インターフェース
夢を見ていた。
空を飛ぶ夢だ。
エンジンの低い轟が座席から体の芯を伝って耳の奥を震わせていた。
操縦桿を横に倒すと機体は風車のようにくるくる回る。対して機首上げは重い。いくら引いてもGリミッターがかかってノロノロと空が回るだけだ。それでもサーッと血が抜けるように頭の中が灰色になり、意識が遠のく。機体が真下に流され、エンジンパワーで旋回の内側へ押しやられているのがわかる。
高G下でヘルメットまで被った頭を動かすのは難しい。というかリスキーだ。だから旋回に入る前に後頭部をシートの窪みに押し当てるようにして予め顎を上げておく。俯いていてもコクピットの中が見えるだけだ。パイロットは外を見ていなければいけない。
円形断面の大きなキャノピーに逆さになった自分の顔が映る。その像の向こうに震える小さなシルエット。かろうじて飛行機とわかる形。長い機首、大きな後退角のついた主翼前縁。シフナスだ。
操縦桿の上のスイッチを切り替えて兵装選択、機銃の照準円が半透明のヘッドアップディスプレイ(HUD)に映る。レーダーは高速垂直スキャンに。
旋回を続けているうちに相手の機影がHUDに収まり、相手の予測位置を示す円と照準円が重なった。
カイはそこでトリガーから指を外した。夢だと気づいたからだ。
そこにはもう全身を押さえつけるGはなかった。
まるで雲の中に突っ込んだように視界と感覚が奪われ、何度か瞬きしている間に自分が本当はベッドの上にいるということがわかってきた。
カイは腕を広げて重力の方向を確かめた。背中側にシーツが押し当てられていた。仰向けになっているようだ。くしゃくしゃになったシーツの感触は少し雲に似ていた。
口の中が乾いていた。唾を飲んだ。
そう、夢の中でもジェット機に乗っていた。レース機ではなかった。
むしろレース機の感覚を忘れつつあるんじゃないか。
空気を切り、蹴飛ばして飛ぶようなジェット機特有の感覚は翼の下に空気を抱え込むようなレシプロ機の感覚とは違う。慣れきってしまったみたいだ。意識や体に染み込んでいなければ夢になんて出てこないはずだ。
カイは起き上がってディアナを探した。リビングではなかった。いるのはシピだけだった。朝食のスープを煮ていた。リビング側からカウンターに体を乗せて鍋を覗き込んでいた。座ったままだと手が届かないか腕が疲れるのだろう。
「すみません、はしたないところを」シピは翼で体を支えて慌てて座り直した。相変わらずの袴だけど、別荘に来てから着ているのはどれも比較的模様の少ないものだった。安物というか、普段使いと晴れ着を分けているのだ。「晴れ着」という文化はベイロンに行ってからなんとなく理解していた。
「いや。おはよう」
「おはようございます」
トマトとブイヨンの匂いがした。つまり割と重めのスープのようだ。
「ディアナは来てない?」
「ラボではないですか?」
「ラボ?」
「廊下の突き当たりです」
「ありがとう」
カイはその部屋に入るのは初めてだった。ベッドルームより広く、四角い部屋だった。いや、部屋っていうのはだいたい四角い。什器がなく床と壁面の境界がまっすぐ見えているのでそう感じたのだろう。広さの分天井は低く感じた。
そして何より正面の壁一面に広がった窓が巨大な水槽を思わせた。眺望という眺望もなく、鬱蒼と茂った草木の葉が頭上から降る光を青く染めていた。
部屋の扉は開いていて、カイはノックをするのを忘れていた。
それでもディアナは足音に気づいて椅子を半分だけ回した。
窓の右手の壁に作業台があり、ディアナはその長さのちょうど中間に椅子を置いて座っていた。
シャワーを浴びたのか、髪は整っていて、まだ化粧はしていなかった。少し眠そうな目だった。着ているワンピースはとても柔らかそうなニット生地で、下に何も着ていないんじゃないかという気がした。
目を逸らす。
作業台の真ん中には何か奇妙なものが置いてあった。それは最初盆栽みたいに見えた。でも植物にしては肌が白すぎるし、あり得ない速度で枝を動かしていた。
いや、動かしているんじゃない。変形しているんだ。無数の樹形を次々に再現しているので動いているように見えたらしい。
触媒だ、とカイは察した。アレイが変形しているのだ。ディアナの触媒は自在変形機能は特徴だ。その盆栽もどきの下には四角く平べったい土台があり、土台から作業台の袖に山積みにされたアレイの束に向かって紐のようなものが伸びていた。
「スローンでは想定していたよりずっと広範囲に展開を強いられたのよね。動きが鈍って先端に強度が出なかった」ディアナは説明した。それから作業台の上を指差した。
盆栽もどきはタッチパネルの上に置かれていた。要はガントレットの据え置き版だ。画面には平面に落とした盆栽もどきと土台が表示され、そしてその上に意味ありげな赤い点が動き回っていた。
