第9話 繊細になってきましたね

「出来ましたよー」という蒼衣の声に立ち上がろうとした俺に、


「今日は先輩は座っていてください」


と、俺の行動を先読みしたかのような声がキッチンから飛んでくる。


「なんでだ?」


「すぐにわかるので、とにかく座っていてください」


「お、おう……」


なんだかよくわからないが、とりあえず座っておくか……。


慣れないテーブルの前に座り、しばらく待つと蒼衣が大きめの平べったい皿を手に、こちらへと歩いてくる。ことり、と目の前に置かれたそれの上には、レタスやトマト、きゅうりといった野菜、そして主役の肉が載っている。さらにその上からは、クリーミーな色合いの茶色いドレッシングがかけられていた。色からして、おそらくごまドレだろう。


そこから、慣れた手つきで米や味噌汁、箸にお茶と準備し終えた蒼衣が、俺の対面に座る。


「お待たせしました」


「いや、さんきゅ」


そろって「いただきます」と呟いたあと、俺は冷しゃぶを1枚口に運ぶ。肉の味と、ごまの香りが口の中に広がる。


「何か気づきました?」


「ん?」


正面でにこにこする蒼衣に、俺は軽く首を傾げる。


何か?


何かってなんだ……?


「もうひと口いってもいいか?」


「いいですよー」


大きめの肉を口の中に放り込む。肉……は普通だな。特別何かがされている感じはしない。


ふむ……。肉を食ったときに聞かれたということは、肉関係だと思ったのだが……。


ふわり、と。


ひと噛みした瞬間、ごまの風味が口に広がる。


……普段より、香りが強い気がする。まあ、あくまで気がするだけなのだが。


「ごまドレ……か?」


「正解です! 自作ですよ!」


自慢げに胸を張る蒼衣。


「マジか。ごまドレって作れるんだな」


「作れますよ。混ぜればいいだけなので、簡単です。あとは好みに合わせて、少し分量を変えたり、調味料を足してみたり、ですね」


蒼衣の説明を聞きながら、俺は箸の先にごまドレを少しつけ、ぺろり、と舐める。……あ、たしかに少し味が違う。しっかり濃い。


その反応を見てなのか、蒼衣がにやり、と笑う。


「昔に比べて、先輩の舌も繊細になってきましたね」


「……お前、昔は繊細じゃなかったと思ってるだろ」


「思ってますよ。出会った頃の先輩って、インスタントしか食べない適当な味覚だったじゃないですか」


「いや、インスタントは美味いからな? 手軽で安くて美味い。インスタントは最高」


「でもわたしの料理の方が?」


「美味いな」


……あ。


ほぼ反射でそう答えた俺に、蒼衣はよし、と胸の前で手を握る。


「先輩の胃袋は完璧に掴みましたね……!」


「それに関しては、まあ……」


ずいぶんと前からではある。


なんとなく目を逸らし、肉をひと口。……うむ。


「やっぱり美味いな」


「ふふん、そうでしょうそうでしょう!」


得意げに胸を張る蒼衣に思わず苦笑しながら、そういえば、とひとつ思い出す。


「結局、俺が座っていろって言われた理由って、なんだったんだ?」


すぐにわかる、と蒼衣は言っていたが、よくわからないのだが……。


一瞬首を傾げた蒼衣が、ぽん、と手を打つ。


「ああ、それですか。作ったあとのごまドレがそのまま置いてあったので、クイズに出来なくなるなー、と思って座っていてもらっただけですよ」


「なるほど」


そういう理由なら納得だ。……いや、クイズにした理由はまったくわからないけれど。


ぱくり、と肉を食べる。


……さっきから肉しか食ってないな。


ちらり、と皿の上を見ると、既に肉は残り少なくなっており、みずみずしい野菜が存在を主張している。この量の野菜を、この量の肉で食べるのは少し厳しいものがある。


「……蒼衣。まだ肉残ってたりするか?」


「冷しゃぶ用のお肉はこれで全部です。……先輩、もしかしてお肉ばっかり食べました?」


「おう。無意識でな……」


「もう……。これで我慢してください」


そう言って、蒼衣は仕方なさそうに、それでいてなぜか少し嬉しそうして、俺の皿に自分の皿から1枚肉を載せる。


「いや、さすがにそれは……」


「いいんです。ダイエットの一環です」


「そ、そうか……」


なんだか、申し訳ないな……。そう思いつつ、俺はありがたく肉を貰っておく。こう言い出した蒼衣は、俺が肉を受け取らないと納得しないだろう。


「あ、ごまドレはまだあるので、お好きにかけてくださいね」


「おう」


ことり、と目の前に雑貨屋に売っていそうな、シンプルだが可愛らしい小瓶が置かれる。中には、クリーミーな色合いの液体──ごまドレがたっぷりと入っていた。


それを上からかけ、野菜を口に放り込む。このごまドレ、野菜と食った方が美味いな。


そう思い、もうひと口放り込むと、正面から視線を感じた。


「……なんだ?」


口の中のものを飲み込んでからそう聞くと、蒼衣は緩く口角を上げたまま、


「いえ、自分の料理を美味しそうに食べてもらえるのって、やっぱり嬉しいなー、と」


と言って、野菜を肉で巻いてからぱくり、とそれを食べている。どうやら、自分でも出来がよかったらしい。満足そうに頷いている。ふわふわと揺れる、茶色がかった髪を見ながら呟いた。


「そういうものか?」


「そういうものですよ。まあ──」


蒼衣は、そこまで言ってから、ひとつ区切るようにまばたきをした。


「食べてくれているのが、先輩だから、だと思います」


そう言って、ふわり、と笑う蒼衣に、俺はにやり、として。


「まあ、お前の料理を美味そうに食べることだけは自信がある」


美味そうに、なんて言っているが、事実美味いしな。


「なんですか、それ」


くすり、と笑う蒼衣に、俺はさらに口角を上げながら。


「まあ、胃袋は掴まれているらしいからな」


「それもそうですね。掴んだ責任です。仕方ないので、ご飯はずっとわたしが作ってあげますよ」


そう嬉しそうに言う蒼衣に、俺は一瞬目を閉じて、その光景を頭に思い浮かべながら、こう答えるのだった。


「それは楽しみだ」


頭に浮かんだ光景は、きっといつかの未来の話に違いない。

  • Twitterで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます

新規登録で充実の読書を

マイページ
読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
フォローしたユーザーの活動を追える
通知
小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
閲覧履歴
以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
新規ユーザー登録無料

アカウントをお持ちの方はログイン

カクヨムで可能な読書体験をくわしく知る