第4話 茜色の瞳

 冷たい風に頬を叩かれて目が覚めた。


 風が吹いてきた方を見ると障子が少し開いており、少女が顔を出している。


「……琴、起きてますか?」


 よく透き通った声が鼓膜を震わせた。


「どうした? 雪月那、」


 半分寝ぼけたまま尋ねると、障子が開いて冷たい風と一緒に雪月那せつなが部屋に入ってきた。


「……実は全然寝付けなくて、琴も起きてたら中庭で少し話そうかなと思って……」


 この肌寒い中、外で喋るのか……でも、せっかく目が覚めたし、二人だけで話す機会なんて早々ない。


「良いよ、私も今ちょうど目が冴えてるし」


「ありがとうございます!」


 少しだけ嘘をつくと、雪月那は嬉しそうにぺこりと頭を下げた。


 時雨城の本丸に広がる中庭には小さな池があり、その池の上には橋で繋がった東屋あずまやがある。


「……こうして二人で話すのは久しぶりですね」


 東屋の下に佇んでいる長椅子に腰掛けた雪月那はやたら嬉しそうに微笑んだ。


「確かに、最近はいつも鷹が居るからな」


 まぁ、そもそもこの城で子供は私と十三歳の鷹しか居ないので、十一歳の雪月那が一緒に行動を共にするようになったのは特に不思議なことではない。 生年月日は覚えていないが、私も恐らく二人と同年代だろう。


「……でも私は琴が時雨城に来る前、鷹の声すら聞いたことがありませんでした。 鷹は城に来てすぐの頃、あんなに喋る人じゃなかったし」


……まぁ、無愛想だったのは確かだな。


「……私は琴がたとえ間者だとしても、城に残して欲しいと母上に頼むつもりでした。 でも、琴が時雨城に居てくれて良かったです」


 椅子に腰掛けている雪月那は床から浮いた足を揺らしながら太陽のように眩しい笑顔を見せる。


「そういえば、何で私を城に残すように奥方様に頼んだんだ?」


「……年頃の近い友達が欲しかったから、この城には私より年上の人しか居ない。 それも、男の人ばかりで、話し相手も居なかったから私はいつも独りだった。 あのときの私はただ、お友達が欲しかっただけだったんです……」


 雪月那は照れくさそうに耳を赤くしながら答えてくれた。


「やっぱり良くないですよね! こんな自分勝手な理由……」


「でも、雪月那のおかげで今も私は時雨城に居られてるから感謝してる」


 少し改まって礼を言うと、雪月那はにっこりと微笑んだ。


「……二人とも何こんな夜中に話してるんだ?」


 少年の声が鼓膜に響いた。


「鷹!? いつから居たんですか?」


 雪月那は驚いた様子で鷹に目を向けた。


「いや、ついさっきかわやに行くために起きて、それから厠から部屋に戻ろうとしたら、中庭から話し声が聞こえたもんだから……」


 言い訳がましい鷹の話に雪月那は口に手を当てて欠伸をした。


「鷹、会話に入ってきたところ申し訳ないのですが、やっと眠たくなってきたので私は寝ます」


 いつもよりおっとりした口調で雪月那はそう言った。


「じゃあ、私もそろそろ寝ようかな〜」


 雪月那と話すために起きていたが正直、雪月那が寝るなら別に起きておく理由はない。


「では私はお先に失礼します、おやすみなさい」


 余程眠いのか雪月那はそう言って椅子から立ち上がった。


「うん、おやすみ〜」


 私は雪月那にそう返しながら長椅子から立ち上がる。 さて、部屋に戻って二度寝するか。


「あっ、琴乃」


 そう思っていた矢先、鷹の声が部屋に戻ろうとしていた私の足を止めた。


「……さっき言った厠に行くために起きたのは嘘だ。実は前から気になってたことがあるからそれを聞きに来た」


 鷹はいつにも増して真剣な表情をこちらに向ける。


「ん? どうした?」


 首を傾げていると、鷹が袖から綺麗な何かを取り出して突きつけてきた。 それはこの世のものとは思えないほど綺麗なだった。


「……何だこれ?」


「時雨城に来たとき、お前が左手に握り締めてた奴らしい。覚えてないか?」


 石は鷹の手から私の手のひらの上に転がり落ちた。


「……んー、見覚えか」


 どこかで見た様な気がしてその赤い石を見詰めていると、石は手のひらの上で数回跳ねて赤い光を放ち始めた。


「うわ、光った……」


「あ、ほんとだ……じゃなくて!なんで石が飛んだり跳ねたり光ったりするんだよ!?」



 ──琴乃が急に無言になったので不思議に思って顔を上げると、思わず俺は言葉を失った。


 ……琴乃の瞳がその石と同じようにに染まっていたからだ。



「お、おーい、琴乃〜 ……どうした?」


 琴乃は呼びかけても応答しない。 それどころか、茜色の瞳を見開いたまた瞬きすらしていない。


 これは、なんかまずいぞ……


 とりあえず 赤い石を琴乃の視界から外すべく右手を伸ばし、石に触れた。


 だが、何かに弾かれたかの様に、廊下の近くから中庭の真ん中の方まで吹っ飛ばされた。

 石が触れた指先に火傷の様な痛みを感じた。見てみると右の中指と人差し指先が出血している。


 背後から太陽が昇り始め、正面に現れた長い影が混乱する頭をさらに焦らせる。


 他の家臣を巻き込めば厄介事になりそうなので誰かが目覚める前にどうにかしないと……



 すると、琴乃の後ろの影から何かが現れた。


 ……赤くて、でかい……さそりだ。


「さ、さそり!!??」


 驚きのあまり中々閉じない口を両手で塞ぐ。 心の声が駄々漏れだ、今の大声で誰かが起きたらどうするんだよ……


 そう言えば、蠍って、なんかの書物やら絵図でしか見た事無いけど、確か毒を持ってるとか書いてたような気が……


 どうする、逃げるか?……でも、俺が止めなきゃ誰が止めるんだ? いや、絶対 俺が止めてやる……!!


