サルベージ

 思えばクローディアがカイの家に入るのは初めてのことだった。

 カイの家は最下層飛行場の脇にあって、玄関の横に内側でつながった大きなガレージがついていた。

 その中ほぼいっぱいに幅を使って1機のレース機が翼を休めていた。尾輪式のオーソドックスな構成。でも機首には環形の空気取り入れ口がついていた。レース機によくある尖った機首とは違う。

 それはプロストレーターでもなければ、カイ自作のナイブスでもなかった。

「これもカイが作ったの?」クローディアは訊いた。

「いや、これは父さんの飛行機だよ」

「ファウロス・エバート?」

「うん」

「でも彼は絶対王者で、チャンピオンは賞金と引き換えに飛行機を博物館に納めるんでしょう? 一度でも負けたことがあったの?」クローディアはギグリに教わったことを思い出しながら言った。

「あった。ひどい風邪をひいてファイナルに出られなかったんだ」カイは笑った。「ファイナルでも縮められないほどの点差をつけていたわけじゃなかったんだ。その時の飛行機だよ」


 表の方は油臭かったけれど、廊下を奥へ入るとリビングがあり、寝室が2つあり、ごくまともな生活空間になっていた。

 カイはキッチンの冷蔵庫を開けて中層の商店街で買ってきたマスを入れた。例のぼったくりの魚屋のマスだ。高いだけあって大きく丸々としていた。あとでアルルを呼んで一緒にムニエルを食べようという話になっていた。

 カイはジャケットを脱いで作業着に着替えた。クローディアにもツナギを渡した。

「何をするの?」

「表に滑り込んでる飛行機、あれを早く起こしてやりたかったんだ。帰ってきたら一番にやろうって決めてたんだよ」

「力仕事でしょ?」

「見てるだけでもいいよ」

 そう言われたのがなんだかしゃくだったのでクローディアは隣の部屋に入ってアルルから借りている服を脱ぎ、ツナギに足を通した。腰まではよかったが、翼を中に入れようとすると背中がゴワゴワして袖に手が入らなかった。しかも羽根の先が尻に当たって嫌な感じだった。3回くらいトライしてきっぱり諦め、腰の前で袖を結んだ。

 上はベイロンで手に入れたスポーツブラだ。恥ずかしくないし、黒だから汚れてもわからないだろう。

 ちょっとストレスだったので2,3度バタバタ羽ばたいてから部屋を出た。

「無理、こういうの着れないわ」

「あ、そうだったな。ごめん。セパレートのやつを探してくるよ」

「いいよ、もう、このままで。それで、どうするの?」

 カイは外に出てガレージの横に回った。10mくらいもありそうな長い鉄パイプが3本寝かされていた。カイはそれを1本ずつ引きずって滑走路の上にうずくまっているナイブスのところまで持っていき、その周りに放射状に配置した。

 機体のエンジン部分にクッション用のシートをかぶせてパイプを立てかけ、3本が交わったところで交点を太い番線で結び合わせた。もちろん素手ではなく鉤のような道具を使っていた。

 それからパイプの外側へ行って中心に向かって力いっぱい押し込むと、きつく結ばれた交点に釣られてパイプが3本とも機体から浮き上がった。

 押し込んだ1本の端をしっかりと地面に蹴り込んで次へ。

 そうして他の2本も同じくらい押し込んで中心とバランスを保ち、3本を順に回りながら交点を少しずつ押し上げていった。

 頃合いを見て交点にウィンチとチェーンをかける頃にはカイはヘトヘトの汗だくになっていた。

「手伝おうか?」クローディアは見ているだけなのが心苦しくなってきた。

「大、丈、夫。あとでちゃんと仕事任せるから」カイはボタボタ汗を垂らしながら答えた。

 結局カイは1人でパイプを立ち上げた。櫓のような具合で、てっぺんの高さは8mといったところだ。

 カイは機体のシートを剥がしてエンジンの覆いを外し、エンジンを支えている太いフレームにチェーンを渡し、ウィンチに通して何度かハンドルを動かして締め付けた。

「あとは頼むよ」カイはナメクジのように翼の上を滑り降りてきてクローディアにバトンタッチした。

「ウィンチを巻けばいいのね?」

「そう。機体を持ち上げるんだ。手を挟まないように。あと、たぶん機首が下がって傾いてくるから滑り落ちないように気をつけて」

 クローディアはウィンチのハンドルを漕ぎ始めた。手を動かすわりにチェーンはなかなか縮まない。そのくせ決して軽いわけでもなかった。時々腕を休ませながら漕いだ。

 やがて胴体後部が浮いて機首を軸にぐらぐら揺れ始め、だんだんバランスが取れないくらいの傾きになってきたので曲がったプロペラに手を伸ばして支えにした。

「もういいよ」カイが呼んだ。「コクピットに入れる?」 

 クローディアはエンジン周りのフレームに足をかけ、キャノピーの隙間に滑り込み、ごそごそ動いてシートに収まった。とはいえペダルに足を踏んばった状態で、腰は浮いていた。

