プライオリティ・ビーイング

 塔の維持・修復に必要な部品は基本的に塔自体の内部で生産できるように設計されているとはいえ、近年ではタールベルグ同様に機能低下した塔も増えてきて近隣の塔の間で生産機能を融通するのが普通になっているという。

 誰が管理しているかによらず、塔の生産物は無償で提供する、というのがエトルキア圏の暗黙の了解のようだけど、加工や輸送は既得利権ではなく紛れもなく人々の仕事だから相応の対価を要求することができた。要するにタールベルグがいくら自給自足的な島だろうと塔の維持には金がかかる。その資金繰りのためのほとんど唯一の産業が再資源化であり、他の島からスクラップを受け入れなければ始まらない。飛行場の復旧が至上命題だった。とりあえず工場の操業は止めたまま、工員総出で障害物の撤去や舗装の修復にあたっていた。

 カイも朝からその作業に加わっていて、嵐のあと彼が初めて最下層甲板に下りたのは昼になってからだった。彼が、というのはクローディアは前の夜に葬式用の服を用意するためにこっそり下りたからだ。低高度では大気が落ち着くのにも時間がかかるから、あまり急ぎすぎるとまだフラム濃度が高い空気の中に飛び込むことになる。昨晩の時点で試しにフラムメーターを借りていって、カイの家の前で測ってぎりぎり警報が鳴らない40ポイント台後半だったので、人間が生身で下りるなら1日置くのは妥当だろう。


 エレベーターに乗る前に中層で食材を買っておいた。商店街はすでに人気が戻り、店も表に品物を並べつつあった。どういうわけか精肉店に人だかりができていて、覗いてみると豚肉から羊肉までほとんどタダ同然の投げ売りだった。ショーケースに肉が詰め込まれているのだ。

「豚とか牛とかって、塔に頼んでも1頭丸ごと出てくるわけじゃないでしょ?」クローディアはふと疑問に思った。あまり意識して考えたことのない領域だった。

「そう、これくらいの部位ごとのブロックになって出てくるらしいよ。家庭で捌くには大きすぎるし、スライスなんかしてもらえない。だから肉屋が成り立つんだ」

「もしかして、牧畜のプラントも上層?」

「農耕プラントのすぐ下」

 なぜ肉屋が賑わっているのかクローディアは理解した。ラウラの家が吹き飛ぶほどの揺れが上層を襲ったのだ。家畜たちの区画がどういう構造なのかは知らないけど、電源なしで強烈な揺れを吸収できるようなものではないだろう。揺れそのもので死んでしまったのでなくても、酷いストレスに晒された個体がこの先満足に生育する見込みはないと塔が判断したのかもしれない。

 いずれにしても冷凍に回しきれないほどの食肉が放出されたのだと想像がついた。複雑な気持ちになったけど、こうなった以上はおいしく消費するのが生きている者たちの使命なのかもしれない。島の人々もそんな事情を理解しているから集まっているのかもしれない。


 10分ほど並んで各種肉を買い込み、塔の外壁についたオンボロのエレベーターに乗って下層に向かった。前よりもっと揺れが酷くなったような気がしたけど、ともかく動いてはいた。さすがのカイもぎゅっと手摺を握って少し恐そうだった。

 下に着くと甲板の上が荒れているのがわかった。昨晩は暗くてわからなかったけど、瓦礫の破片だけじゃない。ハトやヒヨドリ、中にはカラスなど、鳥の死骸がたくさん落ちていた。注意して歩かないと踏んづけてしまいそうだった。新しい死骸だ。雨風に打たれて汚れてはいたけど、まだ新しく、荒らされた形跡もなかった。死骸というよりは「遺体」という感じだった。

「こんなに……」とカイは呟いた。

「こんなに?」

「いつもなら1羽か2羽なんだ。きっとフラムが高く上がったんだ」

「ああ、鳥たちは甲板の裏に逃げていて、嵐のせいで巻き上げられたフラムを吸ってしまったのね」

 鳥は人間よりずっと体が小さいし、呼吸も心拍数も速い。フラム耐性も人間よりずっと低い。

「塔の上ではフラムを避ける習性を持った鳥たちだけが生き残ってきた。でもこうして時にはそれが通用しないこともある」

 クローディアはヒヨドリの死骸を1つ両手で拾い上げた。ぐったりして予想よりも重く、目は眩しさに細められたように閉じていた。一度雨に打たれて冷え切ったはずだ。羽毛の保温性が自分の手の温度を跳ね返しているだけなのだろうけど、でもその体はまだ温かく感じられた。

「鳥たちの死骸は焼いたりしないの?」

「焼く? ……ああ、いや、食べようって訳じゃなくてね」

「うん」

「他の鳥が食べるんだよ」カイはそう言って下の甲板に続く階段を下り始めた。

 下層は日当たりも水捌けも悪く、嵐から1日明けてもまだ雨上がりの様相を呈していた。甲板の微妙な窪みに雨水が溜まり、舗装の亀裂から生えた雑草の葉に水滴が光っていた。時折中層甲板の裏から落ちてくる巨大な水滴が「バチン」と音を立てて跳ねていた。


 階段を伝って2層ほど下ると、塔の陰から甲板の上にたむろするカラスの群れが見えてきた。死んだ鳥たちを食べているようだ。そういえば葬式の間カラスたちの姿を見なかった。ラウラを見つけたら寄ってきそうなものだけど、1羽も見かけなかった。死体漁りに夢中になっていたせいか。

