのだという。

「そこは大砲の弾でも壊すのは難しいだろうなぁ」

「そうですね」

 だが、花崗岩は風雨や並に弱い。

 風化を受けた花崗岩はもろく、ハンマーで叩けばすぐ崩れてバラバラになり、一部は砂質土状に変質する。これを「真砂土(まさど)」という。

 建築の地質調査をしたとき、そのもろさは体験済みだ。

 西日本集中豪雨で大規模な土砂崩れを起こした土地は、この真砂土が原因だった。

 大分県津久見も真砂土が多く、土砂崩れを起こしている。筆者も実地で体験し、滑り落ちそうになった事があるのでしつこく覚えている。

 こちらなら大砲の弾でいちころだ。なので


「やれ」


 俺の号令で将来の大砲職人、渡辺宗覚君が臼砲に点火する。

 次の瞬間、岬の中段に玉がめり込み、岬に穴を空けて海に落ちた。

 連鎖的に上の岩および真砂土が崩れていく。

「ああ!岬が!」

 という能島住民の悲鳴が望遠鏡を通して口の動きでわかる。

 高崎山相手に練習した成果がここで出た。

「うーん、着弾点が少し外側すぎたな」

「でも岩盤にひびが入りましたし、もう一発当たれば岬を崩せますよ」と環境破壊慣れした渡辺君が言う。

自然破壊をしてるのにケロッとした顔をするとは末恐ろしい少年である。命令している奴の顔が見てみたいものだ。

「よし、では右に2度ずらして砲撃だ。人はいないな」

 望遠鏡をのぞきながら無慈悲に宗麟は言う。

「何他人事みたいに語っているんですか」

 隣でツッコミが入ったが気にしない。

「それでは…」

 砂浜には多くの野次馬が集まっている。彼ら全員が島を破壊する兵器の生き証人となるだろう。そこへ目付役として同乗したベッキーが

「あの…五郎様。なんか恰幅のよい男が何か叫んでいるようですが」

 見れば6尺(180cm)はありそうな謎の村上武吉(推定)が叫んでいるが気にしない。

『武士道とはなめられたら殺す。(byキラーエイプ(ヤングチャン●オンコミック)の毛利元就)』なのだ。

 島の主の抗議は見えなかった。僕悪くない。

 聴衆の注目があつまるのを見計らって、俺は腕を頭上にかかげ


「やれ」


 大きく降りおろした。


 無慈悲な第二弾が発射される。

 下の支えを失った岬は不自然な形でその形を保っていたが、やがて重量に耐えかね滝の様な轟音を上げて海に墜落して行く。

 こうして能島の岬は崩れ落ちた。


 数分後、能島の砂浜にはありったけの旗が差し込まれていた。

 こうして我々は抵抗もなく能島の上陸に成功したのである。

(潮見表で安全な時間を見はからっています。素人は真似しないでください)

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「化け物が港に来た」


 能島に上陸した一段を見て能島の漁師はそう回想した。

 虎の毛皮を上着に使い、真っ赤な上下に身を包んだ恐ろしい鬼面の集団が上陸してきたからだ。

 そして、後ろには20人のみたことのない黒鎧で固めた従者たち。

「地獄の獄卒がやって来た…」と村上武吉は平伏しながら思ったという。


 何故、由緒ある大友家の一団がこのようなコスプレをしているのか?

 人間は訳の分からないモノを恐れる。

 武吉の部下は気の荒い漁師だし、常に生死の境にいる生活をしているから死は恐ろしいが身近な存在である。

 だが、5町(500m)先から矢文を送ったり、島の一部を吹っ飛ばしたりするような人知を越えた化け物とは縁が遠かった。

 そしてそこから降りてきたのは見たこともない奇抜なファッションの化け物である。

 特に片腕に100kgはありそうな石臼を担いで平気で立っている男を見て島の男は衝撃を受けた。力持ちはこの島では見たこともなかった。

 非戦闘員は腰を抜かすし、戦いに慣れた者でも戦意を喪失した。

「逆らえばその場で上半身くらい素手でちぎりとばされる」

 それくらいの威圧間を感じたのである。

 なぜここまで奇抜な恰好をしたのか?話は数日前にさかのぼる。


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「プロレスラーの真似をしろ?」

 能島に行く前に宗麟はさねえもんから提案された。

「海の住人って気が荒くて仲間意識は強いけど頑固者が多いんですよね。豊後では」

 なので、第一印象で逆らえないほどのインパクトを与えた方が良いのだと言う。

「それは平成時代の漁師だからじゃないのか?」

「いえ、漁師って船から落ちたら死ぬし、乗組員の一人が変なことをしたら船が沈んで全員死ぬし『生き残るための哲学』ってのを一人一人がもっているんですよ。少なくとも黒島の漁師さんはそうでした」

 なるほど。普段から1歩間違えたら死ぬという環境にいると思考方法も変わるものなのか。

「おまけに大分の場合、大工さんは7時仕事始め、4時終わりっていう江戸時代の伝統が色濃く残っているから漁師の生活様式もそこまで変わっているとは考えにくいんですよ」

 朝の3時に起きて漁に出ると、昼には魚がいなくなるので2時には市場に卸す。

 魚を中心とした生活は昔と同じものらしい。

 ただ黒島だけは6時置きの3時終わりで、自然と密着した生活様式になっている。

「おまけに漁はその日の運。海の恵みは神頼みですし、台風とか高波が来れば大海の上の船なんて木の葉も同然。人間なんて蟻以下の存在でしかないことを嫌と言うほど知ってるので神にすがって少しでも生還率をあげようとする…つまり信仰心が強いんですよ」

