6章(5)

 全社投票、二日目。


 昼食のあと、一日目とは順番を入れ替えて、派遣反対派の晴川が壇上に立った。

 晴川の顔に、緊張は微塵も感じられない。

 いつもの人を喰った喋り方で、聴衆に問いかけた。


「コローレの新人研修、覚えとる人ー? いち、に、たくさん、ハイありがとう。長野っぽいけど群馬やん、みたいな山奥で、大きな声で挨拶させられたり、寒いのに半袖になったり、ハードなハイキングやらされたり、軍隊みたいやなかった? ヤバないこの会社、って思ったよな? あれやな、ダメな会社って軍隊に似るんちゃうかな。でも、いま気づいたら、リアルな軍隊になりかけてるやん。これ、ヤバない? って話ですよ」


 晴川のスピーチの特徴は、『共感』だ。

 同じ体験を思い出させ、重ねて同意を呼びかけることで、聴衆の気持ちを引き寄せる。笑いどころがあり、リラックスして聴けることも好印象だった。


 説得の成否は、かなりの部分、内容そのものよりも発言者に対する好感度で決まるのではないだろうか。好感が持てれば、不完全な内容でも納得する。不快な相手が言うことは、理屈が通っていても、理由をつけて受け入れない。発言を、スピーカーとはまったく別に是々非々ぜぜひひで考えるということは、とても難しい。

 晴川は社員の心をつかんだ。計算したわけではないだろうが、前日の遊馬のストレートで熱いスピーチを考えると、ちょうど良いバランスだった。


 トリは弓鳴だ。

 派遣賛成派は、匠司の悲惨なスピーチによって、かなりポイントを落としている。ここから盛り返すには、相当の力技が必要になるはずだ。朝食のあとに匠司と話し込んでいるところを見かけたが、反撃の糸口を見つけられただろうか。

 演説台に向かう弓鳴の表情が、いつになく硬かった。

 血の気が引いて、昨日の匠司のように青白い。 

 なんだか僕まで緊張してきた。

 弓鳴は演説台に立ち、集まった社員たちを見渡してから話を始めた。


「皆さん、こんにちは。評議員の弓鳴真記です。まず申し上げたいのは、今回の派遣の目的が、政府と敵対国が友好を保つ手伝いであるということです。会談がこじれ、紛争にまで発展すれば、この村も安全ではなくなってしまう。ですから、会談の成功は私たちの利益でもあるのです。また、結果がどうであれ、現場に行けば最新の情報が手に入ります。これは、あと八ヶ月間を無事に生き抜くための貴重な判断材料になります」


 昨日の匠司の支離滅裂なスピーチと違い、冒頭から説得力がある。

 話しているうちに、頬に赤みがさして、表情が柔らかくなってきた。


「もうひとつ、派遣にはメリットがあります。フィレンツェ政府に、靴の店を持たせてもらう約束をしています。『直営店舗』ですよ、皆さん。いままでの委託販売とは違って、商品をたくさん扱える。数が増えれば、資材を管理する仕事が必要になります。店頭には、営業の皆さんが立つでしょう。売上や労働時間は、管理局で計算します。


 思い出す光景がある。

 この時代に来た翌朝、匠司が僕のところに来て、こう言ったのだ。

 『靴を売りませんか』――


「コローレはブラック企業です。間違いなく。私たちはひどい環境で、歯を食いしばって働いてきた。それでも、私たちが世に送り出した靴は、きっと良いものでした。そのことだけは、誇っていいと思います。皆さん、この中世イタリアで、あと八ヶ月、『靴屋』をやってみませんか。農業でもなく、傭兵でもなく、靴を作って生活すする。それが私たちからの提案です。――以上です」


 拍手がさざなみのように会場に広がり、それが大きな拍手へと変わった。

 弓鳴の演説は、派遣による実利を説明しただけではなかった。各社員の生きてきた時間に触れ、それを肯定したうえで未来を示した。心を揺さぶられた社員が少なからずいたのではないだろうか。

 