 そのとき、ふとあることを思い付いた。 草履を脱ぎ捨て、庭のそこら中に落ちている石の中で平たく適当な大きさの物を探して拾う。 そして、応急処置用に念の為持っていた包帯で“右足”の足袋の上に乗せたその石を巻き付けた。


 ……どうか、上手く行きます様に……!


 祈る様な気持ちで赤くて、でかくて、不気味な蠍に向かって走り始めた。


 あの石に触れると怪我をするらしいので琴乃の前で浮遊していた赤い石を避けて左側の肩と肘で琴乃を突き飛ばす。


 地面に落ちていく自分の体の重心を取りつつ浮遊する赤い石に狙いを定め、思い切り“例の右足”を振り上げ、赤い石を可能な限り力一杯、勢い良く蹴った。


 足の甲で何かが当たって砕けた感覚と音が響く。


 琴乃に激突しそうだったので急いで重心をずらし琴乃のすぐ横に投げ出された。


 ……っ、痛っ!!!


 と、叫びたい所だが口に出してはまずいので心の中で容赦なく叫んだ。


 全身が一瞬だがびりっと痺れ、呼吸が止まった。無理矢理体を起こし、琴乃の方に目を向ける。


「う、うわっ!!……びっくりした……」


 一瞬琴乃が半目だったので驚いたが幸い気を失っているだけらしい。


 ……あっ、声出しちゃった……いや、もう過ぎた事だ!


 右足の包帯と石を外すと、足に付けていた石は見事に三つに割れていた。


「あれ? 何で私こんな所で寝てるんだ……?」


 背後から琴乃の声がしたので急いでそこらに落ちた赤い石を拾って、何事も無かったかのように袖の隙間に隠した。


 ……蠍の記憶が無いのか?


「ど、どうせお前、寝相が悪過ぎて庭に落ちたんだろ?」


 何事も無かったかのようにそう答えたが、琴乃は何故かきょとんとしている。

 ま、まさかまた記憶喪失とか言わないよな?

 それなら飛んだ厄介事になる……


「……そっか、私こんな所で寝たのか」


 琴乃は何故か納得した様子で立ち上がった。


「ところで、さっきの石は何だったんだ? 手渡された直後から全く覚えてないから多分寝てたんだと思うけど……」


 どうやら琴乃は瞳が茜色に染まったあたりから覚えてないようだ。


「石?何だそれ……夢でも見てたんじゃねぇの?」


 さっきの出来事をなかったことにするために誤魔化した。


「あれ?そうかあれも夢だったのか……そういえば何でお前、草履脱いでるんだ?」


「あっ、」


 琴乃に指摘されて今まで足袋で立っていたことに気づいて少し恥ずかしくなり、足の指を丸めた。


 ****


 ……その夜。 晩飯を食った後、俺の親代わりで時雨城で恐らく一番立場が高い真木まぎさんの部屋を訪ねた。


「そういや鷹、明日から試合に行くんなら一つ聞いておきたいことがあるんだが、」


 真木さんは低く響く声でそう尋ねてきた。


「何ですか?」


「……嬢ちゃんが来たときのこと覚えてるか?」


 真木さんの言う嬢ちゃんは琴乃のことだ。

 あいつが来たのは一年と九ヶ月ほど前、季節はちょうど中庭の桜が散り始めた頃だった。


「……琴乃が城に来たとき、確か夜中だったから俺は寝てたと思います。それがどうかしたんですか?」


 俺の言葉に真木さんは目を丸くした。


「やっぱり覚えてないのか……だって覚えてたらお前が嬢ちゃんの入城すら許可しないだろうと思ってな」


 真木さんは顎の髭を指で撫でながらそう言った。


「何でそう思うんですか?」


「……いや、これは嬢ちゃんが来てすぐに伝えたら追い出すんじゃねえかなと思って言ってなかったんだが、落ち着いて聞けよ」


 真木さんはその場に胡座あぐらをかきなおす。 張り詰めた空気が部屋に満ちる。


「はい……」


「……嬢ちゃんはと共にどこからともなく現れたんだ」


「……えっ」


 真木さんの言葉に衝撃が走り、身体が硬直して鳥肌が立つ。 そう、は奴らの──蛇使いの目印だ。


「しかも、その女と最初に遭遇したのは鷹、お前だったんだ。 それも覚えてないのか?」


 ……何も思い出せない。ただ一つだけとても不安なことがある。


「じゃあ、もしもあいつが記憶を取り戻したら……」


「……ああ、可能性はある」


 真木さんはため息混じりにそう言った。


 言われてみれば、人見知りの俺が記憶喪失の怪しい奴に近づくわけが無い。


 そして、あの巨大なさそり……明日は誰も大人がいない、もしも琴乃が天敵ならば油断は出来ないな……

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