第43話 解決策


錆川さびかわ! おい! 錆川!」


 床に倒れていく錆川を寸前で受け止めるも、その身体にはほとんど力が入っていなかった。


「錆川さん! 大丈夫ですか!?」

「……ええ……もうすぐ、私は、終わります……」

「え!?」

「ああ……これで……やっと私の役目が果たされます……裕子ゆうこ先輩も……皆さんも……私が苦痛を抱えたまま死ぬことを望んでいた……」

「ふざけるな! 死んで逃げようって言うのか!? 勝手に全部抱えたまま、俺や姉さんを侮辱したまま終わろうって言うのか!?」


 錆川は白髪の魔王と同じように、『自分が死ねば全て解決する』と言っている。周りがどれだけコイツの無事を願っているのか、姉さんや蜜蝋みつろうさん、そして俺がどれだけコイツを止めたいと思っているのか、それをまるで理解せずにただ自分が死ねばいいと言っている。

 しかし俺は確信していた。仮にここで錆川が死ねば、今までその『体質』によって傷や苦痛を肩代わりしてもらった人たち全員が同じことを思うはずだ。


 『自分のせいで錆川紗雨ささめが死んだのはないか』と。


 だが錆川は皆がその思いを抱くという可能性にたどり着かない。自分が死んで「ああよかった」で終わるような人間だと誤解している。


 そしてその誤解を生んでいるのが、錆川が掴まされた『魔王が永遠に処罰されるエピローグ』だ。


「蜜蝋さん! とにかく錆川を保健室に運ぼう! いや、いっそのこと救急車を呼んで……」

「いえ、その必要はありません」

「え?」

「錆川さん、わたくしにあの時のお怪我を返してください。そうすればあなたの苦痛は軽くなるのでしょう?」

「は……?」


 『あの時のお怪我』というのは、蜜蝋さんが車に撥ねられた時の怪我ってことか? 確かに錆川は肩代わりした怪我を本人に返せるが、そんなものを返されたら蜜蝋さんは確実に死ぬ。


「……私が返すと思いますか……?」

「思いませんわ。だからこうしましょう」


 そう言って蜜蝋さんは教室の窓を開ける。


「あなたがわたくしの怪我を返さないのであれば、ここから飛び降りて死にます」

「……!?」

「おい、蜜蝋さん!?」


 ここは3階だ。落ち方によっては死ぬことも十分にあり得る。いや、そもそも蜜蝋さんは何を考えている?


「……やめてください……そんなことをしても……私はもうすぐ死ぬのですよ……?」

「ですがわたくしのお怪我を返せば、それを少しは遅らせられると踏んでいます。どうせわたくしはあの時死んでいたはずの身ですわ。あなたにお怪我を返してもらえなければ、自ら命を絶つまでです」

「……なんで……なんで私なんかのために、あなたがそこまでするのですか……?」

「その言葉はそっくりそのままお返ししますわ。理解してくださいまし、あなたのやっていることは、これほどまでに相手に苦痛を与えるのですわ」


 そうか。蜜蝋さんのやっていることは小説内で三人の勇者がやったことと同じだ。全てを抱えて死のうとしていた魔王の苦痛を自分も引き受け、その痛みを軽くする。そして同時に残された者の痛みを魔王に伝える。


 これこそが、錆川紗雨を止めるために最も有効な手段。


「自分が死ねばめでたしめでたしで済ませられると思わないことですわね」


 白髪の魔王の親友だった“空白”のアルジャーノンは、冷たくそう告げた。


「さて、選んでくださいな錆川さん。わたくしにお怪我を返すのか、それともわたくしが死ぬのを黙って見届けるのか」


 だとしてもこれは賭けだ。もし錆川がこれに乗らなくても、蜜蝋さんは本気で身を投げる覚悟だ。そうなれば錆川と蜜蝋さんの両方が死ぬ結果になりかねない。かといって蜜蝋さんに怪我が戻れば……!


「……!」


 錆川は無言で蜜蝋さんの足を掴み、その手に少しだけ力をこめたように見えた。


「う、あああっ……!」


 その直後、蜜蝋さんは苦し気に体をくねらせてその場に蹲り、両足にいくつかアザが浮かんでいく。


「こ、これは……!」


 間違いない。錆川によって肩代わりされていた蜜蝋さんの怪我が戻ったんだ。だとしたら一刻の猶予もない、急いで救急車を……


「これで……よろしいですか?」

「……え?」


 しかし予想に反して、蜜蝋さんの身体にはアザが浮かんだだけで以前の画像で見たような出血や骨折は見られなかった。


「全部は返しません……少しだけお返ししました……」

「……お、驚きましたわ……そんなことも……可能だったんですね……」

 

 まさか錆川は怪我の程度を調節して戻せるのか? 

