第21話 欺瞞と犬歯
石造りの建物に無事侵入して数十分が経った。 ……無事と言っても、ファルコが警備の目をフォークで潰したのだが。
「お前、琴乃がどこにいるか分かってて進んでるのか?」
「目星はついてる。 デュースはクルオールと越境したからメディリオの管理下に居るはずだ」
また
「その、メディリオとかリヴォルトとか、
「うーん、大きくわけて4つかな。 メディリオは薬学に精通した蛇使いが所属してて、クルオールは今、メディリオで上から2番目の地位に出世してるらしい」
俺の質問にそう答えながらファルコは大股で、だが足音はほとんど立てずに歩みを進める。 薬学に精通……だから俺の腹に変な毒薬刺しやがったのか。
「それは、琴乃が組織に帰ったから出世したのか?」
「多分そうだと思う。
「ご、護衛!?」
思わず耳を疑った。 そうだ、敵はクルオールだけじゃない。
蛇使いが行う取引は、上からの許可を得た上で取引関与者が取引主を殺せば無かったことにできる……本当にちゃんとクルオールを殺せるだろうか?
「どうした鷹、小難しい顔して。 クルオールを殺せそうにないなら今からでも時雨城に帰って良いんだぞ?」
ファルコは俺の心中を汲んだように悪戯っぽく八重歯を見せる。 あれ? 何か今の感じ、妙に見覚えが……
──大口叩いたんならちゃんと援護してくれよ!!
脳裏に琴乃の声が過ぎった。 今まで意識して見ていなかったが、そういえば琴乃にも八重歯が生えていたはず。 もしかして……いや、流石にそれはないか。
ファルコは琴乃と比べて声も男子のものだし、身長も高い。 何より、握手したときファルコは左手を出したが、琴乃は右利きだ。
「いや、クルオールはちゃんと殺す。 あの女のせいで散々な目に遭ったし……」
嫌なことを思い出し、取引で無かったことにされた腹の傷を擦る。 このまま時雨城に帰っても居心地が悪いだけだ。
「そうか……あっ、ここだ。 奥の牢に居るはず」
ファルコは立ち止まると、狭い通路の突き当たりを指差した。 ……不思議なことに人の気配がしない。
「あれ、居ない!」
無機質な石の床にあるのは無造作に転がる先の曲がったフォークのみ。 ファルコが手裏剣のようにして使っている武器と同じものだ。
「居ないな」
ファルコは驚く様子もなく、静まり返った牢を覗き込む。
「……お前が逃がしたのか?」
「さ、さあ?」
なんか怪しい。 良い奴なんだろうけど、敵か味方かは分からない。
「……気は済んだか?」
ファルコの一層低い声に全身が粟立った。 先程までの素っ気ない態度とは打って変わって、どこか冷気を帯びたように感じる。
「気が済んだって、何が?」
警戒心を抱きながら尋ねたその刹那、4本の鋭い鉤爪が視界に飛び込んだ。 反射的に首を右へ倒してなんとか躱したが、背中が石壁に触れた。
……警戒していたお陰で反応できたが、もう少し遅れていれば危なかった。 だが、もう逃げ場はない。
「デュースは居ないんだよ、このフォークが目に入らないのか?」
近すぎてぼやけたフォークの切っ先は赤く濡れているように見える。
「デュースは殺した、私が殺したんだ。 分かったらさっさと帰れ」
……ほんの少しでも信用した俺が馬鹿だったのか。 張り詰めた空気に思わず刀の柄を握る。
「……何で殺したんだ?」
「上から命令があったから殺した」
「お前の上ってエリカさんじゃないのか?」
「答えるつもりは無い。 ここで殺されたくなければ大人しく帰れ」
仮面の奥から放たれる眼光を跳ね返すように睨み返した。
……ファルコが本当に琴乃を殺していたとして、俺一人でクルオールを殺せるのか? そもそも、この状況を打破するためにはファルコを倒さなければならない。
ここは狭い通路、俺の武器は小回りの利かない日本刀だけ。 対して思い通りにフォークを操ることが出来るファルコ……駄目だ、不利すぎる。
──となると、残された選択肢はただ一つ。
「俺は武家の子だ。 仇は必ず取るし、逃げるつもりもない。 でも、戦闘力が高いお前を今殺してしまうのは勿体ない。 クルオール相手に一人で戦うのは無理がありそうだし」