 そうえいば建築も地鎮祭とか井戸埋めには神主さんを呼んで神様を鎮めてもらうな。

 地盤沈下とか地震とか大雨みたいな災害を防ぐには神様にすがるしかない。

 漁師町の国東では集落ごとに変わったお祭りが催され鬼面祭とかケベス祭りが行われる。

 また大分の文化財でも記録されているが臼杵~佐伯の漁師は旅の神である金比羅様が船にまつられ正月おきに神体を家にお迎えしておもてなしをする。

「と、いうわけで人間の言うことなら聞かないけど神様とか仏様の言うことなら聞くと思うんですよ」

「なるほど」


「というわけで、五郎様たちには神様の弟子になってもらいます」

「うんうん……え?」

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 というわけで前田慶治も真っ青な奇抜なファッションで対峙してみたのである。

 さらに原大隅守という怪力を今回従軍させたのだが、その効果は絶大だった。

 常人離れした怪力で誰もが人間とは思わず鬼神だと信じたいのである。


 原大隅守というのは史書では名前が出てこない人間である。

 だが大友興廃記という本の9巻には彼の業績が書かれているという。

 その本に曰く。

 ●1挺16人で運んだ南蛮國の石火矢(大砲。最低70kgはある)を肩に乗せ庭を3度回った。

 ●自然石の大きな手水鉢の位置を直させたが一杯ある水はこぼれなかった。

 (※御影石の石臼が直径 約48φ 高さ 25cmで約58kgです)

 ●(大野郡)三重の市であぶれ者が200対150で双方抜刀し斬り合っていた所に原が用事で立ち寄り、柄1丈(3m)、刃は六尺(180cm)の大長刀の石付を片手に「ここに大隅という者がいるぞ!あぶれ者どもにこの様な狼藉はさせん!いざ物見せん」と200人を追いちらした。

 残った者も「あれは屋形様の身内、大力の大隅殿ぞ」と逃げ出し喧嘩を収めた。

 ●上方から雷、稲妻、大嵐、辻風という相撲取りが府内に来て勧進相撲をしたが、雷が脅かそうと鹿の角をつまんで砕いたら、原大隅は竹を一節ずつつまんで潰し、両端をくっつけて土俵としたので「諸国を修行したがこのような力は見たことがない」と雷も辻風も驚き負けを認めた。(大友興廃記の翻訳と検証P78より意訳)


 ゴリラ顔負けの化けものであった。

 

 そんなゴリラを越えたゴリラが、デモンストレーションとして臼砲に使った石臼に酒を注いで、盃から飲むように一気飲みすると『お前も飲め』とばかりに武吉に勧める。

 原が片腕で簡単に飲んでたので『もしかしたら軽石でできた臼かも』と期待していたが無慈悲なまでの重さを持つ臼は抱き上げるだけでいっぱいいっぱいである。

 島じゅうの人間が挑戦したが誰も石臼の酒は飲めなかった。


 当たり前だ。むしろ飲める原がおかしい。


 この『なめられないように住民をビビらせる』という試みは抜群の効果を発揮した。

 島民たちは腰を抜かし「鬼だ…本物の鬼が来た…」「子供を隠せ。食われるかもしれん」とおびえている。


 抜群すぎだよこれ。


 ちょっと軌道修正しよう。

「あー、この者は邪悪なもの…えーと、天道に逆らう者たち以外には危害は加えぬ。安心せい」となだめた。すると島民は絶望的な顔になって

「じゃあ、あっしはダメじゃないですか!」

 と悲鳴があがる。

 あ、海の安全を守るためという建前はあっても海賊行為は悪いことと認識しているんだ。


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 能島の地質を調べるのに思った以上に手間取りました。

 

 ちなみに大友興廃記に書かれた4人の相撲取りの四股名が現存する日本の史料で一番古い記述になるそうです。

 大友興廃記と言う本は1635年から20年以上かけて刊行された22巻の大作。

 この本の作者は10巻あたりから定年近くで自由に動けるようになったみたいで豊後に何度か旅行して、そこで聞いた話を書いたりしているみたいです。

 だから戦国時代の記録としては間違っていても、江戸時代に豊後で語り継がれてきた歴史としては正しい話も多いです。

 ただ一つ問題があって、この本非常に読みにくい。

 主語が過剰で『Aは非常に勇気ある士だったので敵に遅れをとらず、Aは敵の首を弓手でつかみ、由緒あるAの太刀をAはつかみ「えい」と出せば敵は倒れた』

 という

「Aは左手で敵の首をつかむと空いた手で首を取った」

 と書けば良いだけの文をだらだらと書いていたり。所々で話が脱線するので、現代訳した際に省略したらP540の内容がP200に圧縮できました。

 嘘だと思うなら大分県郷土史料集成という本と『大友興廃記の翻訳と検証』という本を読み比べて見てください。

 常人なら最後まで読むのは不可能なレベルの難文を『まだ読める』レベルにまで直してありますので。

 個人的にはレイアウトが崩れるキンドルよりも書籍版の方がおすすめです。送料無料で今なら大友家の家紋シールもおまけしてます。

「さらっと、宣伝を入れるな」

「脱線具合なら、この話も負けてないですけどね…」

 という登場人物の声が聞こえるので今回はこのへんで…

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