「スケールを1万分の1まで落として、ターゲットを捕まえるのに一番合理的な形を探させてるの。バーチャルでやるより実際動かした方が得られるデーターが多いから、縮尺に合わせてこの土台で重力を強くして、演算は他のアレイにやらせて、いくつもパターンを採取する。アレイの体積と展開までの時間が小さいほど得点が高い。実際使う時はターゲットの動きも土台の硬さもこの通りとはいかないから、高得点のパターンを組み合わせて応用で対処する。その応用の幅が小さいほど現場では演算に時間とエネルギーを割かずに済むから、その分速く展開できる」
カイは頭の中で説明を咀嚼しながら引き続きしばらく盆栽もどきの変形を眺めていた。本当に多彩な形になるものだ。幹も横へ出たり折れ曲がったりして、素直な形に落ち着くのは稀だった。
「合理的な……って、これ、あえて木の形に似せてるわけではないんですよね? 幹があって、枝があって、なんというか――」
「有機的? できるだけ遠くへ、かつ軽く、強度を保ったまま。木がいかに合理的な形をしているかわかるでしょ。計算で試行あたりコンマ何秒というのを1世代かけて何万年も積み上げてきたのよね。進化っていうのはそういうもので」
カイは作業台の端に腰掛けて窓の外を眺めた。草木の葉の先から水が滴っていた。雨が降っているのだろうか。ガラスの隅が曇っていて湿度を感じさせた。濡れた葉の表面はどこか金属的な光沢を湛えていた。
「高度に機械的なものは自然と有機的な姿に近づく」カイは呟いた。
「というか、有機的なもの――生物というのはすでに高度に機械的なんじゃないかな。生き物の細胞もこのアレイと同じように隣の細胞とくっついたり形を変えたりする。スケールが違うだけで」
「そう考えると、自分自身を演算できる細胞・生き物の進化はリアルよりずっと速くなりそうだ」
盆栽もどきの進化を窓の外の植物たちが見守っているような感じがしてきた。興味津々で覗き込んでいるみたいだ。
「演算して、自分自身の形質にその結果を反映する、ね。でも、もしそれが個体の機能として備わっているなら、あえて世代を受け継ぐ必要もないんじゃないかしら。個体各々が他の個体と足並みを揃えずに発達していくわけで、いずれ種という枠組みでは括れなくなる。進化というのは個体特有の形質を混ぜ合い掛け合った結果であって、その『特有』の垣根を自力で超えられるなら、種も、世代も、進化も、要らなくなっちゃうんじゃないかな」
「……魔素・機械をあえて生き物のロジックに当てはめる必要はない」
なんだか魔素というのは実は本当にそういう生き物なんじゃないかという気がしてきた。
「そうね」ディアナは一言だけ答えた。それについては彼女もまだ意見を持っていないようだった。
「そもそも、触媒でもパソコンみたいな並列処理ができるんですね」カイは話を戻した。そこにも引っかかっていた。
「出力魔素はそれそのものが微細なコンピューターでもあるのよ。アレイ1つ1つがパソコン並みの処理領域を持っている。魔素同士は接触によって同期するから、あえてバスを用意してあげなくても量さえあれば無限にメモリを拡大することができる。その分エネルギーを食うから一概にパソコンよりいいとも言えないけど、あるんだから活用しない手はないでしょ」
接触で並列処理ができるようになる。だから盆栽もどきとアレイの束の間に紐が必要なんだ。カイは理解した。
「でも、あれ? その処理ってこのタッチパネルのコンピューター、そのパソコンで命じてる処理ですよね?」
左手に普通のディスプレイがあって、そっちを見ると白いウィンドウに記号と改行の多い文章が並んでいた。
「NOLですか」
「見てわかるのね」
「航法装置の調定に必要なんだ」
「ハンドメイド機に
カイは頷いた。NOLはプログラム言語の一種だ。
「アナログの方がいじりやすそうだけど」
「だいたいデジタルですよ。軍用機のジャンクモジュールを移植するから」
「それってエトルキア空軍の廃用品のことよね?」
「あ、言わない方がよかったな……」
「防諜に問題ありね」
一瞬背筋が凍ったけど、それはあまり真剣味のある言い方ではなかった。
「触媒もNOLなんですか?」
「私のは、というか、魔術院のはね。ただそれはインターフェース的にNOLにも対応しているってだけで、決してNOLで動作しているわけじゃない。非NOL言語で書かれたオペレーティングシステムがNOLで書かれたドライバーを動かしている、と考えるとわかりやすいかな」
「読めるけど、ネイティブじゃない」
「そうそう。思考言語ではないけど、様々な言語に対応している。エトルキアの官用触媒には共通のドライバー規格が定められていて、それを読ませた触媒はこんなふうにブラウザを使って編集できるのよ。スペルと術の対応、出力や距離の調節、詠唱を判別する時のしきい値の設定、エトセトラ。あとはマイクに声を入れてパターンを作成する時にも使うわ」
触媒にそれだけかっちりした設定機能があるというのはちょっと意外だった。
「パターンを覚えさせれば慣らさなくても調整が効くってこと?」
