第8話 眠気には抗えない

「先輩、あーん」


そう言って、目の前の蒼衣が夕日をバックに迫ってくる。


その両手には、山ほどのポテトが握られている。


「いや、ちょっと、その量は──」


「先輩が買ってきたんですから。ほら、口開けてください」


「ちょ、待っ──」


その瞬間、視界が一転。赤く染まっていたはずの自室は、薄暗く、何も見えない。


「……夢か」


思わず、そう呟く。ポテトを食べないといけない、という思いが、夢になって現れたのだろう。安眠まで妨げるのはやめてほしい。


ふう、と息を吐くと、もぞり、と腕の中のものが動く。


「……先輩、痛いです……」


「ん? ああ、悪い」


腕の力を緩めると、いつのまにか体の向きを反対にして、俺にしがみつくようにしていた蒼衣がもそもそと動く。とろん、と潤んだ瞳の感じからすると、どうやら蒼衣も眠っていたらしい。


「……寝直そうとするな」


「眠いです……」


ぐしぐしと目元を擦る蒼衣から、俺は手を離す。


「なんで離すんですか……?」


「座ったまま寝たせいで体が痛いんだよ。1回立ちたい」


「むぅ……」


不満そうにしながら、蒼衣は俺から離れる。柔らかく、温かい感触が離れていくのは名残惜しいが、とにかく体が痛い。


「いったぁ……」


パキパキと骨のなる音を聞きながら、俺は立ち上がり、電気をつける。


「んん……」


遅れて、ぼすっ、と音が鳴る。音の方向に視線を向けると、俺のベッドが不自然に盛り上がっていた。眩しかったのか、掛け布団を頭まで被っている。


「……眠いなら帰って寝ろ。もう0時超えてるぞ」


「すぅ……」


「……寝たふりだろ」


「……バレましたか」


ぼすっ、とまた音を立てて、蒼衣が布団から頭を出す。眩しそうに目を細めた後、腕を出して何かを指差す。


「先輩、そこのわたしのポーチとってください」


「ん? これか?」


部屋の隅に置かれた、というか置いていかれた薄いピンク色のポーチを手に取り、蒼衣に渡す。


「ありがとうございます。……よいしょ、と」


起き上がった蒼衣は、ポーチから何やら取り出し、手際よく作業を進めて──


「では先輩、今度こそおやすみなさい」


「メイク落として寝ようとしてるんじゃねえよ!?」


「あとちょっとだけ寝かせてください……。本当に眠いので……」


「俺も寝たいんだが」


「どうぞ?」


布団を少しめくり、壁側へと移動する蒼衣。


俺は、はぁ、とため息をひとつ吐いて、電気を消す。


「俺、シャワー浴びるから、上がってきたら帰れよ?」


「はーい」


……多分あいつ、帰らないんだろうなあ。まあ、別にいいんだけれども。


そう思いながら、俺はシャワーを浴びるべく、脱衣所へ。


色々と、この数週間で距離感が目まぐるしく変わっていくなあ、と考えながら、シャワーを浴びて、部屋へと戻る。


起こすのも悪いと思い、電気を消したままベッドへと向かう。


「すぅ……すぅ……」


暗闇に慣れていくと、幸せそうに眠る蒼衣が見えはじめる。布団の隙間から覗くのは、先ほどまで蒼衣が着ていた服とは異なり、これも俺の部屋に置いていかれたパジャマだ。


……俺がシャワーを浴びている間に着替えたのか。眠いわりには余裕あるじゃねえか。


ゆっくりと、起こさないようにベッドへと入る。……まさか、俺が自主的に蒼衣と一緒のベッドで眠る日が来るとはなあ。


なんだか感慨深く思っていると、隣からきゅ、と掴まれる。


近くにある顔は、いつもよりも素朴な可愛さで、これはこれで可愛い。


頭を撫でると、その手に頭を押し付けてくる。この辺りは、起きているときと変わらないな。


しばらく撫で続けていると、俺の方にも眠気が襲ってきて。


最後にもう1度頭を撫でて、俺は意識を手放した。

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