ラベイジング・プレモニション
昼過ぎからゲストハウスにサフォンを呼んで3人でテレビの前に座ってエアレースの生放送を見た。
今までギグリが務めていた開会の儀にリリスが登壇するわけだが、彼女が姿を現すなり客席の雛壇からブーイングのようなどよめきが起こった。リリスが何かヘマをやったわけではない。彼らはただギグリがいないことにを訝しんでいるのだ。
ギグリはそれを見て安堵とも呆れともつかない溜息を漏らした。だがリリスが毅然と口上を述べるうちに客席は一度静まり、そして拍手に沸き立った。ギグリは何も言わなかった。リリスは褒めてやりたいし客のモラルも見直した。だが自分が差し置かれているのは気に食わない。そんなところだろう。それからギグリは自分の翼の中に手を突っ込んで無心に冬羽を毟りながら画面を見つめていた。
コースによって差はあるものの、エアレース1戦の所要時間は約40分、飛行距離がだいたい250kmになるように周回数が決められていて、40分なら1番組の枠にきっちり収められるのでテレビ放映上都合がいい。
歴史としては10時間耐久レースや20kmドラッグなどの方が長いのだが、長すぎたり短すぎたりして放送界にはあまり定着していなかった。その点グランプリツアーは放映を前提にルールが作られ、実際高い視聴率を記録している。毎週1時間12週というのは流しやすいし見やすいのだ。人気ゆえに本番前後にももう30分ずつ枠をとって選手紹介や開会の儀、表彰式の様子、ハイライトを流す局も多く、要はアルピナ局もその1つだった。
第5戦のテルアペルは上昇下降を多用するコースだが、ミア・グライヴィッツは後続に迫られながらも1位でフィニッシュした。4戦と5戦は必ず優勝者が変わるというジンクスを打ち破ったわけだ。
リリスはミアのチームのヴィクトリークイーンを他のクイーンに任せ、ギグリの代役としてシュナイダーに付き従って上位3チームに表彰盾を渡した。公平を期すには当然の姿勢だが、評価できる。
エキシビションで優勝パイロットがアクロバットを披露するまでの間、カメラは会場の様子を移していた。贔屓のチームのエンブレムを頬に描いて盛り上がる観客、レース機の前でポーズをとるクイーン、機体の整備に奔走するチームスタッフたち。会場の入口にギグリとリリスの等身大パネルが並んでいる
ミア・グライヴィッツはチームの予備機を駆って思い思いに廃墟の上を飛び、くるくると回りながら下りてきて軽やかに着地した。
問題はそのあとだった。
「今日はもうひとつエキシビションを用意しています」とキャスターが言うのに合わせて滑走路に2機の戦闘機が現れた。どちらも派手なカラーリング。1機は赤白黄色で塗ったベイロンのアクロバットチームのアルサクル、もう1機は青白ツートーンのアネモスだった。もちろんアネモスはエトルキアの主力戦闘機で、ルフト空軍は採用していない。
なぜこの2機が仲良く並んでいる?
「今日はエトルキア空軍機を多く手掛けるスパルタン・エレクトリックからアネモスの試作機がはるばるやってきました。アルサクルとの模擬空戦を披露してくれるようです」
レース機のレシプロエンジンとはまた違った雷のような轟音を立てて2機の戦闘機が滑走路に滑り出し、アルサクルを前にして飛び立った。10秒ほど高度を上げずに直進、排気口に長い炎を引きながら爆発的な勢いで上昇していく。
そうして2機はツバメのつがいのように互いを追いかけながら島の上空でくるくると舞い踊った。
キャスターは実況の合間に解説を加えた。
「アルサクルはアネモスに対抗するべくルフト空軍とヴァド・ハツラ設計局が開発した最新鋭戦闘機です。機体性能、電子装備、あらゆる点でアネモスを凌駕すると言われ、特に機動性がよく、近接戦闘になれば絶対に負けることはないとパイロットたちの評価も上々です。
対するアネモスはアルサクルとの性能差を埋めるためにさらに強力なエンジンに換装した新型。エンジン出力は従来型に比べ約10パーセントアップ、さらに軽量素材の導入により空虚重量は6パーセント削減。ひと回り、いや、ふた回り身軽になってアルサクルに追い縋ります」
2機のドッグファイトは互角に見えたが、絡み合うような軌道の間隙を縫ってアルサクルが背面でふわりと浮き上がり、アネモスの予測進路にきっかり機首を合わせた。
するとアネモスが両翼端から白いスモークを引き始めた。撃たれた、というアピールらしい。もちろん本当に実弾を撃ち合っているわけじゃない。ただのデモンストレーションだ。
5分ほどの空戦だっただろう。ルフト機の勝利を理解した観客たちは歓声を上げた。かなりの盛り上がりだ。
だが勝敗は始まる前から取り決めてあったのだろう。ルフト受けを考えるならエトルキアの戦闘機は負けた方がずっと印象がいい。
その様子を見届けてギグリは「んーむ」と唸った。
「どうしました?」
「私はミアとリリスを見くびっていたのかもしれないわね」
エヴァレットは観客のチョロさに嘲笑を浮かべていたくらいだったが、ギグリの反応を見て思いのほか深刻な事態なのかもしれないと顔を引き締めた。
「これ、当然スパルタンは大会に出資しているわけでしょう。これだけ色々なスポンサーの懸賞バナーが貼ってあってテレビに映らないくらいだから、まだ少額なのだろうけど……」