「慣らす? 声色とか語勢とか、微妙な差だと学習が必要だけど、単語を変えればまず間違いない。人間の方が触媒のゲートに合わせる必要がある、という意味では確かに練習だけど、それは人間の方の練習であって、カイくんが言ってるのは触媒の方を馴染ませるってことよね?」
「自分のイメージと実際の出力を近づけるには何度も唱えてみないとだめだって言われたんだ」
「それ、ラウラ?」
カイが頷くとディアナも頷いた。理解した、という意味だ。
「確かに、リリックならドライバーは使わないでしょうね」
「他の種類のドライバーというんじゃなくて、そもそも?」
「そういう手合もいるけど、いわゆるニワカよ。リリックの本懐は人の言葉そのもので触媒に呼びかけるところにある。――ああ、これ私の意見じゃなくて受け売りね」
「……そうか、特定の言語に囚われないってことは既存のプログラム言語である必要もない」
「リリックはそこに目をつけたの。現代レベルのソフトウェアで魔素を動かしても本来の機能を完全に引き出すことはできない。でも人間にはまだ魔素の思考言語でプログラムを書く技術はない。それはパソコンで編集できるほど電気的なものではない。なら、魔素の側で人の言葉に直接対応してもらってしまえばいい。魔素が人の言葉を理解すればいい。魔素の学習機能を見込んだのね。最終的にはその方が術者のイメージに合ったフィット感のある触媒に仕上がるだろうって。その目的意識からして多くのリリックは口語現代語で触媒に語りかける。口語と紐付けると暴発の危険性が高まる。だから魔術院は認めなかった」
「逆に言えば、そのフィット感に辿り着くまでには回数がかかる。詠唱と術の規模の対応を触媒に覚えさせなければならない――」
カイはそこまで言って違和感を覚えた。
「魔素にそこまで高度な機能があるなら、なぜ初めから言葉に対応していないのか不思議じゃないですか」
「そうね、私もそう思う」ディアナは少し考えた。「もともと理解はしているけど術の発動には紐付けられていない、か、もっと夢のある見方をするなら、魔素を生み出した人間たちは言葉が変化していく可能性を視野に入れていたんでしょう。NOLのドライバーをすんなり受け入れてくれるのもその設計思想の恩恵かもしれない」
「……柔軟性と使い勝手の初速はトレードオフなのか」
「そう」
「まっさらなものを育てるという意味では触媒も生き物のようなものですね」
「過激な見方をすればそれがリリックなんでしょうね」
「ディアナは違う?」
「私はリリックじゃない」
「でもアレイに覚えさせたり考えさせたりして育ててる。何より、生き物みたいだし。アプローチは違っても目指すところは近くにあるように思える」
「リリックの可能性を黙殺するつもりはない。ただ、私自身はむしろそういった『柔らかい』使用感覚は求めてないの。音声なんて曖昧で微妙なものは唱えるにも集中を割かれるし、認識する方も時間がかかる。そのせいでもともと無段階に調節できるものをあるところで区切って均さなきゃいけなくなる。言葉というものがもともと人のイメージを無段階に表現できるものでない以上、それは避けられない」
「だからガントレット」
ディアナは頷いた。
「ダイヤルで術を選び、スライダーで出力を調節し、ボタンで発動する。ラグは少ないし、確実に設定通りのものを取り出せる。私にとってはその方がストレスが少ないし、触媒のポテンシャルも引き出せるように思える。欲を言えば、ダイヤルもボタンもバーチャルより機械式の方が確実なんだろうけど」
「そもそもなぜ触媒は声をインターフェースにしたのか」
「そんなの……触媒を小さくするにはそれが一番いい方法だったからじゃないかな。ボタンや画面がついていたら指の大きさに合わせなければならないから。ガントレットだって容積的には大きい方でしょ」
「それだとヴィカの触媒はどうなんです。長杖ってジャンルもあるんでしょ」
「あれは、まあ……」
「パワーが欲しいっていうのはわかります。ということは攻撃用途に特化しているわけで、それこそスイッチ類がついていた方が便利そうだ。アーマメントスイッチがぎっしりついてるシフナスの操縦桿みたいに」
「そうね、それには同意。特に詠唱に慣れていない人間にはいい。私のガントレットもまさにその通りでしょ。選んで、調節して」
「……慣れてない?」
「不便だと思ってるからこんなややこしいことをしてるのよ。裏返せば、伝統的な詠唱に親しんだ人間にとってはスイッチやボタンなんて邪魔以外のなにものでもない。主流派で私の研究に肯定的な魔術師なんてほとんどいない」
「リリックだけが異端視されてるわけじゃないんですね」
「そぉよ。古いものと伝統が大好きな人たちだもの。私やラウラみたいのは魔術院に言わせると一括りにして『新世代』なのよね。私が干されてないのは単にコネがあるからで」
その「コネ」とやらが別荘にやってきたのはその日の昼だった。
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