第12話 茜色の人形
「ただいま! 生きて帰ってきたぞ〜!!」
威勢の良い声と共に障子が開く。 そこには何やら誇らしげな養母の姿があった。
「あっ、お母さん帰って来たよ!!」
ついさっき昼寝から目覚めた
飛華は物心付くか付かないかという頃に母親を失っている。 養母のことを実母だと思い込んでいるのだろう。 ……たとえ容姿が全く似ていなくても。
「居た? 仮面の集団、」
〝おかえり〟なんて言う余裕もないので単刀直入にそう尋ねた。
「おいおい鷹、まず母親の帰還を喜べよ〜……まぁ仮面の集団には遭遇しなかったね、特に怪しい奴も見てないし大丈夫だったよ」
養母は
「そっか……」
「あれ? そういや
養母はきょろきょろと居間を見回す。
「父さんのとこにいるよ!!」
飛華は笑顔でそう答えた。 伊吹は仮面の集団が出たという報告を受けて家に帰ってきた父さんの元から離れようとしない。 全く、頼りない義兄だ。
「そうかそうか〜……よし良い子はもう寝な、心配したってどうにもならないしさ。 ほら、さっさと寝な!!」
養母にそう急かされて既に敷いていた布団に入る。 ……そわそわする、ちっとも眠気が襲って来ない。
灯りが消されて真っ暗になった部屋の中、仮面の集団が現れたらどうしよう。 養母も父さんも居ない中で時雨城に逃げることになったら……俺がしっかりしないと。 伊吹は頼りないし飛華はまだ六歳、俺が冷静でいないといけない。
肩にのしかかる責任の重圧に身震いしながら瞼を閉じて布団を頭まで被った。
****
「デュース〜!!良い子にしてた?」
亜麻色の髪の女が満面の笑みを浮かべてこちらに迫ってくる、リギアナだ。 私にデュースという名を与えたのも彼女だが、他の蛇使いと違って人間味がある。
「リギアナ、標的を2体発見したぞ」
ローゲントの報告を聞いたリギアナはムッとして、私の頬から手を離す。 ……リギアナは何故か私の頬をむにむにと揉んでくるのだ。
「お言葉ですがローゲント、2体って物みたいな数え方してるけど、標的とは言え人間なんですよ?」
リギアナは時折ローゲントにも容赦ない発言を浴びせる。 立場がローゲントより上なのだろうか?
現在のローゲントの階級は“ヴァレ”だ。13の階級に別れている内、ヴァレは上から2番目に偉い。 だからダーム、ロワ、そしてエース以外の階級が低い者が歯向かうことは許されない。
「生まれてくるはずがなかった異端な存在を何故人間呼ばわりしなければならんのだ?」
ローゲントは呆れたようにそう話す。 その様子にリギアナが眉をひそめる。
「……本当にそれでも人間なの?」
「リヴォルトに人間味を求めるような者は必要ない。……それより、今回の標的は子供だ」
ローゲントはリギアナに回りくどく要件を伝えながら顎髭を触る。
「……デュースに殺らせろとでも言いたいの?」
「理解が早くて助かる。 子供を殺すのは少々気が引けるのでな」
ローゲントは赤い石を手のひらで転がしながらニヤリと口角を上げる。 ……子供を殺すのに抵抗があるのか? こんな虐殺集団に属しておいて何を言っているんだ?
「……デュース、出来る?」
「……分かった、」
私は『分かった』か『うん』以外は言わない、言ってはいけないのだ。 私は操り人形、私は人を殺すための凶器。 扱う者に歯向かうナイフは存在してはいけない。
「リギアナ、標的はどこだ?」
「それなら任せろ、着いて来い」
リギアナに代わってローゲントはそう言うと、路地裏から路地裏へと進んで行った。
私は大股で歩くローゲントを小走りで追いかける。
「この家だ、1人で入れ。 見つかったら標的でなくてもすぐに殺せ。 ……絶対にしくじるなよ、」
「分かった、」
足音を殺して言われた通りの家に入った。 部屋の奥の方から人の気配がする。 見たことない素材の床を踏み締めて前へ進む。
「……そこの小娘、何してるんだい? 家に用があるなら玄関で言ってくれるかな」
女の声に体がびくっとなった。 振り返ると変わった服装の女が腕を組んで仁王立ちしているのが目に入る。
……何で、なんで見つかったんだ?
