3章(9)

 この時代に来て二日目の夜がやってきた。


 昨晩よりも社内の空気が重たい。

 本社ビルの水没は、いわば自然災害のようなものだった。

 絶望を感じても、最後には受け入れるしかないという気持ちになる。

 この諦観ていかんは、災害が身近にある日本人に特有のものかもしれない。

 しかし強盗団の襲撃は、同じ理不尽でもまったく性質が違う。

 同じ姿を持つ人間から与えられた一方的な暴力。

 まったく理由を想像することができない殺意。

 僕たちはそれに文字通り打ちのめされたのだった。

 

 丘の上で役員会が開かれた。

 会議、会議、会議――今日でもう三回目だ。

 さすがの僕もうんざりしたが、それ以外にできることもない。

 おそらく、誰もが不安で仕方がなかった。

 話していないと、どうにかなってしまいそうだった。


「死亡者は五名です。怪我人が八名、うち一名は重症。総務部の常備薬から痛み止めを飲ませていますが、あまり効いていないようです」


 朽木さんはこんなときでも冷静だ。

 宮間さんが蒼白そうはくな顔でつぶやいた。


「とんでもないことになりましたね――」


 さすがに、この時代を楽しもうという楽観的な気持ちは失せたようだ。

 虎丸さんは腕を組み、何を思うのか、両目を閉じている。


「茶山、あのゴロツキどもはどうしている」


「……とりあえず、身動きが取れない状態にはしています」


 強盗団は、社員の抵抗によって鎮圧された際に、ひとりが死亡した。

 残り二人は、両手足を紐で縛り、即席の衝立ついたてで囲んだ場所に閉じ込めてある。近くで見ると、衣服はひどく薄汚れ、その上から分かるくらいに痩せ細っていた。何日も体を洗っていないらしく、ひどい悪臭がした。


「移動しないと。このままここに残っていたら、また同じような連中が――」


 宮間さんは、先ほどから落ち着きなく視線を散らしている。

 また森の向こうから襲撃者がやってきたらと思うと、気が気ではないのだろう。

 虎丸さんは、内心はどうあれ、表面上は平静を保っているように見える。


「茶山、一四九五年は、日本では何時代だ?」


「……分かりません」


「おまえは何も知らんのだな。赤子か」


「……すみません」


「戦国時代だ。応仁の乱で全土が乱れ、室町幕府の権勢が衰えた後、各地に興った戦国大名が血で血を洗う領土争いを繰り広げた。ここが泰西たいせいであれ、人の暮らしに大きな違いはあるまい。先日、宮間社長代理が我々を鼓舞こぶするためにあえて楽観的なことをおっしゃったが、我々の常識は通用しないものと考えねばならん」


 僕ではなく、むしろ宮間さんに語りかけているようだった。

 それを察した宮間さんが、しょんぼりして言った。


「……認識を改めます」


「社長代理には、常にどっしりと構えて、私どもの軽挙妄動けいきょもうどういましめていただきたい」


 虎丸さんが重々しく言い、僕に向き直った。


「茶山、あの捕虜二人を尋問し、情報を集めろ。この時代に合ったやり方でな」


 口の端をゆがめ、嗜虐的しぎゃくてきな笑みを浮かべる。


「……はい」


「経営戦略局なんて御大層ごたいそうな名前がついてんだ。組織を上手く使え。あれをやればいい。よく社長が口にしていた……ピー……なんだっけ? なあ? あれだよ」


 無理に横文字を使おうとしたせいか、急激な知能の低下を感じる。


「……PDCAですね。承知しました」


 PDCAというのは、計画plan実行do評価check改善actionの順で業務を改善していく手法のことだ。PDCAサイクルを回す、という言い方をする。社長が知った頃には既に時代遅れになりかけていたが、社長はいたくお気に召して、意味をまったく理解しないまま、口癖のように『アレ、回しとけよ』と言っていた。

 虎丸さんはそれを真似ているようだ。

 しかし、この時代でPDCAサイクルを言うなら……

 ピンチ、デス、クライシス、アクシデントになってしまうだろう。


 × × × ×


 尋問――

 と言われても、実際、何をどうすればいいのか。

 重い足取りで、連絡会の面々がいる場所に向かった。全社員への連絡という本来の役割のために、会議中は近くで待機してもらうことになっている。

 

 遊馬たちは、川の近くでランプを囲んで座っていた。

 それぞれに精神的な痛手を負っているようだ。

 無理もない。彼らは、いわば最前線にいた。

 特に、先輩を失った遊馬は、ダメージが大きそうだった。


「準さんは酒が好きでさ、隠れ家みたいなバーを教えてもらって……。一昨年くらいに、肝臓が悪くなって、三十五からガクッと体が言うこときかなくなるぞ、なんて……」


 感傷的な雰囲気に浸っているところに、匠司が爆弾を投げ込んだ。


「思い出話もいいけど、反省しろよ。あの特攻は無謀だった。犠牲が少なくて済んだのは、結果論だ」


「は? おまえだって、ついてきただろ?」


「止めようとしたんだよ。茶山さんが恥ずかしいアイドルの歌であいつらの気をらしてくれなければ、僕らも危なかった」


 僕も流れ弾を食らっている。

 遊馬が、キッと匠司をにらんだ。

 遊馬が匠司に殴りかかるかと思った。

 それくらい強い怒気を、瞬間、遊馬が発したのだった。


「そこまで。……殴り合いは『社律』違反だからね」


 さすがに、止めに入った。

 弓鳴が両手で(抑えて)と遊馬をなだめながら、


「確かに無謀だったけど、あれぞ遊馬だよ。結果論でいいじゃない。人の命は、結果しか意味がないもの」


「せやね……」


 晴川がしんみりと言う。

 晴川の所属する生産局でも、ひとり犠牲者が出ていた。

 この空気の中では切り出しづらいが、次の任務がある。


「安全な場所を確保しないと、また同じことが起こるかもしれない。あのゴロツキたちから、近くの村の場所を聞き出すつもりだ。それを誰かに手伝ってもらいたい」


「何か、痛めつける道具があった方がいいですか」


 匠司が言うと、妙な迫力がある。


「ダメだ!」


 急に遊馬が大きな声を出した。


「暴力は良くない」


「あんたが言うんかい、それ」


 晴川が、その場の全員が思ったことを口にした。


「おれだって、死なせるつもりじゃなかったんだ」


 遊馬はねたように言った。

 自分の行動が引き金になって強盗の方にも死者が出たことを悔やんでいるらしい。


「こっちは凶器で脅されていたんだぞ。正当防衛で無罪に決まってる」


 匠司が指摘すると、遊馬がハッと気づいた顔で、「そうか……そうだよな」と微笑んだ。

 この二人は、本当に……

 仲が良いのか悪いのか、さっぱり分からない。

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