第5話 先輩は不安だよ、後輩
刺身、と聞いて、何を思い浮かべるだろうか。
きっと、マグロやサーモン、ハマチ、そういった魚を思い浮かべると思う。少なくとも、皿の上には色とりどりの魚たちが綺麗に並べられているだろう。
さて、俺の目の前の話をしよう。
皿の上に、一面の白が広がっていた。
「……見栄えがなんともいえないな……真っ白……」
「いやいや先輩、マグロもありますから、ほら」
そう言って、蒼衣が差し出してくるのは、イカの並べられた皿よりもふたまわりほど小さい皿である。
「なけなしじゃねえか……」
「ないよりマシですよ」
「それはそうなんだが……」
あのサイズの塊、この量にしかならないのか。思っていたより少ないな……。
そう思いつつ、俺は2枚の小皿に醤油を入れ、片方を蒼衣に渡す。それと入れ替わりに、蒼衣から味噌汁を受け取った。
「とりあえず食うか」
「はい」
いただきます、と揃って言って、ひとまずイカをひと切れ食べる。
……うん。
「醤油の味しかしないな」
「それはつけすぎなだけでは……?」
そう言って、蒼衣もひと切れ口へと運ぶ。
「やっぱり醤油のつけすぎだと思いますよ。しっかり味しますし」
「いや、そんなにつけてないんだが……」
「1回つけてみてください。わたしがジャッジします」
「えぇ……健康診断に引っかかったみたいじゃねえか……」
健康診断、受けたことないけど。
そう思いながら、俺は普段通りにイカを醤油へと落とす。いつもより少し多くついた気がするが、まあ気にしなくてもいいだろう。
どうだ? という意味を込めて、蒼衣を見ると、半目の蒼衣が両腕を胸の前で交差した。
「つけすぎですよ。醤油漬け状態じゃないですか」
「えぇ……。これくらいつけないと味しなくないか? イカ、味薄いイメージがあるし」
「そんなことないですよ。しっかり味はあります」
ぴっ、と箸を持って、蒼衣はイカをひと切れ掴み、自分の小皿へと落とす。俺の半分くらいだけ醤油をつけ、そしてそれを俺の前へと差し出した。
「これくらいが適量ですよ。はい、あーん」
「んむ」
それを口に入れ、咀嚼する。たしかに、醤油感は薄れている。まあ、つける量を減らしたのだから当然なのだが。
問題は、イカの味の方だ。
咀嚼を続け、飲み込んだ後、俺は首を傾げる。
「……してるか?」
「してますよ。しっかり噛んでみてください」
あーん、ともうひと切れ差し出され、それもまたぱくり、と食べる。
「……してる、といえばしてる……? ほぼないな……」
なんというか、ぼやっとしている、という感じだ。
「先輩、もしかしてイカ嫌いだったりします?」
「いや、そんなことはないんだが、あんまり自分では食べないな」
どちらかと言えば、俺は味のはっきりした、濃いものが好きだ。その点、イカはそれ自身の味がぼんやりとしていて、多少醤油をつけすぎているのかもしれない。
それに、数切れで味に飽きてきた。まあ、醤油オンリーみたいな味なのだから、当然と言えば当然だ。
ここはやはり、味変が必要だ。
「……蒼衣さん、貴重なマグロを食べてもいいですか」
「どうぞ。わたしはちょっとで大丈夫ですから……」
「無理せず食えばいいのに」
「そういうわけにもいきません! この我慢が数字につながるなら、わたしは頑張ります……!」
ぐぬぬぬぬ……、と目を細めながら、蒼衣はマグロを睨みつけるように見て、イカを口に運ぶ。そんなことしてもイカの味しかしないと思うぞ。
「別にダイエットをするのはいいんだが、無理なダイエットは良くないと思うぞ。せめて晩飯だけは普通に食う方がいいと先輩は思う」
無理なダイエットは続かない、なんてよく言われるが、その理由はいくつかあると思う。そのうち、やはり大きなものは体調の悪化とメンタル的問題だろう。
不思議なことに、食事の質が向上するだけで、体調やメンタルに影響があるのだ。ちなみに、それを知ったのは、蒼衣が食事を作ってくれるようになってから、俺自身に変化があったからだったりする。
そして、食事の質が落ちたら、一気に体調が悪化することも知っている。
身をもって知っているからこそ、蒼衣にはしっかりと食べてほしいのだが……。
「耐えるんです。今は耐えの期間なんです……。無理とかしてないです……」
そう言って、無心でイカをもぐもぐしていた。してるじゃねえか。
……不安だなぁ。
そう思いながらすすった味噌汁は、普段通りの味なのに、なぜか少し薄く感じた。
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