「左下に大きいレバーがあるでしょ。頭がタイヤみたいな形のやつ」カイはコクピットの左下に来て指示した。

「これ?」

「いや見えないけど。それ、捻れるようになってる?」

 クローディアはレバーの頭を右に回した。というか回った。それを回しながらでないとレバーが下がらないようになっているみたいだった。

「回った」

「ならそれだ」

「下げればいいの?」

「いや、下まで行かないで途中で止めてほしい。ぶらぶらするけどそれでいいから」

 言うとおりにするとギアの入っていないクラッチレバーのような感じになった。

「よし、下りてきた。それでいいよ。しばらく待ってて」

「何のレバーなの?」

「脚だよ。タイヤ。モーターなしでも下りるようになってるんだ」

 おそらく垂れ下がってきた主脚の根本をカイが腕力でロックしたのだろう。ガチンという衝撃がシートの下から2回伝わってきた。

「次、前脚やるから、合図したらレバーを下に押し込んで。それがロックになってるんだ」

 カイはウェイトリフティングのように機首を抱え、両腕が伸び切るところまで押し上げた。機体の傾きはぐいぐいと水平に戻り、むしろ後傾するくらいになった。

「いま!」とカイ。

 クローディアはレバーを押し込んだ。かなり固かったけど、何かがしっくりと嵌る気持ちのいい感触があった。

 カイが力を抜くと機体は浅い前傾に戻り、ふらふらと尾部を振った。

「よし、ウィンチを緩めて」

 クローディアはコクピットを出た。傾きが減ってさっきよりずっと作業しやすくなっていた。ラッチを逆にして軽くなったハンドルを漕ぎ、たるんだチェーンを肩にかけてウィンチから引き抜いた。

 カイは始めと逆の手順で即席クレーンを崩して地面に下ろした。先に機体が抜けるならもっと雑に倒してもいいのだろうけど、主翼が知恵の輪のようになっていてダメだった。

 クローディアは地面に降りて飛行機の腹の下を確認した。全体的に銀色の外板がふやふやに歪んで土まみれになっていた。脚自体は全然傷んでいないけど、後ろ脚のタイヤは両方とも溶けてなくなっていた。

「カイって力持ちなのね」クローディアは機首を押し上げながら言った。

「軽く作っただけさ。引っ張ってみればいいよ。きっと軽いと思うと思う」カイはそう言ってチェーンを前脚にかけ、クローディアに持たせた。

 引っ張ってみると意外に軽かった。まるでおもちゃのダンプカーみたいだ。重さより地面の引っ掛かりの方が厄介だった。

 クローディアはちょっと思いついて翼を動かして後ろに風を送ってみた。

 機首についた小さな翼が風を掴んで前脚を少し軽くしてくれた。この方がいい。楽だ。

「じゃあガレージの前まで頼むよ」カイはわざとらしく手を振った。

「えっ。300メートルくらいあるじゃない」

「俺は単管(鉄パイプ)を運ばなきゃいけないからさ」


 夕方、アルルはモルを連れてきた。

 ミルドのことがあって最後に会った時は気まずい空気だったのでカイもクローディアも一瞬ギョッとしたけど、モルはいたって上機嫌だった。ジャンパーの下にオリーブ色のワンピースを着て、小麦色の長い髪をアップにまとめていた。翡翠色の目が

「あなたがクローディアね。私はモル。モルガン。ミルドの妹。こんな飛行機バカに振り回されて、大変でしょ?」

「ええ、まあ」

 クローディアは戸惑った。兄の死を聞いて泣き崩れそうになっていた少女と同一人物とは思えなかった。

「よろしくね。――カイも、この間はごめんね。私もさすがにちょっと参っちゃってさ」

「いや、いいんだ」

 モルを中へ通したあと、アルルは少し玄関先で待って話を続けた。

「余計なことしちゃったかしら」

「いや、この方が良かったよ。あれがカラ元気じゃなければいいんだけど」

「クローディア、あなたの事情も一通り話してあるから」

「ありがとう」

 マスはアルルが捌いてモルが衣をつけ、カイが焼いた。とはいえカイは火加減や油の量をモルに細かく訊いていた。一番料理が上手いのはモルなのだろう。その間クローディアは食器の準備と部屋の片づけをしていた。

