オフレコード・ミーティング220512-01
ヴィカ・ケンプフェルは3人と別れて内壁エレベーターで中層に向かった。飛行場甲板の1層下、プラント類に囲まれた東側の一角に軍が徴発した(といっても空き家を居抜いているだけだが)兵舎がある。もとは労働者のための集合住宅だったらしく、外観は均一で1戸1戸の面積も小さく、何より風通しも日当たりも悪くてジメジメしていた。島の住民が好んで住む環境ではなかった。
ヴィカは割り当ての部屋に入るなり服を脱いでシャワーを浴び、全身を洗って裸のままドライヤーで髪を乾かした。決して逞しいというほどでもないが、無駄のない引き締まった体。トラック競技者のようなアスリート体型。彼女の驚異的な持久力を支えているのはどうやらその身軽さのようだ。
部屋の中には特にこれといって物もなかった。備え付けのベッドにまだ新しい布団、棚の上に畳まれた洋服、壁の隅に立てかけられた長杖、それだけだ。よほど趣味のない人間らしい。
下着をつけ、モスグリーンのカラージーンズに穿き替え、畳んであった白いTシャツを広げる。革ジャンを引っ掛けて、ショートブーツを履いて外に出る。
横長のアパートの前を回ってカンカンカンとリズムよく階段を上り、滑走路を渡って駐機場を抜ける。駐留部隊の専有エリアだ。司令部代わりのプープリエ輸送機の翼下にテントが張られ、暖房の効いた内側ではパイロット2人とメカニック4人がボードゲームに打ち込んでいた。アラート要員用の待機所なのだ。ひとたび管制官がベルを鳴らせば全員カードも駒も投げ捨てて外に殺到することになる。遊びには違いないが真剣な待機任務でもある。
ヴィカは天幕の隙間から中の様子をちょっと窺い、それからタラップを登ってプープリエの機内に入った。
キャビンには指揮官のデュ・ゲクランの他に管制官と事務官が1人ずつ。それぞれ黙々と自分の仕事に当たっていた。
ヴィカは扉の前でデュ・ゲクランにアイコンタクトを取った。話がある、という意味らしい。
デュ・ゲクランは今しがたワープロで打っていた文章のピリオドまでしっかりと辿り着いてから腰を上げた。2人はプープリエのコクピットに入って後ろのドアを閉めた。
操縦席が横並びになっているので2人で話すには都合がいい。フロントガラスはかなりきつい防眩がかかっていて、外の景色は二回りくらい暗く見えた。
「クローディアは中央に来るそうだ」ヴィカはパイロットシートに座りながら言った。
「それはどうも」デュ・ゲクランは背凭れに手をかけたが腰は下ろさなかった。「思い出しましたよ。この島に降りてきて最初に会った2人の片割れが彼女だった。黒髪の若い女の子といったら、この島には他にはいないでしょう」
「存外、目敏く品定めをしている」
「目敏い男が天使と人間の女の子を見間違えるものですか」
「どちらでも構わんという見方もある。――来週中に迎えを頼みたい。私も随伴してインレに飛ぶ」
デュ・ゲクランはほんの少しだけ頷いてヴィカが返した電報の写しを受け取った。
「君が辞令を受けたのはあの嵐のあとか?」ヴィカは話を変えた。
「いいえ」とデュ・ゲクラン。
「ではネーブルハイム戦よりはあとか?」
「ええ。アイゼンはあれでレーダー塔としては機能していましたからね」
「そういうことか」
「?」
「なぜわざわざ軍令部直属の人間がここに送り込まれてきたのかと思ったが、クローディアのことを知らないというので謎が解けたよ。そもそも回廊の方しか見ていなかったんだ」
デュ・ゲクランはいささか怪訝な顔になった。なぜヴィカが自分の配属に疑念を差し挟むのか理解できない、といったふうだ。そして考えを巡らせたのち、ヴィカがネーブルハイム事変で戦術上のミスを犯したことに思い当ったようだった。
「――ああ、もしかして身の危険を感じてました?」
「悲しいね。こうも
デュ・ゲクランは手に持ったままだった電報を作業服のポケットに仕舞った。
「しかしこの島にとっても機能不全でのままでいるよりはいいはずでしょう。発電機のシールドがたかだか半月で届いたのも、おそらく上の根回しがあったからで」
「だが1基だ。拠点として使うには電力供給がいささか心許ない。他の3基も直すつもりか」
「あくまでアイゼンの補填ですよ。直ちに大部隊を置くなんてことは考えられない。この島の人口なら補機を万全にしておけば何ら問題はないでしょう」
「ふうむ、否定はしないわけだ」
滑走路にプープリエが着地した。駐留部隊付きのもう1機だ。近隣の補給所から燃料や日用品を運んできたのだろう。
補給所は軍事島ではなくヤード島に置かれることもあるが、それは後方に限った話だ。国境空域ではありえない。
「作業の邪魔になるといけない。このあたりでお暇しておこう」ヴィカはパイロットシートから抜け出した。
「誤解されているかもしれないので――まあ好意ということになるんでしょうね――言っておきますと、私の配属に関係しているのはアイゼンそのものとはまた別件ですよ」とデュ・ゲクラン。
「ほう?」ヴィカは足を止めた。
「ベイロンです。あの島ではエアレースのクイーンが少なからず実権を握っている。加えて現領主のシュナイダーは決して政治の才覚に秀でているわけではない。ギグリ・フェアチャイルドがクイーンを降りたのは知っていますか」
「ああ、話には」
「もし興味があるなら後任のクイーンについて調べてみることです。任務上具体的な言い方はできませんが、リリスという名前、あれは芸名です」
ヴィカはその場で唇に指の背を当てて10秒ほど考え込んだ。
ベイロンのクイーンとアイゼンがどこでどう関わってくるのか。あるいは、なぜ自分はその件について何も知らされていないのか、という問題について考えたのだろう。
納得できたのか、諦めたのか、いずれにしてもヴィカは「了解した。電報の礼と受け取っておくよ」と言葉を切ってコクピットを出ていった。
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