第165話◇第九層・時空と『魔』の領域2
ユアンくんの動きが変わった。
こうなっては、強い【勇者】が一人増えたようなもの。
いくら【魔人】が強くとも、ここに揃うは上位の分霊や四大精霊と契約した【勇者】ばかり。
冒険者も自身の役割を把握し、死なないよう立ち回りながらサポートも欠かさないとなれば、魔物側が不利。
結果、負傷者は出しつつも、退場者はないままにフロアボスへと到達される事態に。
強力な種ほど搦め手を避け、堂々と上から叩き潰すやり方を好む傾向にある。
人が虫を踏む時に、大層な作戦を考えたりしないように。
【魔人】は強いからこそ、その卓越した技術と圧倒的魔力で以って冒険者撃退に臨み、敗れた。
フロアボスのエリアは、他の空間とほとんど同じ。
違いは、まともな床があることか。白く、硬い床材で丸く切り取られた空間。
「時の流れは、逆向きにすることが出来ない」
そう呟く銀髪の【魔人】は、目許を隠す仮面を着用している。
そして、その両手にはそれぞれ――頭部が掴まれていた。
【錬金術師】リューイさんと【召喚士】マルグレットさんの、首が。
「――――ッッ!」
冒険者達が瞠目する。
本職の戦闘職でない分、他の者達と比べて反応速度が僅かに劣る事実。これを【時の悪魔】アガレスの固有魔法『空間移動』の瞬間的連続使用によって突き、戦闘開始以前に首を刈るという策。
優秀な冒険者を、そもそも活躍させずに殺す為の技。
強力な種でありながら、策を講じることも躊躇わない男の本気。
視聴者は判断がつかないだろうが、角の魔力の大部分をこれに注ぎ込んだ筈だ。
もちろん彼はそんなことを表情にも出さず、淡々と続ける。
「故に、魔王様を害さんと迫る貴様らの罪も、無かったことには出来ない」
頭部から落ちる、ポタポタ……という血液を模した魔力。
ぴゅーと血を噴き出しながらふらふらと揺れ、そして倒れる首から下。
「この【時の悪魔】アガレスが、直々に裁きを下す」
「何が罪だよ、あたしらは喧嘩をしに来ただけだっつの!」
二人の体が崩壊し、魔力粒子に変わる。退場のその瞬間のことだった。
まるで『空間移動』の如き速度で、【魔剣の勇者】ヘルヴォールがアガレスの顔面に拳を叩き込む――かに思えた。
しかし気づけば、アガレスはヘルさんの背後に立っている。
そして、彼女の服の背中部分に、触れていた。
「流星を見たことはあるか?」
「あ?」
ヘルさんの姿が、消える。
「天より高き領域から、地に墜ちるがいい」
僕はなんとか確認出来た。というのも、映像室には各所を撮影するカメラがある。
フロアボスエリアには、実はもう一点それまでのエリアと異なることがある。
景色の所為でわかりにくいが、天井が異様に高いのだ。
それこそ、実際の空並に。
そして今、ヘルさんは流れ星のように、地上に迫っている。落下している。
仲間の誰も、目視どころか魔力も感じられないほどの上空にいた。
そう、『空間移動』でヘルさんを飛ばしたのだ。
レイド戦に参加する【勇者】の中で、彼女が一番この攻撃に弱い。
高所からの落下に対応する手が、他の者に比べて限られている。
もしあの高さから地面に激突すれば、さすがのヘルさんでもどうなるか。
「この程度で魔王様と戦おうなどと、身の程を知れ」
その声は、既に一瞬前までいた場所とは違う位置から聞こえる。
ユアンくんの眼前だ。
「ほう……多少は遣えるようになったようだ」
アガレスさんの手刀が弾かれた。
レイスくんが過去やっていた『空気の箱』で自分を守っていたのだ。
「しかし、閉じこもった者を殺せぬ私ではない」
「――あ、かッ……!?」
ユアンくんが全身から血を噴き出して、自身の作り出した箱の中で膝をつく。
「空間を越えるのが、ものだけとは限らない」
手元に生み出した極小の風刃を、ユアンくんの『空気の箱』の中に転移させ、彼を切り刻んだのだ。
「……つ、がまえた」
「――……」
アガレスさんは動かない。動けない。
右足に違和感があるようだ。
『空気の手』か何かで、ユアンくんが彼を掴んでいるようだ。
『空間移動』のような強力な魔法は、消費魔力が膨大だったり使用条件が厳しかったりする。
衣服ごと飛んでいるから何か持っていても飛べるのは確実。
問題は、どこまでのものなら飛ばせるのか。どのような状態なら飛べるのか。
結論から言えば、設定に沿って『空間移動』は行われる。
たとえば『自分と身につけたもの』を設定し、その通りのものを予定の場所に飛ばす、といった感じ。
だから、そこで何かが加わると設定が狂い、飛べなくなる。
床から生えた箱から伸びる、空気の手に体を掴まれた状態で飛ぶには、それらごと自分を飛ばす設定をしなければならないのだ。
『自分と身につけたもの&空気の手』という設定にしないままでは、飛べない。
――まずい。
ユアンくんの成長速度が想定外だ。
若い冒険者は功を焦る。派手な活躍を求めがちで、大技を好む。
冷静沈着で冒険者の常識に縛られない【氷の勇者】ベーラさんでさえ、初攻略では一刻も早く視聴者に認められるべく、単身【夢魔】達に挑み、上手く行ったと気を抜いたところで【恋情の悪魔】シトリーさんに倒された。
そういうものだし、そういう失敗を積み重ねて成長していくものなのだ。
その点、レイスくんとフランさんは例外的存在だが。
ユアンくんは技術と威力を兼ね備えた有望な新人だった。