 だが事実として、苦しそうに息を切らせているが、蜜蝋さんは床に座り込んだだけで倒れこまずに済んでいる。その顔には少しの安堵と錆川への抗議の目があった。


「やっぱり、私はあなたのことを何も知らなかったようですわ。いえ、あなたが意図的に隠していたというのが正確でしょうね」

「……隠していたわけではありません。言う必要がなかっただけです……」

「それを『隠していた』と言うのですわ。そしてその理由も想像はつきます」

「……理由?」

「ええ、私がこのことを知っていれば、『少しずつ私にお怪我を返して、あなたの苦痛を減らしたい』と申し出ましたからね」

「……!!」


 錆川の顔に焦りの色が浮かぶ。


「あなたはそれを恐れていたのですわ。自分が一方的に苦痛を引き受ける存在になれなくなることを。だから少しずつお怪我を返せることを黙っていたのでしょう?」

「……やめて」

「それだけではありません。他人が自分の苦痛を一緒に背負いたいと申し出てきたら、あなたは他人を見下せなくなる。自分以外の皆が『自分を利用する存在』だと思えなくなる」

「……うるさい」


「滑稽ですわね。あなたは『自分が全ての苦痛を引き受けて死ねばいい』と言いながら、そうしなくていい解決策を最初から持っていたのですわ」


「黙れっ!!」


 初めて聞く、錆川の叫び。しかしその声には力強さも怖さもない。


「……私は皆の痛みを引き受ける存在です。私以外にそれができますか? 皆さんのお役に立ちたい、その思いは間違っていますか?」


 確かに『誰かの役に立ちたい』という思いは間違っていない。それに錆川の『体質』が蜜蝋さんや奥村おくむら先輩たちを助けたのは事実だ。

 だけど……


「アンタがそこまで言うなら、もう一度蜜蝋さんに触ってみろ」

「え?」

「もう一度触れば、さっき返した怪我もまた『肩代わり』できるはずだろ? やってみろ」

「さ、佐久間さくまくん? そんなことをしたら錆川さんは……!」


 確かにさっき戻した怪我をまた『肩代わり』すれば、錆川は限界を迎えるはずだ。


 だが俺の予想ではそうはならない。


「……そんなっ!?」


 その証拠に、蜜蝋さんの足に再び触れた錆川の口から驚愕の声が漏れた。


「肩代わり……できない……? そんなはずは、ないです」


 錆川はその小さな手に必死に力をこめるが、何度やっても蜜蝋さんの身体にあるアザは消えることがなかった。


「ダメです……私は……! 皆さんのお怪我を全て、引き受けて……!」

「もうやめろ錆川。アンタはもう、蜜蝋さんの怪我を引き受けられない」

「ど、どういうことですの佐久間くん? 何が起こっていますの?」

「予想はしていた。錆川はどうしてこうまで自分の『体質』を見せびらかすのか。なんで錆川は自分のことを『痛みを引き受ける存在』だと主張し続けるのか」


 俺の言葉に錆川は目を逸らす。


「アンタの『体質』は、『錆川紗雨は痛みを引き受けて当然の存在である』という前提を持つ人間にしか効果を発揮しない。アンタが『体質』を隠さなかったのは、この学園内の生徒にその前提を共有させるためだ」


 そうだ、初めて錆川に会ったあの日。俺は錆川の『体質』を目の前で見た。だからあの後俺が怪我をしても、錆川は俺の怪我を『肩代わり』できたんだ。

 なら、俺に錆川の『体質』を見せたのは誰だったか。俺は誰に錆川の『体質』を教えられたのか。


「あーあ、余計なことしてくれるじゃねえか。どうしてくれんの、錆川がこれ以上怪我を引き受けられなくなったらさあ?」


 そう言いながら教室に入ってきた男は、言葉とは裏腹に笑っている。


岸本きしもと……!」


 そうだ、表向きはずっと錆川と敵対していたはずの男。その裏で錆川の『体質』を学園内に広め、錆川の目的に協力していた男。


 岸本灰南はいなん。こいつこそが、錆川の行動を操っていた“ゴーストライター”だ。

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