第18話 鏡界線の先
──明るい場所に出たらしい、先程まで暗い部屋の中に居たせいで目がチカチカして前がよく見えない。
「……来たか坊や。 誰にも見つからなかったか?」
落ち着いた雰囲気の声が耳に届いた。 口調は男っぽいけど、声の感じからして女か?
「奥方様に見つかっちゃったけど、関係ない人は巻き込んでないから大丈夫!」
旧友にでも話すようにそう答えるセルティオン。 関係ない人は巻き込んでない……つまり奥方様は関係のある人ってことか。
「よくあいつに見つかったのに来れたな」
ようやく視界がはっきりしてきた、目の前に立っているのは癖のある黒髪を腰の少し上まで伸ばした長身の女だ。
瞳は吸い込まれるような江戸紫、左手の中指には蛇のような指輪が巻き付くように
……それにしても、こんな身長が高い女の人は初めて見た。 服装は見慣れた和装ではないが、蛇使いが身につけている黒くて裾の長い羽織のような服装でもない。
辺りは思ったより薄暗く、寺院や神社の本殿の空気によく似た、少し緊張する静寂で満ちる不思議な空間が広がっている。
「君の名前を言えばあっさり許可が降りたよ」
という事はじゃあこの人が助っ人のエリカさんなのか。
「ああ、なるほど。 で、その子供が情報をくれるのか?」
「そうだよ」
石の言葉に耳を疑った。そんな話は聞いてないぞ……
「情報を提供する代わりに君に同行してくれるんだよ、言ってなかったっけ?」
「全く言われてない」
セルティオンの問いを一言で跳ね除けた。 同行してくれるのは嬉しいが、そんな説明を受けた覚えは全くない。
あの奥方様が名を聞いただけであっさり意見を変えるぐらいだから信用は出来そうだが、情報を吐くのはまだ抵抗がある。
「ここは蛇使いの聖地だから長居は出来ない。とりあえず移動しよう、」
「はい……えっ?」
蛇使いの……聖地?
動揺する俺を他所に女は大股で前に進んで行く。 その後ろに続いて石のような材質出できた光沢のある床を踏みしめた。
ふと後ろを振り返ると、自分の身長よりも大きい鏡……いや、蛇の目玉のようなものがあった。
……さっき入った壁みたいな鏡は暗くてよく見えなかったがこんな形をしていたのか。 真ん中の丸い鏡が瞳孔、それを囲む翡翠色が虹彩のように見えて何だか不気味だ。
〝蛇使いの聖地〟と女が言った立派な建物から出ると、思わずその状況に足が止まった。
袴を握りしめ、肩に力が入る……右を見ても左を見ても蛇使いまみれだったからだ。
「……えっ、こいつら全員敵ってことですか……?」
「よく見ろよ。 仮面をつけてるのが敵で、そうじゃないのが〝ただの蛇使い〟だ」
女は楽観的にそう話しながら、躊躇なく蛇使いたちの間を横切る。
「……ただの蛇使い? 蛇使いってみんな敵だろ……」
冷静に考えてみれば色々と可笑しい。 確かに分かることは、ここは日本では無いことだ。 だが、そんな俺の言葉に女は呆れたように溜め息をついた。
「あんた誤解してるみたいだな。仏教にも宗派ってもんがあるだろ? それと似たようなもんだよ。 蛇使い全員が敵ってんなら私もあんたの敵さ」
そう言われて見ると、仮面をしてる奴の中でも顔全体を隠すものと目元だけを覆うものの二種類があるようだ。
気づくと、女は俺を置いてきぼりにして建物の後ろに広がる森の方へ歩いていく。
「……蛇使いって宗教なんですか?」
早足で女の背中を置いながら耳を疑った。
人を殺すだけの集団だと思っていたのに宗教だったとは……ということは仮面の種類だけ宗派が違うってことか?
