電撃文庫『楽園ノイズ』/杉井 光

それでも音楽はまだ鳴り続けている気がした――あの日のあの場所で。

著者:杉井 光 イラスト:春夏冬ゆう

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★特別書き下ろしSS『インドア・スルー・ジ・アウトドア』


 思えばミュージシャンという人種はとことんインドア派なものである。


 なにしろ音楽は野外でやるメリットがまったくない。壁と天井がないと音が拡散してしまって響かないし、雨や湿気や日光も楽器の大敵だ。機材も大きいものが多いから運搬が面倒だし、電気も野外に引くには手間がかかる。


 ……というような話を、スタジオ練習の帰りにファミレスでしてみたら、バンドメンバー三人から反論の集中砲火を受けた。


「そんなことないって真琴まことちゃん! フェスとか楽しいよっ?」


 テーブルの向かいで腰を浮かせて意気込んで言うのは、ヴォーカリストの朱音あかねだ。いつもぶかぶかのTシャツにホットパンツという迂闊なかっこうでうろついているやつなので、例外的に開放的なのが好きなミュージシャンなのだろう。


「フェスってにおいがすごいし転んだら踏み潰されるし蚊も多いしトイレに百人くらい並ぶんでしょ」


「なんでそういうネガティブなとこばっかり見るかなっ?」


「ジャズコンサートならどうですか。野外もたまにありますけれど、落ち着いた雰囲気ですし、そんなにお客様も鮨詰めになったりしませんし」


 僕の隣の席から口を出してきたのはドラマーの詩月しづきだ。華道の家元の純和風お嬢様なのだけれど、ジャズ好きのお祖父さんからドラムスをみっちり仕込まれたという変わった経歴の持ち主で、僕よりもずっと音楽経験が深い。


「ジャズの野外は小学校の頃に一度だけ親に連れられて行ったんだけど」


 僕は思い出してぼやく。


「雨降ってて曲どころじゃなかったんだよね……」


「そっ、それは、その、運が悪かったとしか」


「でも屋内なら雨だろうが関係ないわけだし、わざわざ外で演らなくてもいいじゃないか」


「開放感があります! それにほらっ、屋内なら男女が不適切なことをばれてしまいますけれど野外なら人知れず関係が発展――」


「え、野外コンサートってそんなことしてんの……?」


 僕が質すと詩月は顔を赤らめて両手をばたつかせた。


「いえっ、今のは私の願望で……」


村瀬むらせくん、ファミレスでふしだらで破廉恥で厚顔無恥な話を大声でしないでくれる?」


 朱音の隣の凛子りんこが冷ややかに言った。キーボーディストで、この中では僕といちばんつきあいが長い。出逢った当初から変わらない辛辣さだ。


「してたのは僕じゃないんだが」


「してたのは村瀬くんでしょう。ミュージシャンだからって部屋にこもりっぱなしなんて」


「そっちかよ! そんなひどく言われることじゃなくないっ?」


「ひきこもりが破廉恥でも厚顔無恥でもないというの? それなら村瀬くんはお天道様の下や公衆の面前で堂々とひきこもりができるの?」


「できないけど! 原理的に!」


「自分の非を認めるわけ。それじゃあ決まり。外に行きましょう」


「だから非じゃなくて――って、……ええっ?」


 いつの間にそんな話になったんだ。


「いいね、行こう行こう! どっか遊び行こう、もうずうっとスタジオばっかだったし、たまには音楽のことは忘れて遊びまくろう」


 朱音が目を輝かせる。


「お外で開放的な気分で関係発展させましょう!」


 詩月も意気込んで声を弾ませる。

 くそ、まさかバンドメンバー四人中インドア派が僕一人だけだとは思っていなかった。凛子なんてピアニストなんだから絶対にこっち側の人間だと思ってたのに。


       * * *


 僕がこの三人の女の子たちとバンドを組むまでには、そりゃあもう色々とあった。


 詳しいいきさつはここでは語らないが、ともかく今は夏休み、僕らは八月に開かれる合同ライヴに向けてほとんど毎日スタジオで練習していた。


 演目がすべてオリジナル新曲なので時間はいくらあっても足りない。そして僕以外の三人はみんなとんでもないテクニックとセンスの持ち主なので、演るたびに曲の新しい面が発見できて楽しかった。朝から晩までスタジオにこもっていたいくらいだったけれど、どうやらそう考えていたのは僕だけだったようだ。


 翌日の昼過ぎ、僕らは池袋駅東口に集合した。


「……で、どこ行くの?」


 僕が訊ねると、三人ともから意外そうな視線が返ってきた。


「村瀬くん、なにも考えてきてないの」


「真琴さんが決めるものかと」


「真琴ちゃんバンドリーダーじゃん」


「リーダー関係ないだろっ? え、ちょっと待って、よってたかって僕のインドア志向を非難してたくせに全員ノープランなの?」


 凛子も詩月も朱音もそろって目をそらした。こいつら……。

 僕はため息をついた。


「……じゃあ、とりあえずタピオカでも飲むか」


 凛子はたいへんわざとらしい感心の表情で言った。


「さすが村瀬くん。すごく女子高生っぽい」


「男だよ! あのさ凛子、外でそういう、女装どうこうの話するのやめよう?」


 以前の僕は動画サイトで自作曲の再生数を稼ぐために女装していたのだけれど、昔の話だからもう触れないでほしかった。


「女子高生っぽいと言っただけで女装の話は一切していないのに」


「んぐっ」


 墓穴だったか。いやでも女子高生っぽいって表現はやっぱりおかしくない?


