エピローグ2 逆転の朝
もぞもぞ、と。何かが動き、触れる感覚。それから遅れて、頭が少し引き寄せられた。
「んん……?」
閉じていた目蓋は、今朝と違ってあっさりと開く。
しかし、視界に映るものは、ほぼ同じ。
ピンク色の布と、隙間から見える綺麗な肌色。
……うーん、すごい既視感。
柔らかい感触までも、今朝と同じだ。
ただ、頭の後ろには、今朝にはなかった細い腕の感覚。どうやら、蒼衣に抱き寄せられているらしい。
「……あ、起きましたか。おはようございます、先輩」
寝転んだまま、頭の上から降りかかる声の主が起きていることに驚きながら、口を開く。
「……おはよう。ひとつ聞いてもいいか?」
「なんですか?」
「……なんで泊まってるんだ?」
「それはもちろん、先輩が寝てしまったので」
「おう」
こくり、と頷いて、続きを促す。
「勝手に帰ると、起きたときに先輩が心配するなー、と思って泊まりました」
「別に、ああ帰ったんだな、と思うだけだが」
「この間は夜にひとりで帰ろうとしたら、危機感が足りないー、なんて言ってた人が何言ってるんですか」
「あー……」
……言った。言ったな。
「思い出しました?」
「思い出したし、多分起きてたら同じこと言ってたな……」
「ほらやっぱり……。そう言われると思って、わたしは泊まったわけですよ。あと、先輩と違ってお風呂も入りましたし、着替えもしました」
「……今から入ります」
そういえばそうだったなあ、寝落ちしたなあ、面倒だなあ、と思いながら、体を起こそうとした──のだが。
「蒼衣、離してくれ」
「嫌です。もう少しだけ、このままでお願いします」
言うと同時、蒼衣が俺の頭を抱き寄せる。むにゅ、と柔らかい感触に包まれながら、俺は、なんとか口元に空間を作り、喋る。
「ちょ、蒼衣!? 急になんだ!?」
「なんとなく、もう少しこのままのんびりしていたい気分なので」
そう言って、蒼衣は腕に力を込める。えへー、と照れながら言っているのが簡単に想像出来て、俺はひとつため息を吐いて、起き上がることを諦める。俺も、のんびりしていたい気分というのは同意だ。寝起きだし。
「そういえば先輩、今珍しい状況になってるの、気づいてます?」
「珍しい状況……?」
と、言われても、見えないのでわからないのだが……。
「はい。いつもって、こういう体勢のとき、先輩にわたしが収まっている感じじゃないですか」
こういう体勢、というのは、多分片方がもう片方を抱きしめている、ということだろう。
「まあ、そうだな」
俺の方が背が高いのだから、当然といえば当然だ。
「それが今は逆で、先輩がわたしに収まっているんですよ!」
「あー、そういうことか」
つまりは、俺が覆い被さるのではなく、蒼衣が覆い被さっているのが珍しい、と。
「たしかに、珍しいというか、はじめてだな」
「どうですか? 抱きしめられる側の感想は」
そう言って、心なしかまた抱き寄せられたような気がしながら考えてみるが……。
うん。悪くない。むしろ良い。のだが。
「……次からはなしで」
「なんでですか!?」
「俺の気が持たないからだが!?」
抱き寄せられる度に、顔面に押しつけられる方の気持ちにもなって欲しいというものだ。……いや、普段も胸の下あたりに押しつけられてはいるが。
「もう……先輩は相変わらず、慣れてくれませんね」
「前に慣れられるのも困るって言ってたような気がするんだが」
「……言った気がしますね。それに、あまり慣れられてドキドキされないのもやっぱり困りますし」
蒼衣は、複雑そうな声でそう言ったあと、仕切り直すように続ける。
「ともかく、しばらくのんびりしてから動き出しましょうか。どうせ今日は日曜日ですし」
「だな。ゆっくりしよう」
目下の悩みだった、自分のいいところ、というのも、なぜか頭に浮かんでいるし、少しくらいゆっくりしていても問題ないだろう。
そう思っていると、蒼衣が俺の頭に回した腕を離して、もそもそとベッドの下の方向へと移動する。そして、俺の胸元あたりで、動きを止め、ぽすん、と頭を預けてくる。
「うん、やっぱりこっちの方が落ち着きます」
「……たしかに」
蒼衣の言葉に、頭に手を伸ばして撫でながら、そう答える。うむ、朝から極上の手触り。贅沢極まりない。
蒼衣のつむじから視線を外し、ちらり、と時計を見ると、朝食には遅く、昼食にはまだ早い時間だ。だが、何を食べるかの相談くらいなら、してもいい時間だ。
「……昼飯、何にする? 食いに行くか?」
「そうですねー……。あ、ホットケーキの余りがあるんですけど」
「絶対嫌だからな!?」
結局、残っていた1枚を、ふたりで切り分けて食べる羽目になったのはこの数時間後の話だ。……しばらく、ホットケーキはいらないな……。
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