「……お前、正気か?」
ファルコは鼻で嗤いながら首を傾げた。
……正気な訳がない。 親を目の前で殺されたあの日から、今までずっと正気じゃないのに。
「最初から仇を討つためなら手段は選ばない覚悟だったし、そのためなら敵も利用する。 それに……お前、あいつを殺してないだろ?」
「ほう。 何でそう思ったのか言ってみろよ」
顎下に冷たく鋭いものが突きつけられた。
……以外にも、見た目の割に当たったところで何ともない。 今まで散々フォークで蛇使いの目を潰していたが、目潰しで確実に人を殺めるのは無理だ。
「そのフォークって武器、痛そうだけどそれで致命傷を与えるのは無理がある。 それに、『ABMを殺すのは可哀想だ』とか言えるような奴があいつを殺れるとは思えないし」
気圧されないように揺るぎない口調でそう答えた。 すると、顎下に突き立てたフォークを押す力が緩んだ。
「……ああ、その通り。 これはあくまで食器、人を殺すための道具ではない。 でも、ここで手に入る道具の中では最も殺傷能力が高かったから使った。 お前の相棒は生きてるよ」
なんだ、やっぱり殺してないじゃないか。 ファルコは何を隠してるんだ?
「じゃあ、何でわざわざ殺したなんて下手な嘘ついたんだよ?」
「それは……」
ファルコはそこまで言うと口を噤み、『時間切れか』と悪態をついた。
「……鷹、ここからは二手に分かれよう」
「えっ」
……時間切れ? 何で二手に分かれる必要がある? お前の目的は何だ? 脳裏が
****
──ふぅ、何とか逃げ切った。 足の速さには自信があるが、鷹も思ったより……いや、踵のあるブーツで身長を誤魔化し、負傷したままの足で全力疾走なんてしたからだ。
「おっ、ちゃんと時間通りに戻ってきたね。 偉い偉い!」
全くこっちは息が上がっているというのに、女は気にする様子もなくフード越しに頭を優しく叩く。
「危うく変声術が解けるところだった……」
「それは災難だったね、デュース。 あっ、今はファルコくんか」
慣れない偽名に違和感を覚えつつ、椅子に勢いよく座る。 ここはリギアナの管理下にある隠し部屋だ。 鷹に見つかる心配はない。
リギアナは蛇使いの中で唯一、私を可愛がってくれた人だ。 この隠し部屋では仮面を外していることが多いのだが、ブロンドの髪に珍しい桃色の瞳が映える可愛らしい顔立ちをしている。
「まさか男に化けてクルオールを殺しに行けって言われるとは思わなかったけど、案外バレないな」
そもそも鷹に見破られるような変装じゃ奴らの目は欺けない。 鷹は相棒とはいえ、まだ付き合いは二年弱。 対して蛇使いは十数年も私を操っていた。 あいつには悪いが、敵を欺くためにはまず味方からだ。
「3時間で効果が切れるのは厄介だけど、声も男の子なんだから。 あの少年にはまだ見破られてないの?」
「微妙……流石に声が戻ったら駄目そうだけど」
すっかり元に戻った声に懐かしさを覚えてきまう。 変声術も最初は強い違和感があったが、丸一日男の声が自分の喉から発せられていると慣れてしまった。
「えっ、あの子意外と鈍感なの? ……って色々と鈍い君に聞いても分からないか」
「……私、鈍いのか?」
「あっ、いや洞察力とか勘はすごく鋭いと思うし……痛覚が鈍いのは事実だけど、そういう意味じゃないの!」
痛覚が鈍い……確かに昔からそうだ。 毒血石を潰されても、骨を折られても、勿論すごく痛いけど〝激痛のあまり動けなくなる〟ということは無かった気がする。
だからデュースだった頃は、失血で倒れるまではいくら傷が痛んでも操られるまま人を殺めていた。
「ふーん」
リギアナの言い分がよく分からないので軽く流した。 さて、これから変声術をかけ直してから鷹と合流したら何と言い訳しようか。
……いや、それより問題なのは、どうやってエリカさんとリギアナに抗うかだ。
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