第10話 旅館に着いたらまずはじめに
高速道路を駆け抜け、下道をのんびりと走り、狭い山道を冷や汗垂らしながら乗り越え、俺たちはなんとか旅館へと辿り着いていた。
ささっとチェックインを済ませ、宿泊する部屋へ入る。和室特有の、落ち着くような柔らかい匂いがした。
広めの和室には、すでに敷かれた2組の布団、大きな机にテレビ、謎の壺や謎の掛け軸などがあり、部屋の奥──窓の手前には、椅子と机の置いてある謎のエリアがある。ここからは見えないが、死角には冷蔵庫があるのだろう。
イメージ通りの温泉旅館だ。
「うおぉ……疲れた……」
荷物を置きながらそう呟くと、蒼衣が優しい声で返してくる。
「運転、お疲れ様でした」
「おう」
俺は、部屋の中心に敷かれた2組の布団、その片方にぼふん、と音を立てて倒れ込む。体を包み込む柔らかさが気持ちいい。
「もーっ、着いてすぐお布団なんて、先輩は本当に寝るのが好きですねぇ」
仕方なさそうにそう言った蒼衣も、どこか楽しそうに、ぼふん、と同じような音を立てて俺の隣へと倒れ込む。
「蒼衣だって寝転がってるじゃねえか」
「先輩が寝転がったのを見ると、わたしもやりたくなっちゃったんです。それに、旅館とかホテルとかって着いたらまず布団とかベッドとかに飛び込みたくなりません?」
「わかる。とりあえず、みたいな気分になるよな。……って、お前も着いてすぐ布団派じゃねえか」
「わたしは旅行のときだけですから。先輩と違って年中お布団にはいません」
「俺だって年中はいねえよ。夏とか」
昨年は大学にいたし、今年は蒼衣の部屋だ。当然のことだが、大学にベッドはないし、さすがに自分のものではないベッドに入り浸るようなことはしていない。1年のうち、俺が確実にベッドにいない時期、それが夏だったりする。
「……先輩、すごいことみたいに思っている顔をしてますけど、ベッドにいないのって、普通のことですからね」
「……ノーコメントだ」
俺だって、それくらいわかっているんだよなあ。
わかっているからといって、ベッドから出る生活が出来るか、と言われれば、別問題だが。
そんなことを思いつつ、俺は少しだけ身動ぎをする。すると、指先に、蒼衣の手が触れた。すっ、と手をそのまま近づけると、蒼衣が指を絡めてくる。それを優しく握ると、きゅ、と握り返された。
なんてことのない行動だが、環境が非日常なせいか、ずいぶんと特別なことのように感じる。
しばらく無言で天井を眺めていると、眠気が緩やかに襲ってくる。目蓋を閉じてから開けるまでの感覚が長くなっていく。
……これはよくない。着いてすぐに眠るのは、もったいないにもほどがある。
せっかくの旅行、寝るだけでは意味がない。楽しまなければ。
そう思った俺は、勢いをつけて、がばり、と手を使わずに起き上がる。
「よし、蒼衣。とりあえず、部屋から出てどこかに行くぞ」
「そうですね。ゆっくりしていたい気もしますけど……それはまた、あとにしましょうか」
俺は立ち上がり、繋いだままの手を引っ張って、蒼衣を立ち上がらせる。
さて、そうと決まれば、まずはどこで、何をするかだが……。
そんなもの、わざわざ決めるまでもない。
「やっぱりまずは、あそこだよな」
「はい。もちろんあそこです」
俺と蒼衣は、お互いに視線を合わせて笑う。
俺と蒼衣は、繋ぐ手と反対側の手で、手持ちのカバンを掴み、肩にかけて。
「いざ、温泉街探索に出発です!」
そんなテンション高めの蒼衣の声と共に、部屋を出た。
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