第4話 複雑な気分の可愛い

フラッペの容器を3つとも空にした俺たちは、いつも通りにボロアパート──ではなく。それを通り越して、道を跨いだ向こう側にあるマンション。その一室である、蒼衣の部屋へと帰っていた。


「エアコンのある部屋……最高だな……」


俺の部屋では聞くことのない、低い駆動音とともに冷風が吹いているのを感じながら、俺はそう呟いた。


しばらく涼んでいると、キッチンの方から声が聞こえる。


「お昼ご飯、適当でもいいですか?」


「おう。なんでもいい」


「聞いたわたしが言うのもなんですけど、先輩は相変わらず食べ物に興味がないですねえ」


「そんなことはないと思うが……」


そもそも、今回なんでもいい、と言ったのには理由がある。作ってもらう側なので、何が出てきても文句はない、というのがひとつ。そしてもうひとつが、蒼衣の作るものは美味い、という確信があるからだ。


だが、そんな意図は伝わらなかったらしい。


どうですかねー、なんて、くすりと笑いながら言う声が聞こえてくる。


……まあ、あえて伝える必要もないか。


飯が美味い、ということは、食べたときに伝えればいい。


そう思い、俺はスマホを取り出し、ぺしぺしと画面を叩く。適当にゲームを開き、片っ端からログインボーナスを受け取っていく。


そんな退屈だが、日課になってしまっている作業を終えたと同時、蒼衣がキッチンからリビングへと移動してくる。両手には、大きめでそれなりに底のあるガラスの器が持たれている。


どん、と重い音と共に置かれた器には、白くて細い、糸のようなものが入っている。


「今日のお昼は主婦の味方、そうめんです!」


「お、久しぶりだな」


「ですね。毎日そうめんを食べていたのが懐かしいです」


「そんなこともあったな……」


お盆休みに実家に帰った俺が押し付けられた──というか、気づかず持って帰ってきてしまった──山のようなそうめん。それを食べ切るために、工夫に工夫を重ね、食べ切ったのだ。工夫をしたのは俺ではなく、蒼衣だが。


あの激戦も、ずいぶん昔に思えるが、まだ1年ほど前の話だ。


「今年は絶対に、あの量は持って帰って来ないでくださいね?」


「大丈夫だ。今回はしっかり中身を見てから持って帰ってくる」


「ならいいですけど。……絶対ですからね」


そう言いながら、蒼衣はめんつゆの入った小さめの器、グラス、そして箸を準備する。


いただきます、と揃って言ってから、蒼衣から受け取った箸でそうめんを掴み、めんつゆにつけてから一気にすすった。ひんやりとした感覚と、めんつゆの風味が口の中に広がる。


軽く噛んでから飲み込み、小さく息を吐く。


「そうめんを食うと、夏って感じがするな」


「わかります。今日はアイスのあとにそうめんで、夏を感じっぱなしですね」


そう言って、蒼衣はちゅるん、とそうめんをすすった。少し量が多かったのか、頬がぽこりと膨れていて、ハムスターのようだ。


もこもこと食べる蒼衣を眺めていると、動きが一瞬止まり、軽く咀嚼してからこくん、と喉が動く。


「……先輩、見過ぎです」


「お、おう。悪い」


慌てて目を逸らしつつ、そうめんをすする。どうやら俺も多かったらしく、口に入れるのが精一杯だ。


なんとか咀嚼していると、視線を感じた。


「……」


「なんら?」


どうにか両頬に口の中身を寄せ、声を出すと蒼衣が真顔でじとり、と俺を見ながら口を開く。


「先輩、飲み込んでから話してください」


「ん……」


……視線を感じるから、食いにくいんだが……。


そう思いつつ、なるべく気にしないように口を動かし、飲み込む。


「……で、さっきからじっと見て、どうした?」


「いえ、ほっぺたいっぱいの先輩、子どもみたいで可愛いなー、と」


「……」


男として、可愛いと言われるのは複雑な気分だ。うーむ……なんとも納得がいかない……。


そう思っていると、蒼衣が首を傾げながら、そうめんをめんつゆにつける。


「先輩はわたしを見ながら何を思っていたんです?」


「……頬いっぱいの蒼衣、ハムスターみたいで可愛いなー、と」


「……可愛いのは嬉しいんですけど、なんだか複雑な可愛さですね……」


蒼衣は、むー、と唸り、眉を歪めながらそうめんをすする。今度は気をつけたのか、頬が膨らむことはない。……少し残念だ。


蒼衣は複雑だ、なんて言っているが、俺としては普段とベクトルの違う可愛いなだけで、これも蒼衣の魅力なんだがなあ。


そんなことを思いながら、俺もそうめんをすする。……また多いな……。


今回も可愛い、なんて思われるのだろうか……。と複雑な気分で、口に入れたそうめんを素早く咀嚼して、飲み込む。


「あ、そうだ」


そこで、俺は蒼衣に言っておかないといけないことを思い出す。期末試験が終わったら言おうと思っていた、重要な話。──なんとなく、少し緊張する。


そんな俺の心の内は知らず、ちゅるん、とそうめんをすすった蒼衣が、首を傾げる。それを見ながら、俺は少し息を吸って、一瞬目を閉じ、彼女の瞳をしっかりと見て、こう言った。


「あとで蒼衣に、大事な話がある」


俺の言葉に、蒼衣は目を見開いて──


「けほっけほっ」


盛大にむせた。……今、そんなに驚くところあったか?

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