第18話 浴衣湯上がり後輩

大浴場を出た俺は、館内用のスリッパを足に引っ掛け、近くのベンチに腰掛けていた。


片手には、温泉の醍醐味のひとつ、瓶のコーヒー牛乳を握っている。


軽く口をつけると、コーヒーの香りがほんのりとして、そのあとしっかりとした甘さが広がる。喉を通ったコーヒー牛乳の冷たい感覚が心地いい。


やっぱり、温泉のあとはコーヒー牛乳に限る。


「先輩。お待たせしました」


そんなことを思っていると、視界の端にぱたぱたと駆けてくる姿があった。


「おう」


返事をしながら、視線を合わせると──


軽く上気し、ほんのりと染まった頬。急がなくてもいいと言ったのに、急いで来たのだろう。まだしっとりしている茶色がかった髪は、普段のさらりとした感じとは、また違う印象を受ける。リラックスしているのか、瞳にはほんの少しだけ緩んだような光が灯る。


そして、浴衣の襟元から少し覗く鎖骨のライン。少し浴衣が大きいのか、袖からはちょこん、とだけ手が出ている。ゆるりとした布地を押し上げる双丘と、それをさらに強調するように、細い帯が腰には巻かれていて、きゅ、と締められているせいか、腰から脚にかけてのラインがやけにしっかりと見て取れた。


「──」


ただ、そこに。


この世で1番可愛い美少女が、いた。


「どうかしました?」


ちょこん、と首を傾げる仕草に合わせて、濡れた髪がまとまりながら揺れる。


「い、や、なんでもない」


絞り出すようにそう言ってから、俺は小さく深呼吸をする。さすがに、一度落ち着かないと……。


と、思ったのだが。吸い込んだ空気には、当然、正面にいる蒼衣の甘い香りが強く混ざる。


さらに跳ね上がる心拍数は、どうすることも出来ないらしい。


「と、とりあえず、部屋に戻るか」


「はい。──先輩」


立ち上がった俺の裾を、蒼衣はくい、と引いて。


「ん?」


「どうです? 似合ってます?」


なんて、聞いてくる。


上目遣いまでセットにしてくるとは……。この後輩、おそろしいまでに可愛い。


「……まあ、そうだな」


俺は、そんな蒼衣を抱きしめたい本能に抗いながら、頭を撫でる。


「めちゃくちゃ可愛い」


「あ、ありがとうございます……。先輩がそこまでストレートに言うのって、珍しいですね」


ほんのり赤かった頬をさらに染めながら、蒼衣は嬉しそうに目を細める。


「……そうかもな」


「そんなに可愛かったですか?」


「……ここからはノーコメント」


「ええー、ここまできたら言っちゃいましょうよー」


「……」


「先輩が可愛かったか言ってくれるだけで、わたし喜んじゃいますよ?」


「それ、俺にメリットねえな……」


「あるじゃないですか。喜ぶ彼女が見れます」


「メリットが雑なんだよなあ」


たしかにメリットではあるのだが。喜ぶ蒼衣は可愛いしな。


「喜ぶ彼女を見れば、彼氏も嬉しくなる。それが恋人ってものだと思うのです」


「……そうか?」


「そうです。例えば──」


そう言って、蒼衣はぴん、と人差し指を立てる。


「先輩が面接に合格しました。わたしは嬉しいです。逆に、わたしが面接に合格しました。先輩は嬉しいです。そういうことです」


「いや、それはわかるが……。じゃあ、俺がケーキをひとつ貰って食ってたとして、蒼衣は嬉しいか?」


そう問いかけた俺に、蒼衣は当然とばかりに頷く。


「ひと口貰えるので嬉しいですね」


「俺の喜びが奪われてるんだよなあ」


「分け合えばハッピー理論ですよ」


「分けた時点で見てるだけじゃねえな……」


「スイーツ、というかモノは別です。こう、概念的な喜びの話ですよ」


「なるほどな。じゃあ、俺がゲームで勝ってひとり喜んでいた場合は?」


「嬉しそうだなーって思います」


「それ、お前は嬉しくなってねえな……」


「そんなことはないですよ。微笑ましく見守って……おや?」


なんだか子どもを見る母親みたいなことを言いかけていた蒼衣が、ベンチにちょこん、と置いてある瓶を覗き込んで、目を大きく開いた。


「あ! コーヒー牛乳じゃないですか! わたしも飲まないと!」

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