 4人でテーブルを囲むと部屋は思いのほか狭く、大きなマスもペロリとなくなってしまった。それからクローディアの作っておいたババロアをスプーンでつつきながら話を続けた。

「こういう話も蒸し返すみたいでちょっと嫌なんだけど」モルが言った。「ミルドはまだアイゼンにいるのかしら」

「じゃあ、家には戻っていないの?」カイが答えた。

「ない、ない」

「誰か仲間が連れ帰ってくれたものだと思っていたんだけど」

「うん」

「というのもね、俺たちはベイロンからの帰りにアイゼンに寄ったんだよ。その場所を訪ねてきたんだ。でもミルドの体はもうそこにはなかった」

「まだ生きてるってことはないの?」モルは冗談半分に訊いた。

「残念だけど、それは確かめたよ」

「じゃあ、どう説明するの?」

「俺でもない。他の仲間でもない。別の誰かがアイゼンに立ち入ったのかな……。エトルキア軍が、というのはありうるかもしれない。でもだとしたら残骸も片付けるだろうし、片付けるくらいなら今だって駐留していそうなものだよな。とにかく、明日ヴィカに訊いてみるよ。仲間にももう一度訊いてみる」

「頼むわね。かわいそうとか、そういうんじゃなくて、ただ、不可解なの。不可解ってそのままにしておきたくないでしょ?」モルは言った。神妙な表情なのに、口元だけは無理やりにでも微笑の形を保っていた。


 モルが先に帰るというのでクローディアは途中までついていくことにした。外はすっかり暗くなり、冷たい風が強く吹き、空は澄んで星が瞬いていた。真上は中層甲板のせいで見えないけど、水平線から上に30度くらいはぎっしりと星が見えた。

「すごい星空」クローディアは呟いた。

「ベイロンでは見えなかった?」モルはジャンパーのポケットに手を突っ込んで白い息を吐いていた。

「うん。もっと曇っていた」

「そうか、都市型の島は生活排煙が多いから。……工場っていうと空気を汚しそうなものだけど、そうでもないんだよ。ものすごいフィルターをものすごく重ねてるから、煙突から出てる空気は結構きれいなんだって。煙に見えるのは湯気で、煤煙じゃないんだ」

「へえ……」クローディアは上を見た。しかしごちゃごちゃした甲板の裏側が見えるだけだった。

「私、工場の食堂で働いてんの」モルは歩き始めた。

「だから料理が上手なのね。あ、逆か」

「おいしかった?」

「うん。おいしかった」

「クローディアのババロアもおいしかったよ」

 2人は顔を見合わせてにこっとした。


「ねえ、ミルドのこと聞いてもいい?」クローディアは訊いた。

「ん?」

「どんな兄弟だったのか」

「そうよね。どんな人間だったかも知らないのに惜しみようなんてないよね」

 それは少し皮肉っぽかったのでクローディアは黙っておいた。

「飛んでる時以外は面倒見のいい兄貴だったわね。もう一つ上の兄は割とワンマンな性格だったけど、ミルドはもう少しフレンドリーというか」

「カイも飛行機の制作を手伝ってもらったって言ってたわね」

「そう。仲間思いなのよ。いつかベイロンに連れて行ってやるって意気込んでいたのに、そう思うと残念よね。空軍に追われて墜落なんて、ロクでもない死に方だけど、それでも島の上で死ぬよりずっといいよ。パイロットとして自分の下手で死んだんだから、それは仕方ないわ」

 エレベーターの前に来たところでモルは立ち止まり、ワンピースの襟から楕円形のロケットペンダントを取り出してクローディアに見せた。開いてエレベーターの明かりに翳すと兄弟の写真が嵌め込まれているのがわかった。向かって右がミルドだ。モルによく似た顔立ちの少年だった。

「ここまででいいわ」モルはそこから1人で歩いていった。べつについてきてくれと彼女が言ったわけでもない。それはやんわりと「あとは1人にしてくれ」という意味を含んだ言葉だった。

「また明日。工場にお昼を食べに来てくれてもいいよ。その辺の管理雑だから」

「うん。また明日」

 クローディアはエレベーターの前でモルを見送った。タールベルグには街灯などない。彼女の姿は暗闇に紛れてすぐ見えなくなってしまった。クローディアもカイの家の明かりを頼りに引き返した。

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