第12話 塗りつぶして、塗りつぶされて

「おまけにもうひとつ、サービスです」


そんなことを言った蒼衣は、俺の視線の先──キッチンで洗い物をしている。どうやら、制服で家事、というのがサービスのひとつらしい。……まあ、わからなくもないというか、なんというか……。


キッチンに、制服。そんなアンバランスで、違和感の塊のような組み合わせが、どうにも噛み合っているように見えるのは、きっと男の理想のひとつだからなのだろう。


動きに合わせてふわり、ふわりと踊るスカートを眺めながら、ふと思う。


……俺は、この制服を着て過ごした蒼衣の時間を、ほんのひとかけらすら、知らないんだな。


柄にもなくそんなことを思う自分に驚きながら、ぐりぐりとこめかみを揉みほぐす。


けれど、思いはじめたことは、そんなことくらいでは消えてはくれない。


制服を着ていた時間だけじゃない。


蒼衣と俺が出会ったのは、ほんの1年と少し前。それ以前の蒼衣を、俺は見ていない。知っていない。見られてもいない。


それが、なんだか寂しいような、悲しいような、悔しいような……なんとも言えない感情を生み出す。


……もしかしたら。


何かの拍子に、中学生や、高校生、そんな頃の俺と蒼衣が出会っていれば、この光景も、正しい形であり得たのだろうか。


……きっと、なかったんだろう。


これは、俺と蒼衣の当時の相性とか、そういった話ではなく、お互いに実家住みで、どちらかの家のキッチンに立つ、なんてことが起こり得ないからだが。


それでも、俺と蒼衣がもう少し前に出会っていれば──もっと、色々なことを一緒に出来たのかもしれない。


中学生時代や高校生時代。そんなものが、どれだけ特別か、なんて、今の俺にはわからない。……少なくとも、今の大学生活よりも、特別には思えないのだ。


──それでも。


一緒に過ごしてみたかった、とは、思ってしまう。


制服で放課後にどこかへ出かけたり、昼休みに一緒に弁当を食べたり、やれ文化祭、やれ体育祭と、面倒なイベントをこなしたり。もしかしたら、部活なんかもやっていたかもしれない。


……一緒に、過ごしてみたかったなあ。


「──なーに難しい顔してるんですか」


ふわり、と。


俺の思考を優しく撫でるように、甘い香りが漂う。


「……俺と出会うまでの蒼衣のことを、俺は何も知らないんだな、と思ってな」


そう、俺にしては珍しく、するりと言葉がこぼれ落ちた。


一瞬、驚いたように目を見開いた蒼衣は、小さく息を吐く。そして、目線を合わせるように腰を下ろす。


「……そんなの、わたしだってそうですよ。本音を言うと、先輩の全部が知りたいですし、全部をわたしのものにしたいです」


「いや、俺はそこまで言ってないんだが……」


そう言いながらも、蒼衣の言っていることに、なんだか納得してしまう自分もいる。


一瞬不服そうに頬を膨らませた蒼衣の頭を撫でると、少しだけ鼻を鳴らした彼女は話を続ける。


「それでも、そんなことは出来ないですから。だから──」


蒼衣は、緩く口角を上げて。


「わたしと出会ってからの先輩は、全部覚えていますし、先輩の記憶は、わたしで塗りつぶしてあげるんです」


「──」


……ああ、こいつは。


雨空蒼衣という、俺の彼女は。


「わっ!? な、何するんですかー!」


わしゃわしゃと頭を撫でると、嬉しそうに悲鳴を上げる。


本当に、可愛いなあ、と。心の底から、そう思う。


……俺も、これまで見た蒼衣と、これから見る蒼衣、そして、今見ている蒼衣を、一瞬の漏れもなく、覚えておこう。


雪城雄黄という人間が、雨空蒼衣に塗りつぶされるように。


雨空蒼衣という人間を、雪城雄黄が塗りつぶしてやろう。


そう思いながら、俺は右手を優しく動かすのだった。

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