第3話 混血児の目隠し

 井戸の水で布を濡らして、それを力いっぱい絞る。 水が滲み出なくなったら布を振り回す、これで患部を冷やせるくらいにはなったはずだ。


 早歩きで鷹の方に向かうと、こちらに気づいた真木さんが立ち上がった。 鷹は縁側に腰掛けて、さっき私が突いたせいで赤く腫れた右すねを擦っている。


「試合の規則を何も知らなかったにせよ、人体の急所であるすねを突いて捻挫させてしまい、本当にすみませんでした」


 謝りながら深々と頭を下げる。 怪我を負わせるつもりは無かったが、申し訳ない気持ちに潰されそうだ。


「……急所を突くのは実戦においては正しい選択だと思う、だから負けは認める」


 負けは認めるとは言いつつも結構悔しそうに見える。 新入りに負けたら悔しくて当然だろうが、悔しさと何か他の感情が隠れている気がする。


「俺は絶対に他の子供なんかより努力してきた。 ろくに刀も握ったことの無いような女に負けるはずがない。 それなのに……」


 鷹は袴を握り締めながら俯いた。 顔が影になっていて表情が全く見えない。 ……そうか、こちらから表情が見えないということは向こうからの視界も悪いはずだ。 つまり……


「……鷹の敗因は多分、その俯く癖です。 決して努力が足りなかった訳では無いと思います」


 その言葉で鷹が顔を上げた。 風に流れる前髪の間から淡褐色ヘーゼルの瞳が姿を現す。 目はくっきりとした二重で、鼻もそこそこ高い。 時雨城の他の男たちは何と言うか、もう少しのっぺりしていた気がする。


「この国は鎖国政策、つまり他国との交流を断つことで国内の治安を守るような政策を取ってる。 だから髪の色や目の色が薄いと異国人だと疑われる。 奥方様には目を隠せと言われた」


 鷹は風で少し乱れた前髪を手ぐしで整えながらぼそぼそと話す。


 ……なるほど、確かに時雨城に居るのは黒髪で目は暗い色の人ばかりだった。 黒髪の人が多い国で一人だけ赤毛に淡い目の色だと目立つ、場合によっては迫害されるという訳か。


「……もったいないな、こんなに綺麗な色してるのに」


 網膜まで見えそうなほど澄んだ瞳とようやく目が合った。 虹彩の色素が薄いからか、瞳孔の動きまではっきりと見える。


「……お前に何が分かるんだよ」


 そんな鷹の問いに「分かるよ」なんて同情も理解もできなかった。 相手の心情なんてさっぱり分からない。


 この綺麗な目の色のせいで散々な目に遭ったのかもしれない。 だとすれば尚更、同情も理解も示してはいけない気がする。


「私には何も分かりません。 ……自分の事すら何も分からないのに、他人を理解できるはずがない、」


 正直に答えた。 下手に嘘つくよりも良いと思ったからだ。


「……お前、もしかして本当に記憶が……?」


「はい、笑えるくらいに何も覚えてません」


 笑顔でそう明るく答えてみたが、自分の頭部に特に外傷がないにも関わらず記憶が無いのは違和感がある。


 今思えば殺し合いでもないにも関わらず、咄嗟とっさに木刀の殺傷能力を考えたり、それを踏まえて急所を狙うという発想からして思考回路が普通ではないことは確かだ。


 ……記憶を取り戻しても良いのだろうか? 最初は思い出したいと思っていたのに何だか怖くなってきた。


「誤解してたのは、その……悪かった」


 鷹はぎこちない口調で謝りながら頭を下げた。 誤解されて当然なのに謝られると少し罪悪感を覚える。


 こんな私をあっさり城に入れた奥方様や雪月那の方がおかしいのかもしれない。 お人好しにも程がある。


「……さっきの質問、ああやって聞くと大概の奴は『分かるよ』とか言って同情してくる、何も分からない癖に」


 そりゃあ普通の人なら同情するだろう。 特に、真木まぎさんや雪月那せつなは相手に同情して寄り添いそうだな。


 だが、それが逆に相手を不快にさせるなら、どうするのが正解なんだろう?


