3章(11)

 ヴァル・ディ・トッリという村に全社員で移動することになり、撤収作業が始まった。朽木さんは偵察隊を出して村の様子を伺うべきだと主張したが、宮間さんがそれを退しりぞけた。


 どちらの意見にも理があった。

 村の存在が確認されていないのに全員で移動するのは、空振りだったときの無駄が大きすぎる。しかし昨晩、捕虜が『仲間が丘に灯りがあるのを見つけた』と言っていた。ここに留まれば、別の強盗に襲われる危険がある。


 いくつかの班に分かれ、撤収作業が進められた。

 荷造りし、持ち運べない備品を処分していく。

 朽木さんが指揮を取り、僕が補佐した。

 旅立つ前にしなくてはならないことがあった。

 深く掘った穴の中に遺体を並べ、荼毘だびに付す。

 油を染み込ませた麻紐が火の回りを助け、穴の外まで届くほど大きな炎になった。


 多くの社員が、少し離れた場所からそれを見送った。

 遊馬が人目をはばからず、大粒の涙を流している。

 田中は敵の剣を手で掴み、攻撃を遅らせたらしい。

 決死の渡河に続き、会社を救った英雄。

 彼の死は、会社全体にある種の高揚感をもたらした。

 崇高すうこうな自己犠牲という物語を見せた。

 でも、みんなは知らない。

 剣を掴んだ田中の両手の指は、千切れかけていた。

 

 肩を斬られた痛みをこらえようと噛みしめていたのか、奥歯が砕け、体を運ぼうとしたときに、口の中から白い欠片かけらがこぼれおちた。

 僕はあんな風に死にたくないし、誰かを死なせたくもない。


 役員会での虎丸さんと朽木さんの口論を思い出した。

 虎丸さんは部下の死を礼賛らいさんしたのだ。


「我が営業局員の尊い犠牲によって、会社は救われた。他人のために自分を捨石にする――いまは、みなにその精神が求められる。彼はそれを身をもって示したのだ。ゴロツキどもが一人死んだ? 憎まれて当然ではないか。それでも、命の重さが釣りあわん。残りのひとりも、道案内をしないというなら、ここで打ち首にするべきだ」


 朽木さんが嫌悪感を露わにした。


「――まったく野蛮だな、君は。打ち首と簡単に言うが、そもそも、そんなことが誰にできる?」


 虎丸さんは余裕を保ち、淡々と応じた。


「宮間社長代理にご裁断いただければ、おれが部下に命じて実行するとも」


「部下、か。捕虜を闇討ちしたのも、君が部下に指示を出したんじゃないのか」


「なんだとっ――」


 虎丸さんが激昂して立ち上がった。


「おれを侮辱するつもりか! 口を慎め、たかが執行役員が! だ!」


 虎丸さんが口にしたことは事実だ。

 『社律』で、そう定められている。

 朽木さんが立ち上がった。


「残念ですが、お役に立てないようなので、これで失礼します」


 虎丸さんではなく場に向けて頭を下げて、歩き去った。

 すっかり、気まずい空気になってしまった。


「……では、最上位者の権限で決めます。捕虜は殺しません」


 宮間さんの決定に、虎丸さんは苦々しい顔をしたが、その原則を自らが言い放ったばかりだ。反対はしなかった。

 こうして、強盗は解放されることになった。

 身につけていたものは衣服以外すべてを没収し、手だけを縛った状態でここに残していく。野垂れ死にするかもしれないが、さすがにそこまで心配する義理はない。

 彼らの持っていた武器、ささやかな財産、三頭の馬はこちらで使うことにした。


 × × × × 


 丘に囲まれたすり鉢状の地形の底に川が流れ、寄り添うように家々が並ぶ。

 建物の窓や屋根から、細い煙が空に昇っていく。

 穏やかな生活の気配。

 水車小屋がある。高い塔を抱えた教会らしき建物が見える。

 小高い場所に、一際ひときわ大きな館が建っていた。

 間違いない――ここがアントニーオが言っていた村だろう。

 かりそめの拠点を引き払い、水位の減ったアルノ川の流れに沿って歩いて一時間半。僕たちはようやく人里にたどりついた。

 

 社員たちの顔には、喜びと不安がないまぜになっている。

 たぶん、考えていることはみんな同じだ。

 ――村人と、うまくコミュニケーションが取れるのか?

