第二章 〜鎖された鏡界線〜

第16話 偽装の幻影

 目が覚めて勢いよく上体を起こした。


「……あれ?」


 勢いよく上体を起こしたのに毒を刺されたはずの腹が痛くない。 帯を緩めて裾を捲ると、健康的な色をした皮膚が現れた。


 そもそも、毒を刺されたというのが夢か。


 それにしても変な夢を見た……四年前に親を殺した少女が時雨城に来た夢だ。 しかも何故かそんな奴に心を開いて信用していた。


 蛇使いに復讐したい一心で生きていたのに、親の仇に心を許して、何なら相棒だと言ったのだ。 人見知りの俺に友達が出来るなんておかしい、それもあいつは女だ。 ……まぁ、しおらしさの欠片も無い男勝りな奴だったけど。


 掛け布団を蹴飛ばしながら、布団を畳むこともせず勢いよく部屋の外に出る。


 廊下を見回していると、こちらに歩いてくる黒髪を真っ直ぐ伸ばした少女が視界に入った。 雪月那……いや、姫様だ。


「雪月那、琴乃って今どこにいるんだ?」


 そう尋ねた瞬間、違和感が全身を駆け巡った。 自分でもおかしなことを言ったことくらい分かる。 夢の中で会った奴のことを聞いて通じる訳がない。


「……えっ?」


 雪月那はとんでもなく驚いた表情をした。 ……しまった、敬語を忘れてた!


「あっ、すみません姫さ……」


「……初めて話しかけてくれました?」


 頭を下げた俺に雪月那がかけてきた言葉は想像を絶するものだった。


「……へっ?」


 驚きすぎて変な声喉から漏れ出た。

 初めて話した?? 少なくとも百回は話してるだろ?


「嬉しいです……心を許してくれたのですか?」


 雪月那は少し照れくさそうに肩をすくめた。 何だかこっちまで気恥しくなってくる。


「先程、琴と言いましたよね?琴なら物置部屋に眠っていますよ」


 理解が追いついていない俺を他所に雪月那はそう答えて微笑んだ。


「あ、ありがとう……ございます」


 軽く頭を下げながら早足で姫様とすれ違い、右手に見えている物置部屋へ向かう。


 物置部屋の引き戸を開いて埃っぽい部屋に足を踏み入れる。


 ……そうか、そういう事だったのか。


 そこには琴が眠っていた。 楽器の琴が埃を被って保管されていたのだ。


 失礼なことばかり言ってくる癖に、いざとなると正義感が強くて頼れる相棒は、ゆめの中の人間だった。


 ……待てよ、勝手に感傷的になってるけど本当に夢だったのか?? あいつが毒使いの女、クルオールと交わした取引は『琴乃が与えた影響を無かったことにする』だったはず。


 ……夢だったとすれば辻褄は合う。


 でもあいつなら、去るときは足跡ひとつ残さずに去るはずだ。 もし夢じゃなければ……夢だと偽装されているならば──


 ……考えすぎだな、気晴らしに稽古にでも行くとするか。


 ****


 稽古にはだいぶ遅刻していたらしく、真木さんにはこっぴどく叱られた。 だが、琴乃の件で頭が一杯で説教の内容はほとんど覚えていない。


 試合に行ってからやけに時間が長く感じていたからか、真木さんと久しぶりに再会したような妙な感覚に陥る。 そもそも試合に行ったのかすら曖昧だ。



 稽古を終え、夕飯までの暇な時間を部屋でぼんやり畳の上で寝そべって天井を仰ぐ。


 ……なんだか他所よそから来たみたいだ、いつもと違ってみんなと上手く馴染めない。

 ぼやけた頭に戸を叩く音が響き、焦って上体を起こしながら返事をする。


「……琴って、誰ですか?」


 障子の枠に指を触れようとしたその時、透き通った声が薄い障子紙 越しに聞こえてきた。


「……えっ?」


 障子を開くと、艶やかな黒髪の少女が俯いて立っていた。


「……鷹、先程まるで人の名を呼ぶように琴乃と言いましたよね?」


 雪月那は涙で濡れた顔を上げた。 ……雪月那も琴乃のことを覚えているのだろうか?


「あ、ああ……」


「それからずっと引っかかっているんです。 涙が勝手に出てくる……何故ですか?」


 雪月那も琴乃を薄ら覚えている……あれは夢ではない、少しだけ確信持てた。


 でも、どう答えれば良いんだろう?


「そ、それは……」


 言葉に詰まっていると、雪月那は俺に一歩迫って大粒の涙を流した。


「鷹、琴乃は何者なんですか? 私は何故泣いているのですか? 知ってるんですよね!?」


「……あいつは、雪月那の──」


 こんなに取り乱している雪月那は初めて見たので余計に言葉が詰まってしまう。

 どう答えるのが正解なんだ……?


「琴はどうしたんですか!?何処に行ったんですか? どうして……」


 雪月那に肩を掴まれて前後に揺らされたそのとき、脳裏にあいつの言葉がよぎる──


〝お前が雪月那の友達になれば私が居なくても大丈夫だ〟


 ──それがお前の望みなら俺は雪月那を騙し通さないとな。


「答えてください!琴乃は私の何だったんですか!?」


 お前の姉だ、なんて口が裂けても言ってはいけない。


 もし口を滑らせたら…… 雪月那が琴乃を思い出してしまったら、あいつの努力は水の泡だ。


 あいつも忘れられるのはとてつもなく辛かったはずだ。 仲間が一人忘れられただけで本人でも無いのに自分の事のように辛いのに……それなのに言えるはずがない。


 俺は拳を握りしめ、大きく息を吸い、唾を飲み込んだ。


「……誰だよ、そいつ」


「えっ……?」


 それを聞いた雪月那はこの世の終わりでも見たかのような絶望的な顔をして俺の心を罪悪感がグサグサ刺して抉ってくる。


 こんな所で怯むな……!


