7章(7)
街の外で衛兵に囲まれ、
「ちょー、なんなんこれ、犯罪者みたいな扱いすなや」
晴川が抗議するが、まったく相手にされない。
会議場は人で埋まっていた。
政府の要職につく者には片っ端から声がかかったらしい。当然、共和国の元首である『
臨時委員会は
というより、マキャベリが一方的に
代表大使トンマーゾと同行していた官僚が亡くなったので、必然的にそうなってしまう。マキャベリが丁寧に経緯を説明し、教皇領の謀略だったと弁明しても、非難の声は止まなかった。
マキャベリは、疲れ果てて
僕はマキャベリの後ろから、彼を責め立てる人々を見ていた。
整えられた髪と髭。灯りを照り返す絹の服。血色のいい顔。肥えて丸くなった指。
僕たちが山道を凍えながら進んでいたとき、血煙を浴びて教皇軍と戦っていたとき、安宿で腐りかけのキジ肉を分け合って食べていたとき、暗い森の地べたで身を寄せ合って寝ていたとき――彼らはどこで何をしていたのか。
「くだらぬことをいつまでも!」
マキャベリの隣に座っていたサヴォナローラが立ちあがった。
よく通る声で、臨席した委員たちに訴えかける。
「諸君、では引責でメッサール・ニコロを
会議場が水を打ったように静まり返った。
さすが、言葉ひとつで街を掌握してきただけのことはある。
重い沈黙が漂う中、ひとりの委員が恐る恐る口を開いた。
「あのう――金銭で解決できないものかね。そりゃ、高額な請求をされるだろうが、街が焼かれることに比べれば……」
マキャベリは力なく首を横に振った。
「……彼らは最初に金を、次に我々の命を取るでしょう。順番が変わるだけです。制圧すればどちらも手に入るのに、なぜ片方だけで我慢しなくてはならないのですか」
また、別の委員が言った。
「君の言う通り、交渉決裂が不幸な事故だったとするならば、教皇に改めて話し合いを持ちかけ、武力行使を遅らせるべきだ」
フィレンツェ政府の外交は、時間稼ぎがベースにある。
引き伸ばしこそが、最上。
しかし――
「それはもちろんです。ただ、だから何の準備をしなくてもいいということではない。もはや、他国や傭兵を頼るべきではありません。我々は何年も、そこを誤っていたのです」
マキャベリの言葉に反論できる者はいなかった。
臨時委員会はマキャベリの処遇を棚上げして、教皇と対話をすべきか、抵抗するかの議論を始めた。結論が出ないまま、焦燥感だけを共有して委員会は解散した。
すっかり夜になっていた。
僕たちは重い足を引きずりながら社畜工房へと向かった。
社畜工房は、元が貴族の館だけあって、大人数が暮らすことのできる設備がある。
あまりの疲労に、誰も口を開かなかった。
出発する時は八人いたのに、いまは半分になっている。
入り口で解散したあと、弓鳴がその場に残った。
「……匠司のところに、行くんですよね」
「うん、これを届けないと」
僕は手に遊馬の靴を持っていた。
「匠司、どんな顔するかな。想像つかないです……」
弓鳴の頬がひくっと
移動中はずっと神経が張り詰めていた。それが緩み、ひとりの時間ができたら、いよいよ現実と向き合わなくてはならない。
「とにかく、君は休んで。お疲れ様」
弓鳴は無言で小さくうなずいた。
僕は中庭を横切り、表通りに面した部屋に向かった。
匠司が建物の一角を工房に改装して、フィレンツェにいるときには、いつもそこで作業していた。
ノックし、返事を待って扉を開ける。
匠司はテーブルに
手元に、サイズらしき数字の書かれた紙がある。
「お帰りなさい」
チラッと視線を投げて、空いている椅子を勧めてきた。
座ったものの、疲労と憂鬱な気分のせいで、用件を言い出せない。
当たり障りのない会話の糸口を探す。
「……いつも、そんなにしっかり木型を作っているのか?」
「ええ――オーダーメイドのときには。これが良し悪しを左右するので、気が抜けません」
「……丁寧な仕事だね」
「ひとつの製品が、会社全体の評判や信頼を大きく変えてしまいますからね」
匠司が手を休めずに答えた。
木が削れる小気味の良い音に、眠気を誘われる。
