8章(9)

 背後から不意打ちで刺された晴川が、うつ伏せに倒れる。


「貴様の顔は忘れんぞ、豚め……!」


 虎丸さんが突き刺した剣を激しく動かした。

 晴川の口から絶叫が漏れる。


「ハレちゃん!」


 弓鳴が悲鳴をあげて晴川に駆け寄っていく。

 僕は出遅れた。

 その瞬間、晴川のことをだと思っていたからだ。

 晴川の傍で屈みこんだ弓鳴に、村越が剣を突きつける。


「動くな。お喋りもなしだ」


 友好的な雰囲気とは程遠い。

 どこで調達したのか、三人ともスーツを着て、抜き身の剣を手にしている。

 僕も弓鳴も、そのまま二十一世紀に戻るつもりだったから、武器のたぐいは何も持っていない。


「死んだか? 死んだな?」


 虎丸さんが憎々しげに吐き捨て、晴川の背に足をかけて剣を引き抜く。

 その勢いで、よろめいた。

 剣の重さを持て余している。

 体格が小柄ということもあるが、訓練不足だろう。

 虎丸さんは、僕の知る限り一度も『研修』に参加していない。


「なんで、こんなことを……!」


 僕の問いかけに、虎丸さんが口の端を吊り上げて笑った。


だろう! 銃で脅されているところを救ってやったのに、礼のひとつも言えんのか」


「どうやって――」


 ここが分かったのかと続けようとして、質問の愚かさに気づいた。

 五月一日にこの教会に来ることは社内でさんざん情報共有してきたし、六時という時間を社長に話したのは、他ならぬ僕だった。


 虎丸さんはその質問を別の意味に取った。

 


「社長が教皇軍の司令官に就任されたことは、噂で聞いていた。捕縛されたと知って、昨晩、解放して差し上げたのだ」


 得意満面の顔で語る。

 社長が説明を引き取った。


「茶山、イタリア人には、おまえも虎丸も村越も同じに見えるらしいぞ。あっけなく、二人を牢に通したからこっちが驚いた。お祭り騒ぎで気が緩んでいたんだろうがな――」


 こんな社長は見たことがない。

 無気力というか、

 一方で、虎丸さんは復讐の高揚感に酔っていた。


「さて、村越――おれたちが味わった三十二ヶ月の辛労辛苦しんろうしんくについて、茶山に礼をしなきゃならんな」


「ええ、キッチリ三十二回刺してから殺すってのはどうですかね……!」


 村越が声を弾ませる。

 M字の髪の生え際が、さらに後退したようだ。

 左頬に見慣れない刀傷がある。

 目の下から唇まで達していて、凶相を強めている。

 生き延びるために、荒っぽいことに関わってきたのかもしれない。


 ふと、気づいた。

 血塗ちまみれで横たわる晴川の口が動いている。

 傍にいる弓鳴に、小声で何かを伝えているようだ。弓鳴が、目立たない仕草でうなずきを返している。

 虎丸さんたちの気をらさなければ――


「いや、参りました。二年半以上、たったお二人でこの時代を生き抜くとはさすがですね。後学のために、ぜひお話を伺いたいです。どうでしょう、この続きは、二十一世紀でしませんか? 今日ぐらい、仕事はしないでビールを飲みに行くとか」