「でも、同情してくれる人は優しい人だと思いますよ。 誰だか知らないけど、その人はきっと良い人だ」


「……そう言うお前は同情しなかったけどな」


 淡褐色の瞳から放たれた冷たい眼差しが容赦なく心に刺さる。


「な、なんか……ごめん。 やっぱり同情した方が良かったですか……?」


「しなくて結構」


 ぴしゃりと跳ね返されて肩を落とす。 何が『あなたには期待しています』だよ? これじゃあ、機密に作られた分厚く高い鉄壁で隔てられているような感覚だ。 壁に小さな風穴を見つけてもすぐに埋められる。


「……そ、そういえば、親と揉めたってのは本当なんですか?」


 気まずいので強引に話題を変えて沈黙を破ると、鷹は驚いた様子で目を丸くした。


「えっ……それ、誰から聞いたの?」


「雪月那から聞きました。 真木さんや奥方様もそう言ってるらしいですけど……」


 そんな軽い理由で心の扉を固く閉ざすとは思えない。 本当はどうなのか知りたいが、腹を割ってくれるほど仲が良い訳ではないので口を噤んだ。


「そっか。 ……母さんもこの薄ら緑がかった淡い褐色の瞳


 鷹は膝を抱えながらそう切り出した。 袴から露出したすねの痣が痛々しい。


 ふと思い出して、水で濡らしてよく冷えた布切れを手渡す。 鷹は黙ってそれを受け取ると、患部に当て始めた。


「……母さんは病気で死んだんだ。 結核って言う肺の病気で三年前に天国に逝った」


 その言葉で妙に腑に落ちた。 ……鷹は母親を病で喪っていたのか。


「……なんか、気安く聞いたりしてすみません。 でも、だったら尚更その瞳を隠す必要は無いと思います」


「でも、奥方様が目の色を隠せって……」


 良くも悪くも〝ここでは実力が全てだ〟と言ってたのに、色素の量が違うだけで目を隠さないと生きられないような場所なのか、思ったより居心地が悪い。


 明らかに実力を発揮できていないし、目の色も綺麗なのに隠して何か得でもあるのか? 他人事だが、何だかイライラする。


「……目の色は親からの遺伝です。 目の色も親も自分では選べないんですよ。 せっかく良いものをお母さんから貰ったんだから、隠すなんて勿体ない」


 ……そう言う私は親の顔すら思い出せないが。


「親からの遺伝……」


 鷹は小声でそう繰り返して、膝に顔を埋めた。 泣きたければ正直に泣けばいいのに、必死に堪えるように不安定な呼吸音だけが響く。


 普通の人なら、傍に腰を下ろして背中を擦ったりするのだろう。 だが、相手は鷹だ。 これ以上近寄ると刺すと言われたので、その距離を保ったまま縁側に腰を下ろす。


「……目を隠すせいで実力を発揮できないなら、切る。 奥方様の言い付けなんて知るもんか」


 少し鼻声ではあるが、その言葉には鷹の強い意志を感じた。


「そうですよ、この城は実力主義であって〝目の色主義〟ではない。 だったら難癖付ける奴は実力でねじ伏せれば良い」


 ……いや、そもそも難癖つけるような奴が居るのか? 居るとすればきっと、緑がかった綺麗な瞳が羨ましいから悪く言うのだろう。


「でも相手は大人の場合もある、どうやって勝てば……あっ、」


 鷹は何か思いついたように顔を少し上げて、無言でこちらに視線を送って来る。 ……鷹の言いたいことが何となく分かった。


「……誰も1対1じゃないと駄目だとは言ってませんけど、私で良いんですか?」


 とは訊いてみたが、鷹には私の教育係という便利な立場があるので教育だと言い切ってしまえば好き勝手に利用できる。


「……さっきの勝負の結果からして実力は同じくらい。 だから、力を貸してくれたらとっても助かる」