 この時代に来て最初のコンタクトがあまりに衝撃的だっただけに、不安が募る。


 先行していた集団が足を止めた。

 虎丸さんが大声で整列を呼び掛けている。


「停めてくれ」


 僕は馬の手綱たづなを引く匠司に声を掛けた。

 匠司たち企画局の数人が手分けして簡易的な馬具を作り、僕や他の怪我人を馬に乗せてくれた。馬術の心得はないので手綱を引いてもらっていたのだが、乗り心地はひどいもので、二度嘔吐した。胃の中のものを全部吐き出してなお不快感が残っている。

 松葉杖を使って立ち、改めて村を眺めた。


「さて……どうしようね」


「また会議ですか? どうせ僕らに様子を見て来いって言うんでしょう?」


 匠司が投げやりな口調で言う。

 いつ見ても髪に寝癖がついている。直すつもりもないようだ。


「今回は、最初からおれも行くよ」


 そこに顔を上気させた弓鳴がやってきた。

 

「茶山さん! あの村――典型的なインカステラメントです!」


「……イン、何だって?」


「インカステラメント! 授業で習いましたよね?」


 物凄い早口だ。


「……習ってないと思う」


「丘の上にある領主の館の周辺に農民が集まってできた村です。ちょっとした防衛機能があるんですよ」


 ほら、と弓鳴が畑と家々の境界に張り巡らされた石垣を指した。

 ただ、高さは人の背丈の半分ほどで、大人がその気になれば、楽に乗り越えられそうだ。石垣の外には、通路で三分割された広大な畑が広がっている。

 時期的なものなのか、農作物は見当たらないが、開墾かいこんされて土が剥き出しになった区域には、種蒔きをしたとおぼしき土の列があった。数頭の羊と痩せた牛が、冷たい風に打たれながら丘の斜面で草をんでいる。


「偵察! 行きましょうよ!」


 弓鳴が目を爛々らんらんとさせている。

 オフィスで会った頃の無愛想な態度とのギャップが凄い。


 村人を警戒させないために、少人数で領主に会いに行くことになった。

 メンバーは、匠司が予言した通り、連絡会の面々。それに僕だ。

 畑を分割する坂道を下り、村に近づいていく。


 村の石垣の向こうに人の姿が見えた。

 地元の農民だろうか。フードとポンチョが一体になったような白い衣服で頭部から胸のあたりまでを覆い、顔の部分だけを露出していた。性別は、よく分からない。

 晴川が大声で呼びかけると、弾かれたように村の奥へと走り去った。


「えっ、ちょっ、待ってーな」


 晴川が唖然として虚空に手を伸ばす。

 石垣の前に、人がばらばらと集まってきた。

 十人……いや、十一……十二人。


「嫌な予感がするの、僕だけですか」


 つぶやいた匠司に、相槌あいづちを打つ。


「歓迎のセレモニーじゃなさそうだね」


 村人たちが、細長い筒に似たものを石垣の上に並べていく。

 弓鳴が叫んだ。


「火縄銃です!」


「嘘だろ、またこのパターンかよ! どんだけクソなんだ、この時代はっ!」


 遊馬が悲鳴を上げた。

 あたりには、身を隠せそうな場所がない。


「伏せろ!」


 僕は膝をつき、畑にうつ伏せに倒れ込んだ。

 部下たちもそれにならったが、弓鳴だけは、地面に膝をついて上半身を立てている。


「弓鳴!」


「あれ、すぐには撃てないんですよ。でも、けっこう手慣れてるなー」


 確かに、村人たちは発砲せず、杖に似たものを銃の中に突っ込んでいる。


「でもそのうちに撃ってくるんだろ? 伏せろって!」


 僕が怒鳴っても、弓鳴は平然とした顔で村人たちを見ている。


滑腔銃身かっこうじゅうしんですから、この距離じゃまず当たりません。たぶん『アルケブス』、初期の先込め式火縄銃ですね。ドイツ産かな」


 何を言っているのか、分からない。

 晴川が泣きそうな声で言った。


「真記ちゃん、詳しすぎィ! でもいま要らんねんそういうの!」


 銃の背で火花が散り、勢いよく白煙が吐き出された。

 乾いた破裂音が重なり、畑のあちこちで土が跳ねる。

 部下たちを見回した。

 みんな畑に腹ばいになって、頭を抱えている。

 幸い、怪我をした者はいないようだ。


「晴川、叫んでくれ! 『旅人です、偉い人と話がしたい』って!」


「まず、『撃つな』から入りますわ!」


 晴川がよく通る声で呼びかけた。

 返事はなかったが、射撃は止まった。

 やがて館の方から、男が馬に乗ってやってきた。

 遠目にも、他の村人とは雰囲気が違うことが分かる。

 あれが領主か?

 晴川が再び対話を試みた。

 今度は、声で返事があった。


「……なんだって?」


「ようこそー! 言うてるぞ、オッサン。景気よく撃っといてどの口が言うねん」


 晴川が毒づいた。

 どうやら、二度目の悲劇は回避されたようだった。

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