あれだけ慎重に忍び足で来たのに……
〝見つかったら標的でなくてもすぐに殺せ。絶対にしくじるなよ〟
脳内にローゲントの声が響くと同時に声のした方に右手を向ける。 この高さからだと
この人、昨日見た女の人だ……でも、命令は絶対に守らないといけない。
「……シャウラ、」
私が毒殺術式を呟いて5秒程すると女はその場にどさりと崩れ落ちた。
毒が回り始めたのだ、この人は5分もしないうちに死ぬ。
お腹ぐらいに毒針が刺さったはずだから少し苦んでから死んでしまう、すぐに死なせられなくて申し訳ない……そう思いながら、もうすぐ死ぬ女の元へ歩み寄る。
「……あんたがやったのか?それとも、やれって言われてるのかい?」
「命令は絶対だから。 でも苦痛を与えずに、上手に殺せなくてごめんなさい」
私は女に頭を下げた。 女が望めばもう一度毒を刺して殺そう、そう心に誓ったときだった。
「……あんた、それで本当に良いの……?」
予想と違う言葉が返ってきた。 女の言った言葉の意味が分からない。 私がそれで良いかなんて関係ない、これは命令だ。
「命令された事は絶対にしないといけないから、」
「……こんな小さい子に殺しをさせるのか……」
女の人は目を丸くしながらそう言ったかと思うと、私は女の人に手首を掴まれた。
……まずい、殺される、華奢な腕の割に力が強くて抵抗できない。
「あんた、お父さんやお母さんはどうしたんだい、」
「……何それ?」
殺されると思っていたら普通に話しかけられた挙句、質問までしてしまった。
「親のことだよ、」
親か……親から子供が生まれるのは知っているが、私の親の話は聞いたことも無い。
「……知らない」
正直にそう答えると、女の目から水が滲み出てきて頬に雨粒のようなものが流れた。
「……可哀想に……こんな可愛い子に殺しをさせるなんて人間じゃない……」
女の人は目から水を絶えず流しながら消え入りそうな声を喉から絞り出す。
そのまま女の人は私の背中に腕を回して締め付けてきた。
……今度こそ殺される、
「思うままに自由に生きても良いんだよ、大人の言うことは絶対じゃないからね……」
女は鼻水を吸う音を立てながら私の頭を手のひらで擦る。 ……何故だか落ち着く。
「……何で私を殺さないんだ?」
「何であんたを殺さないといけないのさ、人を殺すのが全てじゃないんだよ?」
女は力なく笑った。 ローゲントのような薄気味悪い笑い方ではなく、リギアナのような優しい笑い方だ。
だが、ローゲントは〝お前は人を殺すための操り人形だ〟だと言っていた。
人を殺すために生かされている人形から、人殺しを差し引いたら何が残るんだろう。
「あんたは白い仮面の奴らから逃げて、好きなように自由に生きれば良い」
「そ、そんな事したらすごく怒られる。 赤い石を割られて、内臓が潰される、痛い、死ぬよりもしんどい……」
生き地獄だ、考えただけで鳥肌がたつ。 あの石と私の体は繋がっている。
石が割れれば私の内臓が損傷するが、毒殺術を使う度に体内に蓄積される毒素を石に押し付けることができる。 これは
押し付けた毒素の量に応じて石は黒ずんで行くので、どれくらい毒素が蓄積されれているかひと目でわかる。
先程使った毒殺術『シャウラ』は毒素の量が比較的少ないので、急所を狙わないと苦しませてしまうのだ。
「そんなこと……されるのかい……? ……何もしてあげられなくて ごめんね……」
私の背中に回された腕の力から抜けた。 女の人は後ろの壁にもたれかかって眠るように……死んだ、私が殺したのだ。
「──デュース、標的は居たか?」
リヴォルトの中で一番嫌いな人が指示してきた。 ローゲントより上層の人は知らないけど、その低い声だけで背筋がぞっとする。
「……まだ見つけてない、」
「そうか、これから我々も向かう。お前はそこで待機していろ、」
「わかった」
……私は初めて他人に嘘をついた。
本当は棚の中に一人、女の子が居るのは分かっていた。 ……でも今は人を殺せる気分じゃない、
──ドタン、バタッ
物音が聞こえる、ここにいては不味い。 気配を悟られないように素早く死んだ女の元を離れ、引き戸の中……収納らしき場所に身を潜めた。
****
「腹減った〜! 昼飯は〜!?」
そう声を荒らげて縁側から家には居る伊吹に続いて俺も縁側に登る。 ……伊吹の問いに答える声は返って来ない。 その代わりにお下げをした妹が棚の中から飛び出してきた。
「……兄上!! お、お母さんが……お母さんがね……!」
飛華が必死に俺の袴を小さな手で揺さぶる。 手に汗が吹き出るのを袴で拭う。
「……母さん!?」
張り詰めた空気の中、上ずった声が部屋に響いた。
部屋の奥で壁にもたれるようにして眠っているのは養母だった。 僅かに開かれた口からは一筋の血が流れている。
「待て伊吹!
