第186話 見合い

(この人……きっとお父様に豪華な屋敷を見せつけろって言われたのね。男が裕福なら女はなびく、とか言われて。それでこうやって、あちこち銭のかかっていそうな所ばかりを見せつけてるんだ)


 春鈴は張占チョウセンの話を聞き流しながら、そう感じた。


 張占はずっと広壮な屋敷や高価な調度品、使用人の多さなど、春鈴にとってどうでもよい事を話し続けている。


 正直つまらなくはあったが、張占が一生懸命説明してくれるのでそう言うわけにもいかなかった。


 ただ、春鈴から見ると張占自身もそういった高価なものに興味を持っていないように感じられた。


 一生懸命説明してくれはするが、そのもの自体に対する愛情を全く感じないのだ。だから、きっと父親にそう言うように言われたのだろうと思った。


(もっと自分の言葉で話してくれればいいのに。きっと悪い人じゃないんだから)


 春鈴がそう思ったのは、先ほど使用人の居住区を説明された時に、


「……ここは別にいいって言われているんですけど、一応。うちの使用人たちは、ちょっと狭いけどほぼ全員に個室があるんですよ。そんな良い待遇をしている家は、あまりないと思います」


そう言っていたからだ。その時だけは、本心から誇らしそうだった。


(でも、この人とは結婚できない。きっとお互いが不幸になる)


 春鈴は会って間もないこの若者に対して、早々に結論を得てしまっていた。


 相性が悪い。直感的にそう思った。何となくだが、隣りに座っていた祖父もそう思っていたように感じられた。


 春鈴は武術をやっていることも影響しているのか、竹を割ったような性格をしている。結論が出てしまえば、それ以上相手に手間を取らせるのは申し訳ないと思った。


「この大きな柱は一本の大木から切り出されていて……」


「あの、すいません」


 春鈴は張占の説明を声を上げて遮った。


「……なんですか?」


 張占は春鈴を振り向いた。


 そしてまっすぐに顔を見て、少し恥ずかしそうに目をそらした。確かに張占は春鈴に惚れていた。


 しかし、春鈴はそんな事には気付かずに結論を告げた。


「多分、お時間を取らせるだけで無駄になってしまうと思うんです」


「……無駄、というと?」


 張占は春鈴の言わんとすることに全く気付かなかったわけではないだろうが、あえて分からないと思いこんで聞き返した。


 しかし、春鈴は容赦がなかった。


「私とあなたとのことです」


「…………」


 張占は絶句した。見合いの途中で、まさかここまではっきりと告げられるとは思っていなかった。


 胸から喉にかけて、締め付けられるように苦しい。うつむき、楽になるよう深く息をしたが、やはり苦しい。


 張占はしばらく黙ったままそうしていた。春鈴もそれ以上は何も言わない。


 どのくらい時間が経ったか、張占は突然顔を上げると春鈴の手を掴んだ。そしてそれを引いて歩き出した。


「え?ちょっと……」


 春鈴は反射的に、


(不覚を取った)


と思った。


 道場での組手では、これほど簡単に腕を取らせることなどしない。だが、気づけば手を握られていた。


「父の執務室には、もっとすごい物がいくつも並んでいるんです」


 張占は手を引きながら、春鈴の方を見ずにそう言った。


(そんな物見せられても私は……)


