科学と技術

 それから軍人たちが何人も入れ代わりに尋問を続けた。声の感じからして男が数人、女が1人。メインで担当しているのはその女だった。

 話題はほぼ男が予言した通りだったが、彼らは教会の規模や戦力、ペトラルカの思惑や独自の外交策、グリフォンの飼育法から教育法についても聞きたがった。

 軍人たちにとってはアークエンジェルの価値は「より高い地位にある天使」という点にあるようだった。つまり、天聖教会であればより高位のアークエンジェルほどペトラルカに接する機会が多くなる。ペトラルカについて聞き出すならエンジェルよりアークエンジェルの方が期待できる。ほとんどのエンジェルはペトラルカと一対一で話したこともないだろう。

 大した機密を預かっている自覚もなかったので、キアラは訊かれたとおりに答えた。わからないことはわからないと答えたあと、憶測で答えた。明らかな嘘、デタラメでなければ彼らは満足した。

 もちろん最初からそんなふうに答えていたわけじゃない。「わからない」を繰り返すと、それが本心かどうかに関わらず彼らは拷問に頼った。最も初歩的な手段は「羽根を抜く」だった。まず綿毛など細い羽根を抜き、それで効果がなければ風切り羽を抜いた。エンジェルに対してしばしば使ってきた手なのだろう。彼らはどの羽根を抜くのがより痛いか、ただ引き抜くのかそれとも捻るのがいいか、よく知っていた。痛みは痛覚を通り越して直接涙になって出てくる感じだった。自然と目尻に雫が溜まってくるのだ。抜かれた羽根の毛穴から出血して隣の羽根に血が垂れるのが感触でわかった。それは一応実験・採取の体をとっているようで、いつもいつも羽根を抜くわけではなくて、場合によっては切開した傷口から血液を採ったり、傷が塞がるまでの時間を計ったりしていた。キアラはその様子を見ていたわけではない。軍人と医官のやり取りを聞いていただけだ。


「軍人というのは話が通じなくて困る。回復不能な損傷を与えてはならないと言ったのに君の翼はひどい有様だ。羽根だけは奇跡でも瞬時に生やすことはできない。回復術式は治癒を速めるだけなのだ。代謝のサイクルを飛躍させるような機能はない。羽の生え変わりはあくまで年に一度なのだ。次の換羽まで果たして何ヶ月かかるだろうか……」

 最初の男(たぶん魔術院の人間だ)が戻ってくるとそんなふうにキアラの姿を嘆いた。


 男はまずキアラが持っている奇跡の性質を事細かに調べた。もちろん一番時間を割いたのはカルテルスだ。まず枷の上から分厚い鉄の腕輪を嵌めて腕と指を完全に固定し、その上で例のギロチンを外した。

「つけ心地はどうかね」

「キツイな。ホットサンドメーカーに挟まれてるみたいだ。」

 それは嘘ではなかった。少しでも力を入れると手の甲の筋が当たってぐりぐりした。しかも手のひらの方が上になっていて、そのせいか手の甲の骨に余計重さがかかる感じがした。

「残念だが緩めることはできない。その代わり、これをつけている間君は自由に奇跡を使って構わない。センサーは遠ざけてある。さあ、見せてくれ」

 キアラは少し時間をかけて指先を意識した。長いこと自分の手を見ていないような気がした。視界が奪われただけで案外自分の体のパーツがどこにあったのかわからなくなるものだ。

 指が開いたままなのでなんとなくやりづらかったし、出せるのはかなり幅広の刃だけだった。

 

「なぜ時間をかけた?」男は訊いた。

「手の形が違う。時間がかかった・・・・んだ。わざとかけたんじゃない」

「しかし、出ることには出た。手の形に対応しているわけではなかろう」

「手の形と意思が揃わないといけない」

「条件を満たすことで実用レベルの応答性を発揮すると」

「手の形だけが条件だったら、危なすぎる」

「なるほど、偶然、不用意に発動しかねない。眠っている間に自分の体を切りつけてしまうのではな」

「奇跡は道具ではない。使わないからって、スイッチをオフにしたり、机の上に置いておいたりできない」

「その点は魔術の優位か」

「認めよう」

 男は少し考え込んだ。

「そうか、君たちは長短を認めるがゆえにその背景にあるアーバインの思想を洞察することができたのだ。もし全ての面で勝っていると考えるなら、そこにあるのは思想ではなく合理性だ」