 虎丸さんは頬を震わせて笑った。


「茶山、三年半ご苦労だったな。。方法を教えろ。言わないなら、この女を殺す。それならそれで構わんぞ。何しろ、大きな借りがあるからなァ……」


 虎丸さんが、弓鳴の頬を刀身で叩く。

 薄皮が裂け、血が滲んだ。

 弓鳴は、晴川との会話を終えていたらしい。

 顔を上げ、虎丸さんを視線で射る。


「不意打ち、人質を使った脅迫――口でどれだけ大きなことを言っても、肝の小ささが丸見えですよ、営業局長サマ」


「喋るなと言ったぞ!」


 村越が弓鳴の腹に蹴りを入れた。

 弓鳴が体を折って、床に這いつくばる。

 と頭の中が熱くなった。


「やめろ、村越!」


 村越が、蛇に似たつぶらな目を僕に向けた。


「茶山さぁん。久々に会ったら、ずいぶん偉そうじゃないっすか。え? チョコチョコ小細工してのし上がった茶坊主風情ふぜいがよ!」


 僕に見せつけるように、再び弓鳴に蹴りを入れる。

 そのときだった。

 うつ伏せに倒れていた晴川が身をねじって、村越に拳銃を向けた。


「死ねや、カス!」


 発砲。

 銃弾が村越の右頬をえぐり、新しい傷痕を刻んで飛び去っていく。


「……死にぞこないが!」


 村越が剣で晴川の胸を貫いた。

 ひゅうっと空気の抜けるような音がして、晴川の口から大量の血が溢れる。

 僕は村越に体当たりを食らわせた。

 村越がバランスを崩し、尻もちをつく。

 剣が手からこぼれて床の上を滑り――それを、弓鳴が拾った。


「悪あがきしやがって……!」


 村越が上ずった声で怒鳴り、押さえつけようとした僕を突き飛ばして立ち上がる。


「村越、使え!」


 虎丸さんが村越に自分の剣を差し出す。


「ありがとうございます。お二人は見ていてください!」


「おう、やれ。やってしまえ!」


 虎丸さんが村越をけしかける。

 社長は無言だった。

 少し離れた場所から、つまらなそうに争いを眺めている。

 まるで、偶然通りかかった部外者のようだった。


 村越が剣を構えて弓鳴との距離を詰めていく。

 

「こんな女、すぐ片付けますから!」


……?」


 弓鳴は素早く踏み込んだ。

 言葉を吐き出しながら、剣を村越に叩きつけていく。


「私は! 弓鳴真記! 管理局総務部――平社員!」


 防戦一方になった村越の剣が、大きく弾かれた。

 がら空きになった喉を、弓鳴が切り裂く。


「ぐっ……ああ……っ」


 村越は小さな目を見開いて弓鳴を睨みながら、自ら作った血溜まりの中に沈んだ。


「社長は、やらせんぞ……!」

 

 手ぶらの虎丸さんが、脂ぎった顔で言いながら、一歩二歩と社長から遠ざかっていく。

 僕は晴川の銃を拾い、社長に向けた。

 その瞬間、社長の目に強い光が戻った。

 巨体からは想像できない早さで動き、剣を払う。

 僕が構えた銃が弾かれ、遥か後方へと飛んでいった。


 弓鳴が社長に斬りかかる。

 その斬撃を、社長は軽々と受け止めた。

 僕が社長につかみかかり、体をつかむ。

 怪我をしている左肩と腕を。

 それは、社長にわずかな隙を作った。

 弓鳴が社長の頭を目掛けて剣を振り下ろす。

 終わった――

 そう確信したとき、目の前で、

 弓鳴より遅れて振り上げた社長の剣が、一瞬の間に、凄まじい速さで弓鳴の肩に打ち込まれていた。外からでも分かる。腕が千切れてしまいそうなほど、傷が深い。弓鳴の膝が落ち、声もなく倒れた。

  

「……弓鳴!」


 僕の前に、虎丸さんが立ち塞がった。

 乱戦から逃れて、いつの間にかまた剣を手にしている。


「そこに両膝をついてひざまずけ!」


 武器はない。相手は二人。

 

 何か、切り抜ける方法を考えなくては。

 早くしないと、弓鳴が――

 必死で頭を働かせながら、社長と虎丸さんの前に膝をつく。


 社長が静かな口調で語りかけてきた。


「茶山――おまえは昨日、『この歴史そのものをなくす』と言ったな。正気とは思えん。。まんまとフィレンツェ政府に食い込んで、靴屋も成功していたんだろう。なんでわざわざ、ショボい立場の時代に戻る必要がある?」


「……戻って、会社コローレを変えます」


「なに……? そんなことができると思うか?」


「二十一世紀でも、あなたと戦います」


「……ほう」

 