「これからどんどん積み増してくる可能性があると」
「可能性も何も、これだけのアピールをやるのだから、そのつもりなのでしょう。エトルキアに占領された時からエトルキア資本の流入は十分予想できたし、実際少しずつ入ってきていたのよ。ルフト側からの減収分を補填するくらいの額にはなるだろうと思っていたわね。でもスパルタンのようなメガ・インテグレーターが手を出してくるとなると話は全然違う」
ギグリは自分の鼻筋に指を当てて考えていた。
エアレースの財政はエアレース大会事務局の会計をフェアチャイルドが直接監督するような体制をとっていた。実際ギグリが任されていた部分も大きいのかもしれない。エヴァレットは把握していない側面だった。
「エトルキアの会社が大会のスポンサーになるってことですか?」サフォンが訊いた。ギグリの様子を敏感に感じ取って緊張した面持ちになっていた。
「そうね。今まではルフトの出資元が9割以上を占めていたのよ。でももしかするとその割合は半分くらいまで下がってしまうかもしれない」
エトルキアよりルフトの方が遥かに市場原理の普及した国家だが、それでも国力の差は歴然。経済規模もまだエトルキアの方が大きい。ルフト航空界最大手のモラブチェクだってスパルタン・エレクトリックに比べれば半分以下の規模だ。
「そうすると何か悪いことが起こるんですね」とサフォン。
「エトルキアの企業は当然エトルキアにたくさんのお客を抱えている。エトルキアの人々が見たいエアレースに変わっていくかもしれない。まず、私たちはどうなるかしら。天使のクイーンも何人かいるけど、エトルキアに配慮すると彼女たちは少し表に出づらくなるわね。たとえ直接大会に関与するのが差別意識のない人間ばかりであっても」
「天使がベイロンにいづらくなってしまうかもしれない」
「そういうことにもなりかねない、ということよ。ルフトはエトルキアに対して経済封鎖をしてきたけれど、それは単なる制裁や断交ではなくて、人や物の行き来を制限して価値観の侵食を防ぐためのものでもあったの」
サフォンは神妙な顔で頷いた。
「経済がわかってるのかわかってないのか、うん……リリスがついているのだからわかってやってるんでしょうけど、連邦政府から引っ張ってくるのはまだしも、エトルキアまで視野に入れているとは思わなかったわ」
「しかしエトルキアはエアレースを取り締まっていませんでしたか。スパルタンが宣伝を始めたら余計
「エトルキアはコースが少ないのよ。整備に手が回っていない。でもコース以外でアクロバットをしてはいけない、と言っている。あの国は大抵の廃墟が軍の訓練空域に指定してあるから、どうしてもそこがぶつかるの。それだけ」
「政府が何ヶ所かコースを指定すれば丸く収まると」
「おそらくは」
「シュナイダーも当然この件は認知しているでしょう?」
「そうね。でも彼も帰化したとはいえエトルキアの軍歴も長い。今のクーデターだってエトルキアの支援ありき。あまり抵抗がないのよ」
「うーむ……」エヴァレットは唸った。「モラブチェクはどう動くでしょうか」
「どうかしら……。ああ、そう、モラブチェクね。そうか、むしろシュナイダーの方から働きかけていたのかもしれないわね。エトルキア資金も視野に入れていると言ってモラブチェクに増資を求めた。でもあまりいい返事をもらえなかったのか、ただ回答待ちなのか、今回スパルタンにお試しで出てもらって揺さぶりをかけているのかもしれないわね。彼としてはそういうつもりなんでしょう」
「モラブチェクは張り合うでしょうか」
「いや、きっとしないでしょうね。むしろリズキルヒェンだけは堅持してあとは手を引くか……。自分より大きな競合企業が入ってくるのだから、今までほどの投資の価値は感じなくなるでしょう。この間の会食では表向きミアに賛同していたけれどね。――そもそもあそこは大会全体で見れば決してトップクラスの出資者というわけではないわ。ある意味リズキルヒェンがすごくコストパフォーマンスのいい広告塔として機能しているのよ」
「ギグリ様はエアレースがエトルキアのものになってしまうのは嫌なのですね」頭がこんがらがってきたのか、サフォンは端的な結論を求めた。
その質問にギグリはちょっとハッとした顔をして考え直した。
「そう。嫌よ、絶対に嫌。だってあれはアーヴィング様が打ち立てた独立と復興のシンボルなのよ」
「シュナイダーを――」
シュナイダーを説得しないといけない。そう言いかけてエヴァレットは口をつぐんだ。ギグリは第5戦をリリスに任せたのだ。今さら裏工作でその道を阻むような真似はギグリなら絶対にしない。
だがそれは同時に第6戦でギグリが復帰すれば財政的な主導権も彼女に戻るということを意味している。次方向修正すればいいはずだ。
なぜギグリはこんなに事態を深刻に捉えている?
サフォンもそこに気づいたようだった。
「あの、ギグリ様、もし人気投票に負けたら――」
「負けないわよ。大丈夫」ギグリはサフォンの言葉を遮った。でもそこには普段なら満ち満ちているはずの自信が欠落していた。
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