 十五分の休憩の後、投票が行われた。

 配られた木の札を『賛成』か『反対』どちらかの箱に入れていく。

 即日開票され、僅差で賛成派が勝利した。


 × × × ×


 教会を出たところで、遊馬を捕まえた。

 敗北が信じられないようで、打ちのめされた顔をしている。


「ちょっと、いいか」


 修道院を出て東の野原を横切ったあたりに、手つかずの自然が残っている。

 僕たちは暮れていくトスカーナの大地を眺めながら、丘の斜面に座って話をした。


「まさか、巻き返されるなんてな」


 笑ってはいたが、遊馬の口調には無念さが色濃く滲んでいた。


「祐介さんは、どっちにいれたんです?」


「『反対』だよ」


 それを聞いて、遊馬は顔をほころばせた。


「意外だな。絶対、賛成だと思っていました」


「賛成派の理屈は分かる。弓鳴のスピーチも良かった。でも、戦うのは――その可能性に近づくのは、怖い。これは理屈じゃないからね」


 遊馬は深くうなずいた。


「おれはね祐介さん、賢太郎がときどき怖くなるんです。あいつは、目の前に銃があれば、機能をアップさせる。弾を作る。火薬を改良する。それでできることを考える。道具至上主義なんですよ。というか――」


 遊馬はもどかしそうに話した。

 なんとなく、言わんとすることは分かる気がした。


「彼は根っからのデザイナー脳の持ち主だね」


「ええ。でも、それって危うさもあって。最近、靴じゃなくて、銃を中心に生活がデザインされている気がしません?」


「君は前にも同じようなことを話していたな……」


 確か、マキャベリが傭兵隊を率いて襲撃した日だ。


「ええ。銃を作る。それを扱う訓練をする。敵を積極的に『攻撃する』という選択肢が生まれる。より性能の良い銃を作る。訓練をする。攻撃の意識が高まる。それを繰り返すうちに、傭兵として価値を認められて依頼がくる……」


「……でも、残念だけど、身を守るために銃は必要だ。この時代ではね」


「もちろんです。ただ、そのサイクルが加速している気がして。賢太郎には、靴造りに集中して欲しいんですよ。あいつが作る靴のファンなので」


 犬猿の仲のように見えていたから、その発言には意表を突かれた。


「それ、本人に言ったことは?」


「あるわけないじゃないですか」


 遊馬は笑って、懐かしそうに目を細めた。


「入社した頃に同期だけで飲んでいて、おれたちの世代で、ヒット商品を作ろうって話になって――おれ、スニーカーがいいって言ったんです」


「……企画会議でウケが悪そうだね」


 スニーカーは原価率が高いうえに、競争が激しい。薄利多売をしなくてはならないが、唐突に新製品を作ったところで、まず数が出ない。製品化の可否を決定する会議には、営業局の人間も多数出席する。そこで、営業サイドから強い反対の声が上がるのがオチだ。


「賢太郎も同じことを言うから、おまえが世界一のスニーカーの企画書を書けば、会議も通るんじゃねえのって返しましたよ」


「また、モメそうなことを……」


「そしたら、会議を通すから、それを世界一売れよと言われて。結局、あいつはすぐ『センプリス』にかかりきりになったんで、実現しませんでしたけど」


 そう話す遊馬の顔からは、もう屈託くったくが消えていた。


「店舗を持って営業に仕事をさせたいって言ったのは、匠司なんだよ」


「なんとなく、そんな気がしました。やるからには、バンバン売ってやりますよ」


「評議員は兼任できるはずだ。辞めるなんて言わないよな?」


「ちょっと頭をよぎりましたけど……、これで辞めたら、違う意見を言ったから排除されたと思う人が出ますよね。そしたら、今後、みんな物を言いにくくなる。だから、むしろおれがフィレンツェに行きます」


 遊馬のことを、頭のどこかで、理想論ばかり口にする幼稚な男だと思っていた。それは誤りだった。きれいごとを口にしながら、その一方で、冷静に物事の本質を見極める目を持っている。


 こうして初の全社投票が幕を閉じた。

 三十名の社員が警備・護衛任務のためにフィレンツェへと向かった。

 評議会から参加したのは、僕と弓鳴、遊馬だ。

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