「大丈夫です、真琴さんは女装なんてしなくても十分かわいいですから!」


「それフォローのつもりなの……?」


「真琴ちゃんあたしよりスカートに詳しいよね。ウエストの詰め方とか教えてくれたし」


「朱音はもっと詳しくなれよ!」


 こいつは中学時代から不登校児だったので制服を着ていた経験が少ないのであるが、それにしたって僕の方が詳しいなんて。

 しかし他に案も出なかったのでサンシャイン60通りの店でタピオカを買い、歩きながら飲んだ。


「……タピオカって、全音符だよね」


 カップを手に朱音がいきなり言い出す。全音符とは楽譜に書かれるいちばん単純な丸だけの音符記号のことである。


「わたしはフェルマータに見える」と凛子。フェルマータとは楽譜に書かれる任意休止記号のことである。


「私はグロッケン用のマレットのヘッドだと思います」と詩月。グロッケンというのは鉄琴の小さいやつで、マレットはそれを叩くためののことである。


 ……タピオカ飲んでるときくらい音楽以外の話してもよくない?


 飲み終えた後どうするのかも決まっておらず、ちょうど通りの向こうにサンシャインが見えてきたので、「水族館行ってみるか」と気軽に言ったら即全員一致で賛成だった。


 夏休みのサンシャイン水族館は家族連れで大混雑だった。チケットを買うだけで二十分くらい並ぶ羽目になる。

 館内も客でぎっしりで、水槽の中がろくに見えない。


「ラッコはじめて見ます! かわいいですね!」


 詩月は人垣の後ろから精一杯背伸びしてはしゃぐ。


「貝を叩きつけるの、あんなに速いんですね。BPM160ってところでしょうか」


 BPMとは曲のテンポの単位である。詩月の手はそこにないドラムスティックを握って上下に動いている。

 ラッコ見るときくらいドラムのこと考えなくてもよくない?


 クラゲのコーナーでは幻想的な照明に演出された水槽が天井にまで配置されていた。凛子がクラゲを見上げてつぶやく。


「わたしのピアノの先生が、弾くときの理想の手はクラゲの動きだって言っていた。透明で、無駄のない指の曲げ伸ばしで、重力に囚われることも逆らうこともなく」


 クラゲ見るときくらいピアノから離れてもよくない?


 屋外の一角にはペリカンもいた。大きなくちばしを見て朱音がため息をつく。


「いいよねえペリカン。口の中にあんなに空間があるなんて。声ってけっきょく体内の発声器官近くの空洞にどれくらい響かせるかだから、あれだけでっかいと良い声出そうだよね」


 ペリカン見るときくらいヴォーカルのこと忘れてもよくない?


 それなりに水族館を楽しんだ後、サンシャインの地下に行ってみることにした。たしか派手な噴水があったはずで、一回見てみたかったのだ。


 ところが地下一階の噴水前スペースはちょっとしたステージになっており、よく知らないアイドルグループがライヴをやっていて、ファンがぎっしりと詰めかけ、吹き抜けになった一階と二階の手すりにも野次馬が鈴なりになっていた。噴水を楽しむ空気ではまったくなかった。


「あーそうそう、サンシャイン噴水前って無料ライヴの聖地なんだっけ」


 朱音が言う。


「歌は正直あれだけど、ステージパフォーマンスは参考になりそうだね!」


「こんなひどい環境にしては音響はよくがんばっている」


「リバーブの残響時間を短くして低音を抜いてるんですね。キックの粒が大事だから……」


 三人ともライヴを興味津々に観始めてしまった。ひとり興味が無い僕は疎外感をおぼえて人垣からだいぶ離れた壁際で待機する。


 音楽のこと忘れて遊びまくるんじゃなかったのか。


 おまけに、「なんか買い物でもしてく?」と提案すると――


「イシバシ楽器に行きたい」


「イケベ楽器もあったよね? あとクロサワ楽器とか」


「ジュンク堂の楽譜コーナーに寄ってもいいですか」


 女子高生らしく服とかアクセサリとかキャラクターグッズとか買わないんですか? とはもはや言い出せなかった。


 とどめに、買い物を終えて駅に入ったところで凛子がつぶやいた。


「……まあまあ楽しかったけれど、なんだか不満」


 詩月も眉を寄せてうなずく。


「そうですね。せっかくこの四人が集まったのに、これで解散というのはもったいないです」


 朱音がプラットフォームに続く階段を指さして、にひっと笑った。


「じゃ、新宿行こうか」


       * * *


 新宿には僕らの行きつけのスタジオがある。

 楽器は持ってきていなかったのですべてレンタル。使い慣れないギターやベースにいくぶん戸惑ったけれど、音を合わせてみればいつもの僕らだ。ちょっと歩き回るだけで肩がぶつかってしまいそうなほど狭いスペースに、サウンドと熱気と汗のにおいが充満して、呼吸するだけで胸がふさがれる。


 やっぱりこれだよなあ。


 三曲ほど立て続けに演った後で僕がしみじみそう思いながらチューニングを直していると、凛子も詩月も朱音もうなずき合って言った。


「やっぱり、楽器に触りもしないのは落ち着かない」


「家に帰ってきた、って感じがしますね」


「あーもうスタジオ最高! ずっと演ってたい」


 ほらみろ! 僕の言った通り全員こっち側の人種じゃないか! と勝ち誇りたかったが、まる一日歩き回った末のプレイで疲労困憊していてそんな元気もなかった。



                              おわり

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