第31章 6月19日

第1話 雨空蒼衣のとある朝

雨上がりの、爽やかとは言い難い、肌にまとわりつくような空気を切りながら、通い慣れた階段を、なるべく音を立てないように上っていく。見た目通り、ぎしぎしと、軋む音が聞こえてくるのが不安なところだ。先輩が住んでいる間──あと2年くらいの間には壊れないといいのだけれど。


……あと2年、か。


先輩が卒業するまで、もう、残り2年を切っているんだなあ。


こうやって、この部屋に通うのもあと2年もないと思うと、急に寂しくなってくる。


……先輩、1年留年してくれないかな。


なんて、微妙に実現しそうな、絶対に起こらないで欲しいことを思いつつ、鍵を差し込んで扉を開ける。


「あれ……?」


開いてる……? 閉め忘れ、だろうか。まったく、無用心な先輩だ。わたしのことは心配するくせに、自分のことは適当なんだから……。


仕方ないなあ、とため息を吐いて、上がりそうになる口角を誤魔化し、扉を開く。


この時間は寝ているであろう先輩を起こさないように、なるべく音を立てないように部屋へと入り、鍵を閉める。この入り方も慣れたものだ。……側から見れば、泥棒にも見えなくはない気がするけれど。


さて、今日のお昼ご飯は何にしようか、なんて考えながら、リビングへカバンを置きに入ると──


「うわっ!?」


「……」


そこには、机に突っ伏した先輩が、いた。


「せ、先輩? 起きてます?」


「……起きてる」


顔を上げずにそう言う先輩。声の感じからして、本当に寝落ちしていたわけではなさそうだ。なぜか、落ち込んだ感じの声だけれど。


ちらり、と先輩の手元を見ると、何かのプリントの裏面に、書いていたものを真っ黒に塗りつぶされた部分と、何も書かれていない空白の部分がある。……うん、何してるのか、わからない。


そう思い、聞いてみようと思ったタイミングで、先輩がわたしを呼ぶ。


「……蒼衣」


「はい」


そして、顔を上げた先輩は、深刻そうな、真面目な表情で、わたしをしっかりと見て、こう言った。


「俺のいいところって、何……?」

  • Twitterで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます

新規登録で充実の読書を

マイページ
読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
フォローしたユーザーの活動を追える
通知
小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
閲覧履歴
以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
新規ユーザー登録無料

アカウントをお持ちの方はログイン

カクヨムで可能な読書体験をくわしく知る