 つぶらな瞳から放たれた真剣な眼差しに思わず黙り込んだ。 断る理由なんて全くないが、どうせなら何かこちらからも持ち掛けたくなる。


「別に私の実力を利用しても良いですけど、その代わり拒絶せずにちゃんと教育係をこなして下さい。 まだ右も左も分からないので教えて貰わないと困ります」


 今のところ最も不満に思っていることをぶつける。 すると鷹は肩をすくめて「ごめん」と短く謝った。


「……分かった、教育係はちゃんとする。 だから協力して欲しい」


 もちろん、断る理由はないので引き受ける。 当たり前のように手を差し出すと、鷹は不思議そうに首を傾げた。


「……何?」


「えっ、見ての通り握手……あっ、潔癖だったら大丈夫です」


「あくしゅ?」


 何だ、この土地の人間は握手も知らないのか? それとも鷹が疎いだけか? まぁ良い、せっかくだから説明しよう。


「団結するときとか、挨拶の代わりに手を握って上下に振るのが握手です」


 鷹は少し考えるように俯くと、こちらにゆっくり右手を伸ばして来た。


 その手を掴んで普通に握手してみるが、中指から薬指、小指にかけて連なるように出来たマメが痛々しく潰れて硬くなっている。 腕や指は割と華奢で年相応といった印象だが、それだけ刀を振ったということだろうか?


時雨しぐれ 琴乃ことのです、よろしくお願いします」


「俺は久遠くおん 大翔たいが、みんなからたかって呼ばれてるから鷹で良い」


 思ったより快く名乗ってはくれたがその手は震えており、腕の筋肉は肩まで硬直している。 無理して握手することないのに……


 そう思いつつ、肩の緊張が抜けるように大きめに揺さぶって離す。 鷹の方を見ると、肩の位置が先程より下がっているので効果はあったらしい。


「今の握手って相手の色んなことが分かるんですよ。 手汗の量や、強く握れば血管の脈打つ振動も伝わってくるので、心拍数からどれくらい緊張しているかも分かる」


 得意げに説明していると、鷹は少し恥ずかしそうに右手で拳を握り、それを素早く左手で覆ってしまった。 握手で色々と見透かされると知れば誰だってそうなるか。


「……あのさ、」


「何ですか?」


「……敬語、やめても良いよ。 実力とか才能も俺より高そうだし、年齢は知らないけど同じくらいだろうから」


 何かと思ったら……えっ、敬語やめても良いのか?


「良いんですか? いや、ちょうど敬語使うの面倒臭いなと思っていたので……」


「め、面倒臭いってお前……ごめん、やっぱり馴れ馴れしいのは苦手だから、敬語のままでお願いします」


 鷹はぺこりと頭を軽く下げる。 せっかく心を許してくれたと思ったのに、やっぱり一筋縄ではいかないか。


「……面倒臭いなぁ」


 溜息を吐きながら思わず心の声を漏らすと、鷹の肩が小刻みに上下し始めた。 ……逆鱗に触れてしまったのだろうか?


「お、お前……冗談も通じないのか……?」


 声を震わせながらそう呟く鷹を前に、開いた口が中々閉じてくれない。


 ……笑ってるのか? 冗談なんて言えたのか!?


 無愛想で笑うことも泣くことも出来ないような奴かと思っていたが、案外人間っぽいようだ。


「俺は良いけど、大人にはちゃんと敬語使えよ……場合によっては殺されるぞ、」


「は、はい……」


 妙に現実味があったので思わず返事が小さくなってしまった。


 ……それから月日が流れて、私が時雨城に来てから一年九ヶ月。


 本当の名前も全く思い出せないまま時雨しぐれ 琴乃ことのとして、自分が記憶喪失だったことも、も、このときはまだ何も知らぬまま平穏な日々を送っていた──

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