第143話 虎豹騎
凜風と翠蘭は緊張で体を硬くしながらも、道場での習慣通り歯切れの良い返事を発した。そして近場にいた一人に向かって構える。
構えられた男は鼻で笑った。
暗い店内とはいえ、凜風と翠蘭はまだ少女と言っても良いような齢に見える。
自分は腐っても曹操直属の精鋭部隊、虎豹騎の一員だ。仲間二人をまたたく間に倒したあの女ならともかく、このような可愛らしい生き物に構えられても冗談にしか見えない。
「出来るだけ痛くないようにしてやるよ」
男はそう言って、翠蘭へと無造作に腕を伸ばした。
その瞬間、凜風の体が突風のように動いた。大振りの上段蹴りが、男の鼻先すれすれをかすめる。
並の兵であればそれで終わっていただろうが、男は自分でも自負するように腐っても虎豹騎だ。素早く反応して体をのけぞらせた。
しかし凜風はすぐに間合いを詰め、顔面めがけて拳を繰り出してくる。かろうじてそれを受けたところに、凜風で死角になった空間から翠蘭の蹴りが伸びてきた。そちらは全く防御できず、まともに腹に受けた。
「……ぐぁっ」
それほど重い蹴りではなかったが、男の警戒心を呼び覚ますには十分だった。男は鞘ぐるみで腰にはいていた剣を持った。
さすがに鞘から抜きはしない。殺すなという隊長の命令は絶対だった。
凜風と翠蘭は武器を手にされても攻撃の手を緩めなかった。特に凜風は蜂の群れが襲うように、連続で拳、肘、膝、蹴りを素早く繰り返した。
そしてその合間合間の最も嫌な瞬間を狙い、翠蘭の攻撃が飛んでくる。お互いの動きを知り尽くした完璧な共闘だった。
男は何度か剣を振ったが、見事にかわされるか手甲で受けられるかで、全く効果はなかった。
そして凜風の動きは次第に加速し、男は徐々に受け切れなくなっていった。
意識を失うほどではないが、良い攻撃が何発も入る。
虎豹騎としての矜持からも、男は次第に苛立ちを募らせていった。
「このっ……!」
短い言葉と共に、男は鞘から剣を抜いてしまった。白銀の刃が凜風と翠蘭の瞳に映る。
二人とも、道場では刃物を持った敵を想定した訓練を受けている。しかし恐怖への耐性は、実戦でなければ鍛えようがない。
二人は一瞬体を強張らせた。
特にそれは翠蘭の方で顕著だった。それを見逃さなかった男は、抜き味の剣を翠蘭めがけて振り下ろした。
その直前、反射的に動こうとした芽衣の肩を花琳がおさえていた。
(この二人なら大丈夫)
花琳はそう確信していた。
師匠として、母として、これまで二人のことを誰よりもよく見てきたつもりだ。
だから、凜風と翠蘭が互いを思う気持ちを花琳は信じた。
「あたしの妹に……何すんのよっ!!」
刺すような口調でそう叫んだのは、凜風だった。
翠蘭へと向かった白刃を、凜風の手甲が止めている。
腕を頭上で交差させ、力で上回る男の斬撃を両手で受けた。男はなおも刃を下ろそうと力と体重を柄に込めたが、妹を背にした凜風は体中の筋肉を震わせてそれに耐えた。
凜風にも恐怖心はあった。
しかし、妹を守ろうとする気持ちの方がよほど強い。
そしてそれは翠蘭も同じで、自分を庇う姉を守りたいと思う気持ちで恐怖心は弾け飛んだ。
「私のお姉様に、何するんですかっ!!」
翠蘭の足が床から跳ね、凜風の体を這うようして伸び上がった。それが柄を持った男の手を蹴り上げる。
剣が勢いよく飛んで、天井に突き立った。
剣の飛ぶ様を男の目が追ったとき、凜風の拳が男の顔を歪めていた。その一撃でもすでに勝負はついていたが、凜風は立て続けに拳や蹴りを繰り出した。
男は当然倒れようとしたが、背後へ回った翠蘭がそれを遮るように男の背中を蹴り上げた。
そこにさらに凜風の攻撃が続き、翠蘭が倒れるのを妨げ……ということが何度も繰り返された。
哀れな男は、すでに立ったまま意識を失っている。
隊長が苦々しい口調で花琳へ要請した。
「おい、止めさせろ。部下が死ぬ」
「彼の命令違反が原因でしょう?あなたは殺すなと命じたはずですよ」
花琳はそう言いはしたが、確かに放っておくわけにもいかない。素早く手を二つ叩いた。道場ではそれが組手の終了の合図だった。
凜風と翠蘭はぴたりと動きを止め、男はようやく倒れることが許された。
花琳は凜風と翠蘭へ笑顔を向けた。
「二人とも、良くやったわね。とっても上手に出来ていたわ。反省点は後で伝えるから、後は主人たちを守っていて」
「「はいっ」」
二人は肩で息をしながらも、再び歯切れの良い返事を返した。それから許靖たちの所へ小走りで駆けて行く。
隊長は二人を目で追ったが、この際それは無視することにした。
本来なら許靖を連れて帰るのが目的なのだが、それよりも目の前の驚異に対処せねばならない。
「もう分かっていると思うが、油断はするなよ。本気でやれ」
隊長は部下たちにそう命じた。部下たちは無言でうなずく。隊長に言われずとも、全員がこの女たちは普通でないことを理解していた。
凜風と翠蘭が戦っている間、花琳と芽衣はさり気なく間合いを調整したり、気当たりを放ったりしていた。
そうして二人の戦いを他の兵たちに邪魔させないようにしていたのだ。並の武人ができることではない。
隊長は、特に花琳が危険だと思っていた。
まずは部下を使って動きを見極める。それから自分が出ていくことに決めた。
「かかれ」
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