「交渉が決裂したことは聞きましたよ。でもまあ、みんなが無事なら――」
「遊馬が死んだ」
匠司の手が止まった。
机の隅に、遊馬が履いていた靴を置いた。
「いい靴だったって、言っていたよ」
「……他のみんなは無事だったんですか?」
「弓鳴と晴川はね。他のみんなはほとんど……」
「……そう、ですか」
匠司はつぶやいて、再び作業に戻った。
リズミカルだった作業音が乱れている。
「あいつ、どうせ、かっこつけたんでしょう。ここは自分が食い止める、とか」
苦々しく言いながら、その声が少し震えていた。
「状況は少し違うけど、ピンチを救ってもらった。……遊馬に命を助けられるのは、これで二回目だな」
バカだな、あいつは――と匠司がつぶやいた。
そこで急に口をつぐんだ。
力が入りすぎたのか、木型の
ああ、と溜め息をつく。
「作り直しだ」
削っていた木型を作業台の上に置き、遊馬が履いていた靴をじっと見た。
泥や血がこびりついてボロボロになっている。
「――頑張ったな」
それが靴に向けたものなのか、持ち主に向けたものなのか、分からなかった。
突然、口もとに微笑が浮かんだ。
「茶山さん、二十一世紀に戻ったら、『バイオ素材のスニーカー』って僕に伝えてもらえませんか」
「バイオ素材……?」
「いま、思いついたんです。使用後にリサイクルできて、廃棄するときは百パーセント土に還る。その上でデザインがいいスニーカーがあればって……」
僕は遊馬から聞いた『世界一の靴』を思い出した。
スニーカーを想定した話だった記憶がある。
「それだけ言えば、僕なら、きっと分かるので」
遊馬を
気持ちの切り替えがあまりに早く、唐突に思えたが、そうすることで彼なりに受け入れがたい悲しみを消化しているのかもしない。
匠司が新しい木の塊を手に取った。
サイズの書かれた紙を見て、作業を再開する。
その音に、もう元のリズムが戻っていた。
× × × ×
サン・カシャーノ・デイ・バーニで起こった『事件』の後、教皇軍の動きは止まった。軍の中核を占めていたフランス兵が帰国したからだ。彼らはフランス王から命を受けて、ヴァレンティーノ公であるチェーザレに貸し与えられていた。そのチェーザレが死んだのだから、教皇軍に留まる理由がないというわけだ。
これは、総司令官になったばかりの社長にとって誤算だっただろう。ロマーニャから兵を引き上げて本拠地であるローマに戻り、教皇から軍資金を得て傭兵を雇い直さなくてはならなかった。
再び軍が動くのは、一四九九年の三月上旬。
一万二千人で再構成された教皇軍は、一週間でシエーナ共和国を制圧した。
それを聞いて、国境沿いに集まっていた兵士たちの姿が思い浮かんだ。
教皇軍は北上し、フィレンツェ国境に接近。一気に市内の緊張が高まったが、軍はそこでロマーニャ地方へと進路を変え、とりこぼしていたファエンツァを攻める。この不可解な動きには、フランスが関係していたようだ。
フランスとフィレンツェの関係は深い。軍事、貿易どちらの観点からも、フィレンツェは実質的にフランスに
しかし、
支払いの分割を打診すると、フランス王ルイ十二世は激怒した。
「では、我々がそちらに行って、直接守ってやろう」
これは脅しではなかった。フィレンツェの北にあるミラノ公国の統治権を主張すると、派兵してこれを制圧。イタリア半島に侵入する
一四九九年三月十六日。
教皇アレクサンデル六世はフィレンツェ領内全都市に対し、
フィレンツェは、周囲を敵対勢力に囲まれた。
北にフランス。
西にピサ。
東と南に教皇領。
この対フィレンツェ包囲網は、『教皇の
フィレンツェも手をこまねいていたわけではない。
『正義の旗手』ピエロ・ソデリーニは、マキャベリに
「我々が我々の手で侵略者と戦うときが来たのだ!」
サヴォナローラがシニョリーア広場で説教を行い、多くの市民が熱狂的にそれを支持した。
五月まで、あと二ヶ月弱――
史実にはない大戦が始まろうとしていた。
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