 キアラは一度カルテルスを消した。男の長い語りが始まりそうな気がしたからだ。

「待て。まだ何も観察していない。本題に戻ろう」

 再びカルテルス。さっきよりもいくらかスムーズな発動だった。

「さて、発熱はなし。発光もしていない。何かしらエネルギーの放散があればわかりやすいのだが」

 発光?

 部屋を暗くしてあるのか。全然気づかなかった。もしかすると夜なのかもしれない。

「ふむ、刃の真正面からだと厚みはほぼ感じられない。角度によっては視認も難しいレベルだ。とても物を切る強度があるようには見えないが……、あるいは、物質ではないのか。しかし、完全閉鎖系に閉じ込められたエネルギー体だとすれば、物が切れるのはやはり不可解だ。それもまた作用であって、閉鎖系では接触はあっても切断はありえない」

 男は早口で呟いた。

「見ていても埒が明かない。実際、切ってもらおう。君の椅子の前に簡易的なコンベアを設置した。その一端に切りたいターゲットを置いて流せば、君も私も一切動かずに、安全に実験を進めることができる」

 確かにキアラにすべきことは特になかった。ただカルテルスをその場に構えていればよかった。男がコンベアを動かすと、部屋の中に「カタカタカタ」とプレートの折り返す音が響いた。その音の重さの変化でターゲットがどこを流れているのかおおよそ把握できた。材質は様々だった。金属、土、石、木、プラスチック……。キアラがそれを知っているのは流す前に男が言うからだった。音で判別できるわけじゃない。

「一通り終わったが、恐ろしい切れ味だ」男は言った。

 コンベアが止まる。プレートの音がしばらく耳の中に残っていた。長い実験だった。1つの材質につき1回ではないのだ。同じ条件で数回、角度を変えてまた数回、といったペースだった。

「何より音がしない。いくら切れる刀でも、標的に打ちつければドンと衝撃が出るものだ。だが、君の奇跡の場合それがない。全くの無音だ。音がしないというのは切れ味の証左だよ。切る時に手応えはあるのかね」男が訊いた。

「ある、けど、抵抗はない。刃が引っかかるようなことは絶対にない。ただ、奇跡を使っている間に指先にちょっとした感覚があって、刃がものに差し込むとその感触が重くなる。重くなる、としか言いようがない。わからないだろうけど」

「刃が押し戻されるのとは違うのだな?」

「違う。刃そのものが重くなるわけじゃない。進まなくなるわけでもない」

「少なくとも感じないレベルだ、と」

「そうだ」

 男はしばらく黙った。ほとんど物音もしなかった。動き回っている気配もない。何かじっとしていた。

「今、君が切ったものの断面を顕微鏡で見ている。素晴らしい平面だよ。分子が断面に沿って整列している」

 キアラはその言葉でようやく自分がどういう空間に置かれているのか察した。分子レベルまで解析できる電子顕微鏡は簡単に持ち運べるようなものじゃない。然るべき場所に半永久的に据え付けておくものだ。だとすればここもそういった測定を行うための部屋なのだ。

「均整な結晶構造を持つ金属ならばさもありなんと思うだろう。ところが実際にはそうは行かない。必ず『毛羽立ち』が出るものだ。刃の正面によって押されたり引っ掛けられたりするからだ。この状態は……『切られる』というより『溶かされる』に近い。だが熱しているわけではないし、断面の微小な窪みを殺しているわけでもない。おそらく刃の先端部が分子の直径よりも薄いのだろう。いや、そうか、先端部だけとは限らない。刃の強度が物理的に保たれているわけではないのだ。あるいは、それが現実的ではないとすれば、何らかの力によって刃の前方にある分子を瞬時に消滅させているか、だが……この線はないだろう。そのはずだ。切る前と切ったあとで質量の総量は変化していない。……すると、刃の腹にものを当てた場合はどうなのかね」