「嵐が止んですぐに下りてくるとまだフラムが引いていないから、一晩置いてからにするんだ。やっぱり賢いよ」

「フラムで死んだ鳥たちを食べているの?」

「そう。フラムが影響するのは呼吸器だから食べる分には問題ないみたいなんだ」

「消化器に入れて消化してしまえば問題ない」

「そうらしい、ということくらいしか知らないけど」

 フラムを吸って死んだということは死体の中にはフラムが残っていることになる。それを摂取するのは普通の生き物には危険なことのように思えた。

「地上にいる時、私も死んで落ちてきた鳥を食べたことがあるの。でもそれって天使だから大丈夫なんだと思ってた」

「落ちてきたって、ニワトリとかじゃないでしょ?」

「違う違う。スズメとか」

「そいつはなかなかワイルドだね」

「だって新鮮な食べ物なんてそれくらいだし、ちゃんと羽根を毟って捌いて料理して食べるのよ」クローディアは少し恥ずかしくなった。カイの抱いたイメージが怪獣みたいにスズメを丸かじりにしている姿だったら心外だ。

「まあ、体の外側にはフラムがついているだろうから、洗わずに食べようとしたら口に近づけた時に吸っちゃう。リスキーには変わりないよ」


 カラスたちは2人が横を通っても特に気にせずエサの奪い合いを続けていた。他にもたくさん落ちているのに。でも奪い合うのが彼らの愉しみなのだろう。

「鳥の死体をそのままにしておくのは、こうやって生きている生き物の糧にするためだと思うよ」カイは言った。

「塔の上は食べ物が少ないから?」

「そう」

「人の死体もそのままにしておいたらこんなふうに食べられるのかな」

「……そうならないように火葬するんだと思うけど」

「それとも、塔の中で生まれた宗教には他の生き物の死についての教えがなかったのかもしれない。食べ物になって死んでいく家畜以外の死を扱うことができないのかもしれない」

 クローディアはイワツバメのコロニーを思い出した。それはこの塔が傷ついたからこそ生まれたものだ。完全な状態の塔はまだ人間だけのものだったのかもしれない。朽ちていくことによって塔は他の生き物にも開かれていく。そういうことだろうか。

「骨や羽根は燃えるゴミにするの? 雨風が完全に片付けてくれるわけではないだろうし」

「……うん、そうだね。あまり意識していなかったけど、拾って捨てている」

「ゴミは塔の中に入れて下の焼却炉で燃やすのよね。跡形もなく蒸発する。完全な気体になる。その方が空や風に近いのにね」

「まあね」

「天使が死んだらどっちで焼くのかしら」

「火葬炉だよ」

 カイは即答したあと、そんなことは言うべきじゃなかったというような顔をした。

 どちらでもないかもしれない。だいたい焼かれるかどうかもわからない。そう思ったけど言うのはやめておいた。


 最下層の飛行場にもカラスが集まっていた。けれど死体漁りをしているわけじゃない。ラウラの周りに集まって座ったり羽繕いをしたりしていた。決して餌を撒いているわけじゃないのにカラスたちはラウラのところに集まる。居場所の基準が彼女なのか、いや、それとも彼女の家を基準にしていたのかなくなってしまって彼らも困っているのかもしれなかった。

 ラウラは飛行場の脇の段差に腰を下ろしてカラスたちと遊んでいた。遠くからでもわかったのは葬式の時のままの黒いワンピースを着ていたからだ。

「私がいると集まって来るんだ。姉さんの家の周りに呼び寄せるのも迷惑だからね。嫌ならまた上層に連れていくよ」

「私はべつに」

「うん」カイも頷いた。

「でも気を遣うほどお客さんが来てるの?」

「そう。頭痛や吐き気、要は酔いだね。塔の揺れや気圧の変化にやられた人が結構いるのさ」

「単純に塔の中に閉じこもっていたストレスも効いてるんじゃないかな」とカイ。

「結構な割合でカラスを怖がるのさ。不吉だって言う人もいるね。どうしてかな。こんなに綺麗なのに」ラウラは膝の上に乗せた大きなカラスの喉を撫でながら言った。「まあ、あの診療所で私が手伝えるのも薬のことくらいだからね、わざわざ居心地を悪くしてやることもないさ。ほら、カイの家も後始末をやるんだろう? 手伝ってあげるよ」


 カイの家の被害は大したものではなかった。防水シートとか壁紙の破片のようなものがあちこちに貼り付いている程度、何ならアルルの家より軽傷だった。塔の東向き、つまり風下側だったおかげだろうか

 いずれにしても雨風で付着したフラムを洗い流さなければならない。雨そのものはフラムを含んでいるわけではないけど、空気中に漂うフラムを撃ち落としたり甲板や建物に塗りつける効果はある。

 外の蛇口にホースをつなぎ、屋根に上って上から水をかける。最初は配管の汚れが混じった茶色い水が出てちょっとびっくりしたけど、5分くらい出しっぱなしにしておくと綺麗な水に変わった。口を絞って勢いをつける。白雲に反射した太陽の光で水流が飴細工のように光った。

 カイがデッキブラシで外壁や甲板を擦り、ラウラがワイパーを使って溜まった水を掃き出した。水は甲板の微妙な傾斜に沿って排水溝に集まり、甲板の端から虚空に向かって流れ落ちていった。

 カラスたちは珍しそうに母屋やガレージの軒に集まってきてクローディアが散水するのを鑑賞していた。喉が渇いたのか、と思って桶を出してきて水を溜めてやると、偉そうな大きなカラスからざぶんと入って水浴びしていた。

 彼らがフラムの毒性を理解しているのかどうかは知らないけど、ともかく嵐のあとの下層が衛生的な場所じゃないってことは意識しているみたいだ。きっと彼らも同族の死から多くを学んだのだろう。


 水撒きが終わってカイがシャワーを浴びている間にラウラが昼食を用意してくれた。食事の間はやっぱり嵐の話になったのだけど、その流れでクローディアがヴィカの名前を出すとラウラはなんだかすごく嫌そうな顔をした。




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