「……そんな奴、見た事も聞いた事も無い」


「……嘘をついても無駄ですよ? 無理に誤魔化してるのぐらい私でも分かります」


 ……そうか、記憶はなくても琴乃が与えた影響は、俺が雪月那と親しくなって過ごした二年間も、試合前に団子を食ったのも事実だ。


 いくら嘘をついても見破られるのは時間の問題だ。 なら、ここで時間をかけている場合ではない。


「……知らねえって言ってるだろ!!」


 そう言い捨てながら雪月那を廊下に突き飛ばし、勢いよく障子を閉じた。


 ……これで良いんだ、これ以上問い詰められたら多分負けていただろう。


 突き飛ばしたのは申し訳ないが、雪月那が琴乃のことを思い出してしまうよりもマシだ。


 ****


 かげった月明かりの下、煙たい空気を自転車のヘッドライトから放たれる黄味がかった光が貫く。 シンプルとは程遠いゴテゴテと錆びかかったその車体に股がる女は、亜麻色の髪を揺らしながら焦った様子で石畳を立ち漕ぎで走り抜ける。


 ──キィーッ


 鼓膜を刺すようなブレーキ音を響かせながら停車、おもむろに目の前にそびえる建物のドアを開いて中に飛び込む。


 女は黒のローブをたなびかせ、廊下を大股で三歩ほど進んだ所にある扉をノックもせずに開いた。


「エリカ!!」


 そう叫んだ声と激しく息を吸う音だけが薄暗い部屋に響く。 壁一面に分厚い本の背表紙が天井近くまで敷き詰められ、 本棚には梯子はしごが立てかけられている。


 部屋全体がダークブラウンで統一されており、雰囲気は落ち着いている。 だが、壁や天井には年季の入った鉄のパイプがむき出しになっていて少しごちゃごちゃしている、そんな部屋だ。


「……こんな夜中にどうした?」


 エリカと呼ばれた女は、部屋の奥に構える机の上で頬杖していた顔を上げた。 驚きで見開いた瞳は宝石のような紫、少し癖のあるふんわりした黒髪を肩より下まで伸ばしている。


「……デュースが、帰ってきたの……!」


 亜麻色の髪の女は肩で息をしながら途切れ途切れにそう言いながら、エリカの居座るダークブラウンの重厚な机の元まで歩み寄る。


「リギアナ、冗談は止せよ〜……」


 エリカはそうは言いつつも即座に真剣な表情を作る。淡い光を放つデスクライトの裸電球が彼女の紫色の瞳を照らす。


「今はクルオール……メディリオの支配下に置かれてて、リヴォルト所属の私は首を突っ込めなくて……」


 ようやく息が整ってきたリギアナは額に滲んだ汗をハンカチで抑えながらそう話す。


「セルティオンは?」


「それが……デュースのラピスがないみたいで……」


 エリカはリギアナの言葉に何か考え込むように顎に右手を添えた。 その中指には蛇の様な形の指輪が絡み付いている。


「どうするの?」


「……このままだと計画が狂うし、デュースには向こうに居てもらわないと困るんだよね〜」


 首を傾げるリギアナの様子にエリカは溜め息をつき、革製の椅子に背を預けた。


「私がどんな思いでデュースを時雨城に逃がしたかも知らずにクルオールは何をしてくれてるのか……記憶なんて消されてたらもう終わりだよ……」


 リギアナも同様に溜息をつきながらエリカの机に浅く腰かける。


「奴らは記憶を取り除くことはできても削除は出来ない。 取り除いた記憶はどこかに保管されているはずだから、もしそうなったら探せば良いだけさ」


 エリカは椅子を左右に回転させながら、俯くリギアナに楽観的にそう話す。


「確かにそうだけど……!!」


「……この状況でセルティオンが行動を起こさないとは思えない。それにデュースがこっちに帰ってきたって事は、誰かが鏡界線きょうかいせんを開いたんだろうけど……」


 そこまで話すと、エリカは机の上に佇んでいる冷めたコーヒーカップに手を伸ばした。

 酸化して風味が落ちたコーヒーに「げっ……」と顔をしかめながら再びカップを机に置き、咳払いして話を再開する。


がクルオールに協力する訳が無いし、封印を解いたのはセルティオンと考えて間違いない」


 エリカの見解にリギアナは亜麻色の髪を揺らして頷いた。


「……でもクルオールもデュースもラピスを持ってないなんておかしいよ。セルティオンは向こうに居るんじゃ……」


「それじゃあデュースとクルオールがこっちに来れた理由がつかない。 他に鏡を開けるのは……あっ 、」


 エリカはそこまで話して、ハッとしたように顎から右手を離した。


「もしも、が私たちの考えに反対しているとすれば……可能性は十分あるね」


 リギアナはエリカと同じことを考えていたらしく、納得したように机から腰を上げる。


「確かに否めないな……ちょっと鏡の近くまで行ってくるよ。 近いうちに越鏡者アリスが現れるかもしれない、」


 エリカはそう呟くと、リギアナと顔を見合せて微笑んだ。

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