 社長の目に、何か感情がよぎった。

 そうか、この無気力の正体は――


「それより、社長にはガッカリしました。負けたくせに、手下に助けてもらって、で勝とうだなんて! ――ああ、残念だ。私が元の時代に帰れなければ、二十一世紀での戦いもですね」


 虎丸さんが高笑いをした。


「笑わせるな! おまえがいま口にしているのが、まさに負け犬の遠吠えというものだ。いいから、元の時代に戻る方法を――」


 、と鈍い音がした。

 虎丸さんの剣が、柄を持っている手ごと、ぼとりと床に落ちた。

 虎丸さんが目を丸くして、社長を見る。


「しゃ……社長? 我々は一心同体だと……」


「言った。が、


 社長は一刀で虎丸さんを切り捨てた。

 虎丸さんは声にならない叫び声を上げながら倒れ、動かなくなった。

 社長が剣を僕の目の前に投げ捨てる。


「……なんで、そんなことを――」


「そっちの方がと思っただけだ」

 

 その目が、楽しそうに輝いている。

 危険な賭けだった。

 社長は、

 あってはならないことだが、社長にとっては、この時代に生きること自体がゲームのようなものだった。そして、負けを潔く認めていた。この状況は、興醒めの蛇足でしかなかったのだ。だから僕は、を提供した。


 聖堂中に響き渡る声で、社長が吠える。


「茶山、言ったからには本気で来いよ。おれを退屈させるな。!」


 ニヤリと笑うと、背を向けて聖堂を出ていった。


 立ち上がり、弓鳴に駆け寄って抱き起こす。

 床にこぼれた血の量で分かった。

 

 全身に冷たい汗をかき、意識が薄れかけていた。


「……ハレちゃんから、伝言です。元の時代に戻ったら、『寄り道は絶対にアカン、まっすぐウチのとこに来て』って、繰り返し何度も……」


 弓鳴があまり似ていない口真似くちまねで言った。


「……分かった」


 晴川は、すでに息絶えている。

 彼女の役割とは何だったのか。

 秘密が多かったのは事実だが、たとえば温泉村の戦いでチェーザレから僕を助けるために切り札を明かしたことは、本来の仕事を逸脱していたはずだ。


 弓鳴がうめきながら言った。


「行ってください、茶山さん……」


「君を置いていけない」


「そういうの、いいですから……」


 弓鳴は苦しそうに顔を歪めながら笑った。


「そうだ……二十一世紀の私に、『おまえだけだ』って、言ってみてください。マンガの推しキャラの決めゼリフなんですよ。話をするきっかけになるかも……」


 初めて話した日、オフィスで弓鳴が手帳から落としたシールのことを思い出した。


「それ、念のために?」


「嘘でしょ……そんな短いセリフ、言ったらすぐに覚えますよ」


「『おまえだけだ』?」


「……めちゃくちゃ自信なさそうじゃないですか」


 僕は蒼白になった弓鳴の顔を見た。

 様々な風景が、言葉が、表情がよみがえる。

 出会いは最悪だった。

 イタリアに来て、新しい一面を見た。

 自分が嫌いなものには決して屈しなかった。

 何度、ののしられ、叱られたか分からない。

 それでもこの三年半、僕をずっと支え続けてくれたのは――

 いつも傍にいて欲しいと思ったのは……


「弓鳴、君だけだ」


 弓鳴の目に涙が溢れた。


「……録音、してもらえば良かった……」


 僕は弓鳴の手を握った。

 血と汗で濡れていた。

 弓鳴が、握る手に力を込める。

 僕も強く握り返す。

 弓鳴の手が力を失って落ちるとき、指先が僕の指の背を撫でていった。


 僕は涙をこらえて立ち上がった。

 やらなくてはならないことがある。

 聖具室に入り、壁に空いたスロットに社員証を入れた。


『タイム・ホールを確認。層貫航法による位置接続を開始します』


 金属的な声が聞こえた。

 部屋が、静かに地下に沈んでいく。

 来たときとは大違いだ。


 そして―――

 無機質な電子音が鳴って、聖具室の扉が開いた。

 目の前に、コローレ本社ビルの廊下があった。

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