「それは、刃の上にものを乗せられるか、ということ?」

「ああ、なるほど、その方法でも構わない」

「それは難しい」

「どういう意味だね?」

「すごく滑るんだ。いくら水平をとっても刃の上の一点で安定するってことはない。左右に傾けて乗せ続けることはできる。でもそれは揺り戻しの慣性で押えているに過ぎない」

「……本当に質量が減っていないのか確かめたい。こうしよう。君は奇跡を発生し続ける。我々はその下にテーブルを置いてターゲットを下から接触させ、圧力を一定に保つ。これなら滑ることはない」

 コンベアを移動させたのか、やや騒々しい物音があって、男の他にも学生らしい人間たちの声が聞こえた。男が改めてカルテルスの指示を出したのは30分ほど経ってからだった。

「では始めよう。ひとまず30分で結果を確認する」

 カルテルスの腹、側面にものが触れると刃の部分よりはるかに強い手応えを感じる。それはも対象ぶつかるだけで切れないからだ。

「しかし、分子より薄い刃となると物質的にどう存在しているのか甚だ疑問ではある。一種のエネルギー体だとすれば、目視することができるという点で最もありえそうなのは光だが、では光エネルギーがそこに凝縮されているとして、問題はそれをどうやって閉じ込めているのか、だ。薄さを損なうから物体ではない。引力と斥力、電荷による力場の形成、とすれば理解は及ぶが、であれば導体に接しても全く反応しないのは説明が難しい……」

 ただ待つだけの時間が苦手なのか、男は考えていることを口に出した。

「君には説明できないのかね?」

「わからない」

「それは、君が詳しくない、というだけか、それとも専門家と話したことがないのか」

「奇跡は個別のものだ。まず本人が一番よく知っている」

「だが君は私が求めている答えを持っていない。では、仕組みについて深く考えないのが天使の文化、ということか」「宗教を奉るのは大いに構わないが、神秘主義はいけない。あくまで科学をしなければ」

 結局男は25分くらいでテーブルを下ろした。当然時計なんか見れなかったけど、たぶんそのくらいだろう。男のそわそわした様子からして30分きっちり待ったとは思えなかった。

「やはり、さっきと同じ重さだ。とすればやはり、君の奇跡は分子と分子の間に入り込むだけの薄さなのだろう。分子結合あるいは金属結合を断ち切っているのだ。刃の薄さは合理的な説明が困難だが、今のところそう考えるしかあるまい。しかし、分子の間に割り込むことができれば、それだけで抵抗なく物体を両断できるものなのか? わからない。端的に言って、謎だ」頭を抱えるような言い方だった。男は自分の科学で説明できる結果を求めていたのだ。

「奇跡がなぜ奇跡と呼ばれるのか知っているかね?」男は気を取り直して訊いた。

「天からの授かりものだから、と思っている」キアラは少し質問の意味を吟味してから答えた。

「天というのはあらゆる天使より上位の存在なのだな」

「そうだ」

「では、アーバインは天に属するものなのか」

「微妙だ。天の領域に手を届かせた者が聖人になる。天そのものではない。アーバインも奇跡については説明していない」

「『天からの授かりもの』か。そこには『理解不可能なもの』という意味が含まれているのかね」

「そう捉えている天使も多いだろうけど、より根本的には、作為的に生み出すことができないもの、模造できないもの、だ。天に授かる以外、手に入れる方法がないもの、という意味で」

「あくまでそれは能力であり、使えるかどうか、だと」

 男はキアラの意見を肯定も否定もしなかった。ただ自分の意見を返した。

「合理的な説明が可能かどうか、我が国ではそれが魔術と奇跡の1つの線引きになっている。ぎりぎり科学の大系に収まるのが魔術だ。奇跡は人智を超える。ゆえに奇跡なのだ。今日はそれを実感したよ」









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