技術の部分は、これまであまり表に出てこなかっただけで、備えている。そうでなければ次席で
だが防御だけでなく、自分が大ダメージを受けた直後の足止めまで気が回るとは。
これまでとスタイルが違う。何か大きな転機があったのか。
「よくやった、ユアン」
雷の落ちる、音がした。
まず閃光。聖剣を抜いた【迅雷の勇者】スカハさんが駆ける。
少し遅れて、雷鳴。
普段なら、雷鳴と共に敵が散る。
しかし。
「人にとっては、天より下る雷槍は畏怖の対象なのだろうな」
アガレスさんは、聖剣を蹴りで受け止める。
掴まれた右足をすぐさま切断し、切断面から風刃を生やしながら蹴りを放ったのだ。
いかなる処理を施してあるのか、雷電は風刃内部で火花を散らし、アガレスさん自身に痺れをもたらさない。
「我らが恐れるは魔王様の怒りのみ」
飛んだ。
スカハさんごと。
アガレスさんは自分に向かっていた【破壊者】フランさんの眼前に。
そしてスカハさんを、そんな自分と【狩人】スーリさんの直線上に落とした。
これによって、僅かではあるがスーリさんの射線を塞ぐことが出来る。
その僅かな時で、フランさんとの戦いを終わらせるつもりのようだ。
「戦場に立てば老若男女は意味を持たない」
「当たり前」
「その覚悟や良し」
フランさんは右の巨腕でアガレスさんを殴りつけた。
それは空振る。
アガレスさんが背後に出現したからだ。
しかしそれはヘルさんの前で一度見せたもの。
予期していたのか、フランさんは止まらない。
目の前のアガレスさんを殴りつけるかに思えた拳は、最初から背後に迫る者を殴る為に放たれたようだった。
ぐりんっと回転したフランさんの拳が、空間をえぐるように振り抜かれる。
だが、またしても彼の姿はそこに無かった。
フランさんの頭上に、天と地を逆にした姿勢のアガレスさんが、いた。
彼がフランさんに手を向け、そこから大規模な爆破魔法を放つ。
そしてすかさずまた転移。
圧倒的。
冒険者の手をことごとく躱し、敵戦力を削り続け、翻弄する最後の四天王。
全滅に近い被害を受けてしまうのではないか、視聴者がそう心配してしまうほどの猛攻。
それが――唐突に終わる。
「…………? …………な、に……!?」
驚きは二つ。
一つはフランさんが無事だったこと。
レイスくんが絶妙なタイミングで風魔法を発動し、爆風から幼馴染を守ったのだ。
それだけならばいい。レイスくんの実力は把握している。そのようなこともあるだろう。
もう一つ。
アガレスさんの体が、まるで削り取られたように、欠けている。
「『天空の箱庭』という精霊術でね。空間を自在に切り取り、配置換えすることが出来るんだ」
アガレスさんの上半身が丸く切り取られ、エアリアルさんの目の前の空間にその部分が浮いている。
それは奇妙な光景だった。
「血が出ないのが不思議だろう? これでも君の体はまだ繋がっている。だが私がこうして――接続を解いてしまえば」
「――――」
音もなく、アガレスさんの肉体から血が噴き出した。
フェニクスの『神々の焔』にならぶ精霊術の深奥。
『空間移動』の更に上、『空間支配』とでも言うべき高位の精霊術。
「素晴らしいよ、【時の悪魔】アガレス。私はこの精霊術があまり好きではなくてね、使うのは実に二十数年ぶりなのだ」
地水火風の四大属性魔法。これは
精霊術を、
そして、それを授けてくれた存在に、人は冠をつけた。
地精霊、水精霊、火精霊、風精霊、と。
人からすれば、魔法を与えてくれた存在だから。
「だが、風で君を刻むのは難しいようだから」
しかし、だ。当たり前のように、精霊のレベルに合わせた精霊術がある。
始まりの大地、母なる海、一なる風、原初の火。
それらは正しいかもしれないが、人の想像だ。
彼らが司るのは、もっと上位の
『神々の焔』が、近づくだけで万物を焼却する、火の形をした何かだったように。
精霊術の深奥とは、彼らと極めて適合性の高い人間にのみ限定的に許される、四大属性魔法を超えた術。
『空間支配』は風属性魔法などではない。
人が風精霊と呼ぶ存在に許された権能を、エアリアルという契約者に貸し与えたもの。
四大精霊本体に気に入られた特別な人間にのみ許される、幾つかの奇跡の一つ。
「――ま、だだ」
体を丸く切り取られたアガレスさんは、それでも退場していなかった。
頭部は首と、僅かに残った左肩を通じてなんとか下半身と繋がっている状態。
そんな状態でありながら、彼は『空間移動』を発動した。
一体、誰の元へ飛ぼうとしたのだろう。
彼は、すぐ隣に移動しただけだった。
「済まない。仲間の近くの空間は、君の近くと入れ替えてしまった」
「――――」
どこに飛ぼうとしても、目的の空間はエアリアルがかき混ぜてしまった。
目的地と実際に飛ぶ位置がズラされてしまっては、『空間移動』の真価を発揮できない。
「魔王には逢う。その為にここに来たのだからね」
「……申し訳ございません、魔王様」
そうして、アガレスさんの体が――散った。
エアリアルさんの精霊術によって決着が早まった為、ユアンくんがダメージで退場する前の攻略となり、ヘルさんが地面に激突する未来も回避された。
第九層は、攻略されてしまった。
結果的に、全ての【勇者】を残して。
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