養母の肩を揺さぶろうとする伊吹を鋭く制止した。 見たところ外傷はない……落ち着け、俺が冷静じゃなくなったら誰も生き残れない。
「で、でも……」
「急に病気で死んだか、毒を盛られたか……今朝は元気だったから病気は考えにくい。 つまり、誰かに毒で殺されたと……」
考えられるのは白蛇の様な仮面を付けたあの集団……
「な、なに冷静に喋ってるんだ!? 母上が……こ……殺され、たんだぞ!??」
伊吹は裏返った声を震わせる。 ……でも、俺は養母から二人の命を託された。 伊吹と一緒になって腰を抜かしている場合ではない。
「……お姉ちゃんが殺しに来たの……兄上と同じぐらいの歳の……」
黙っていた飛華が口を開いた。 お姉ちゃん……ってことは女!? しかも子供なのか??
「……仮面は!?」
「付けてなかったよ?」
ってことは、養母を殺したのは仮面の集団じゃないのか……?
「……だ、誰か居る!!」
伊吹がそう叫んだ。 敵がいるのに大声を上げるなんてビビりの割に隙だらけだな……畳を踏みつける足音、軋む床板……誰かが居るのは間違いない。
「……確かに物音がする、逃げよう! 飛華はさっき隠れてたところにいた方が安全かもしれないから、そこでじっとしてろよ!」
「う、うん!」
飛華は元気よく頷いた。 やっぱり伊吹よりもよっぽと肝が座っている。
養母の亡骸と飛華を残して、俺と伊吹だかで屋敷の外に出る。 そこには大男と鍔迫り合いをしている父さんの姿があった。
大男の目元は蛇の顔のような白い仮面で覆い隠されている。 その巨体には裾の長い羽織のようだが、襟の部分には頭巾のようなものが付いている変わった形装束を
「ち、父上!!」
父さんの元へ駆け寄ろうとする伊吹の帯を掴んで引っ張り、玄関の柱に身を潜めた。 敵は大人なのに子供が駆け寄ったところで殺されるのがオチだ。
「んなっ、何すん……」
声を荒らげようとする兄の口に取っておいた握り飯を突っ込んで黙らせた。
俺たちが昼飯を食うために家に入ってから五分と経っていないのに……たった 二、三分 その間に……
「……何すんだよ!!」
伊吹は握り飯を食べ終わった口で小声で言った。 腰が抜けてる割に握り飯を食う余裕はあるらしい。
「……間違いない、白い仮面だった」
「でも、さっきまで居なかったぞ……!?」
伊吹はそう言いながら懐から手裏剣を手に取った。 動揺しているが戦う気はあるらしい。
「……夜から朝の間この町に潜んでたのか?」
そう言った直後、背後から息を吸う音が聞こえた……ような気がした。
「……標的、見つけた」
後ろから 確かにそう聞こえた。
飛華が来たのか? でも声が違う……それに何の気配もしなかった
唾を飲み込んで、恐る恐る振り返ると、そこ居たのは自分と同じ年頃の、真っ赤な……いや、茜染めした布のような目の色をした少女が──違う、その少女だけじゃない。 もう一人、大柄は人影が奥から出てくる……
蛇の顔のような白い仮面を目元を覆い隠すようにしている大柄な男、手には少女の目と同じ色をした赤い石を握っていた。
「よくやった、デュース。 だが、まずあれを片付けてくれ……標的を殺るのはその後だ」
「……分かった」
雲がかかったように虚ろな茜色の瞳をした少女は、生き物とは思えないような氷のように冷たい声でそう答えた。
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