 春鈴はそう思ったが、口には出せなかった。きっと張占も、本当はそんなことなど分かっているような気がしたからだ。


 張占は長い廊下を進み、特に豪華な作りの扉を開けた。


 張松の執務室には、確かに高そうな壺や玉で出来た置物などが並んでいる。そして張占はそれを一つ一つ指差して説明を始めた。


「あの壺はとても有名な陶芸家のもので相当な値打ちだそうです。あの置物も玉の中でも特に質の良いものだけを使った作品らしくて……」


 春鈴の頭にはそんな説明はほぼ入ってこなかった。その代わり、握られた手に痛みを感じていた。


 それほど強く握られているわけではないのに、不思議なほど痛いと感じるのだ。


 春鈴は思わず腕を引いて、張占の手から逃れようとした。


 そしてその拍子に体勢を崩した張占が、大きな壺の端を掴んでしまった。


 気付いた時には大きな音が鳴り響き、その壺は床で粉々になっていた。


「ご、ごめんなさい……」


 春鈴は反射的に謝った。きっと高価な壺だ。春鈴の小遣い程度でどうにかできるようなものではないだろう。


 張占は呆然と壺の破片を見下ろしていたが、やがてふっと笑みを浮かべた。


 どこか力のない笑みだった。


「……いえ、春鈴さんは何も悪くありません。本当は父からも、今日ここには絶対に入るなと言われていたんです。だから壺のことも含めて、ただ私が叱られるべきことです」


「でも……ごめんなさい」


 張占は首を横に振った。


「謝らないで下さい。むしろ謝るべきは私の方です。強引に手を引いてしまったことも、この見合い自体も……」


 そう言われて、春鈴どう答えていいか分からなかった。何かを言ってあげたいようにも思うが、何を言っても相手を傷つけてしまう気がする。


 それでもなんとか言葉を紡ごうと口を開きかけた時、春鈴のものではない声が執務室に響き渡った。


「この馬鹿者!今日ここに入ってはいけないと、あれほど言っただろう!」


 怒声とともに入ってきたのは、部屋の主である張松だった。


「も、申し訳ありません」


 張占は体を小さくして父に謝った。父と子ではあるが、深々と頭を下げる。


 しかし、張松はそんな息子の前を素通りした。


 さらに割れた壺にも目もくれず、まっすぐに部屋の中央に置かれた卓へと足を進めた。


 そしてその卓にあった紙をバサリと取り上げる。それはどうやら、書きかけの手紙なようだった。張占は急いでそれを畳み始めた。


(……壺よりも大切な手紙ってことかな?)


 春鈴はそう思った。


 かなり高価な壺だということだったが、それが目に入らないほど重要なものということだろう。


(劉……備……?って書いてあったけど、最近噂になっている武将の劉備かな?)


 春鈴は許靖に似て、目が良い。一瞬でも手紙の内容が少し読めた。


「これはこれは……孫娘が大変な粗相をしてしまいましたようで」


 執務室の入り口からそんな声が上がり、全員がそちらを向いた。許靖が張松を追って来ていたのだ。


 張松は急ぐあまり、許靖がついて来ていたことに気付いていなかったらしい。


 許靖を振り向いた張松の形相は凄まじいものだった。


「許靖殿、今なにか見られ……」


「ああ、ああ、こんなに粉々になってしまって……これはきっと、良いものなのでしょう?申し訳ありません。どうか弁償させて下さい」


 許靖はそう言いながら割れた壺の方へとしゃがみこんだ。そして壺の破片を摘んで片付け始める。


「許靖様、おやめ下さい。割ったのは私で、春鈴さんは何も悪くありませんから」


 張占はそれを制止しようとした。


 張松は二人の様子を見下ろしながら、安心した様に小さく息を漏らした。


「……許靖殿、どうぞ先ほどの部屋でお待ち下さい。息子の粗相とのことですので、お気になさらず」


「いや、しかし」


「本当にお気になさらず。さあ、さあ、先ほどの部屋へ……」


 張松は許靖を軽く押しながら部屋の外へと追い出した。そして同様にして春鈴も部屋から押し出し、自分と張占だけが残った。


「私と息子は軽く片付けてから参りますので。茶でも飲みつつお待ち下さい」


「申し訳ありません。では、そうさせていただきます」


 許靖は改めて頭を下げてから、くるりと張松に背を向けた。そしてもと来た廊下を戻っていく。


 春鈴も祖父に並んで廊下を歩きはじめた。


 張占に握られていた手が、まだ痛い気がした。


「あの……靖じい様。私、あの人とは……」


 春鈴はそこで言葉を切った。祖父ならばそこから先の事を察し、良いように答えてくれると思ったからだ。


 しかし、いくら待っても許靖は何も言わなかった。黙ったまま、ただまっすぐ前を向いて歩いている。


「靖じい様?」


 春鈴は祖父の横顔に目を向けた。そして、向けたその目を丸くしてしまった。


 祖父の横顔は、今までに見たことがないほどに厳しい表情をしていた。


 春鈴は何となく、戦に赴く兵ならばこんな顔をしているのではないかと思った。

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