「正しくは蛇使いは信徒のこと。仏教徒とかキリシタンみたいな呼び名だよ。 私たちの敵は目元だけを覆う仮面をつけた蛇使いだけだ」
“私たちの敵”ってことはこの人は味方なのか。
「この森を突っ切って街へ向かう。 着いてきな」
「は、はい!」
****
女に案内されて着いた街は、空気がとにかく悪かった。 建物は重たそうな石で造られており、どれも江戸では見たことの無い風景だ。
「ここだ」
女は建物の前で立ち止まり、重厚な扉を開く。
「あっ、土足のままで大丈夫だから」
そう言われ、草履を抜かずに上がる。 なんだか変な感じだ。 床も畳じゃなくて板張り、おまけに障子も襖もない。
代わりに壁を天井の方まで書物で埋め尽くされている。
「あんた、コーヒーとか飲めんの?」
「それってシーボルトの
時雨城にあいつが来るまでは刀術の稽古に励むか、書物を読み漁るくらいしか興味がなかった。
子供にしては詳しい方だと思っていたのに、越鏡してから分からないことが多すぎて不安になってくる。
「別に薬として飲む訳じゃないけどまぁ、お子ちゃまには早いか。 そこのソファ……いや、長椅子に掛けといて」
お子ちゃまという言葉にムッとしつつ、正直かなり足が疲れていたのでお言葉に甘えて長椅子に腰掛ける。 布団……いや、枕みたいにふっかふかだ。
「私はエリカ、あんたの名前は?」
黒髪紫眼の女──エリカさんは、取っ手の付いた湯呑みに入った芳醇な香りのする茶色い液体をを飲みながらそう名乗った。
にしてもこの人……接し方はすごく気さくだし、年齢もそんなに上じゃなさそうなのに、何となく敬語を使わないといけない気がする。
「
「何で鷹なんだ?」
エリカさんにいきなり質問され口を噤む。 名乗っただけで名前の由来聞かれるなんて初めてだ。
「幼名を継承する家系だったので、俺は父の鷹ノ丸という幼名を継ぎました。そこから略して鷹です」
久しぶりに自分の幼名が鷹ノ丸だったことを思い出した。 エリカさんは俺の話に納得した様子で「なるほど」と呟く。
「じゃあ鷹、早速聞くけどあんたが生まれたのは西暦何年だ?」
「せ、せいれき……?」
……また聞いたことがない言葉が出てきた。 鏡の向こう側は異国とみて間違いなさそうだが、こちらの言葉が通じるのはおかしい。
「……じゃあ何年かだけでも良いよ」
何と答えるか戸惑っているとエリカさんはそう言い替えてくれた。
「生まれは文政の十年、十三歳です」
そう答えると、エリカさんは考え込むように顎に手を当てて椅子に深くもたれかかる。
「文政か。 13歳……んじゃあ、今一番偉いと思う人物は?」
偉い人物……時雨城で一番偉い人物は奥方様だけど国で一番偉いのは間違いなく征夷大将軍だろう。
「今の将軍の徳川
「じゃあ、最近起きた出来事は? 例えば、争いとか反乱とか」
答えた端から質問を畳み掛けられ、少し不快感を覚える。
「……確か2年ぐらい前に大阪で大塩平八郎って人が乱を起こしていました」
「だいたい分かった、情報提供感謝する。だが、かなり不味い状況なのに変わりはない」
エリカさんはそう言いながら、再び濃いめの茶のような液体を飲む。
それと同様に唾を飲み込んだ、何だか緊張する。
「蛇使いと、どんな取引をしたか詳しく教えてくれるかな?」
「……蛇使いに帰ってくる代わりに望みを叶えるっていう取引で『
……とは言ってみたものの、俺自身が取引内容の意味をあまり理解してない。
「
エリカさんの質問に頷いてみせる。 恐らく
「過去に蛇使いと遭遇したことはあるな? そのとき何をされたか説明してくれ」
また質問……なんかこの人、俺が言った内容から倍ぐらいの情報を理解してそうだな。
「……八歳のときに父と養母を殺されて、俺は蛇使いを一人殺して逃げました。 そのときにデュースと遭遇してます」
「実母の髪や目の色は?」
えっ、何でこの人 養母の事を話したのに実母の容姿について質問をしてるんだ?
……確か母さんは異国の人みたいな淡い茶色の髪だった。 でもそれが情報提供になるのか?
「髪はかなり淡い茶色で、目は緑がかった淡褐色だったと思います」
とりあえず、容姿をそのまま伝えた。
「なるほど、日本人離れしてるな……養母って言うことは実母は亡くなったのかな?」
何で母さんの容姿の話から急にその質問になるのかさっぱり分からない。
だが今の状況がどれぐらいまずいのか知りたい気持ちの方が疑問よりも勝った。
「……はい、母が結核で死んでからは異母にあたる方に引き取られて育ちました」
「実母は亡くなる前あんたに何か言い残した事はないか? 例えば……蛇使いが来たら城に逃げろ、とか」
エリカさんの言葉で全身に鳥肌が立った。
……恐ろしいほどに図星だったからだ。
「ま、まさにそう言われました……」
「なら蛇使いに襲われて当然か」
エリカさんは納得したらしいが、今の話の内容で何が理解出来たのかさっぱり分からない。
「あの、何で今の話でそんなことまで分かったんですか?」
「蛇使いは理由もなく人を殺すことはほとんどないから予想はできる、殺人は禁忌だからな。 ……さて、情報は沢山頂けことだし今度は私から状況を説明してやろう」
蛇使いは人を選んで殺してたのか、それも禁忌を侵してまで……じゃあ何で父さんと母さんは殺されたんだ?
俺の両親は蛇使いに何をしたんだ?
状況を説明してもらえるのに頭の中には疑問しか浮かばない。 すると、エリカさんが椅子の上で姿勢を正して改まった。
「……ここはあんたにとって鏡の向こう側、
さっきの情報提供から計算して約200年後の未来の世界とも言える」
ああ、何だ二百年……えっ?
「……に、二百年後!?」
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