第28章 4月20日

第1話 不機嫌後輩は何のせい?

講義終わりの昼下がり。俺と蒼衣は、3限を終え、一緒に帰宅している……のだが。


「……」


隣の蒼衣が、機嫌が悪い。


目はいつもより開いていないし、頬はぷくりと膨らんだり、しぼんだりを繰り返している。……膨らんだままは、疲れるのだろうか。


表情も、むすっとしていて、それはもう、ひと目に機嫌が悪いとわかるのだが。


俺の左手は、しっかりと蒼衣の右手に握られている。だから、俺に関係することではなく、他の、何か別の物への不満があるのだろう。……そう思っていたのだが。


「……なあ、どうしたんだ? 何かあったのか?」


「……先輩は心当たりがないんですか?」


じと、と向けられる視線。


「ええ……。心当たり、なあ……」


あ、俺に関することなのか……。うーん、心当たり、心当たりねえ……。


そもそも、今日は蒼衣に起こしてもらって、大学に行って、帰ってきただけ。


朝は機嫌は悪くなかったから、その後から、ということになる。


頭を悩ませる俺に、隣からため息が聞こえる。


「ヒントです。ゼミ」


「ゼミ……?」


たしかに、今日の午前、というか1限目は蒼衣がゼミ、俺は教授のサポートとして蒼衣の学年のゼミに参加していたが……。


何か、あっただろうか……?


思い返してみるも、特に思い当たる節が──


「……まさか」


あった。超あった。多分あれだろう。


「ゼミ中に蒼衣じゃなくて雨空って呼んだこと、か?」


「それですよそれ! なんで急に呼び方戻すんですか!」


ぷっくー、と頬を先ほどよりも大きく膨らませ、不満を爆発させている。指で膨らんだところを押したい、という欲求を落ち着けるため、ひとつ息を吐く。


「一応仕事だし、公私混同はよくないかと思って」


「たかだか手伝いじゃないですか! 別に呼び方くらい誰も気にしません!」


「そう言う蒼衣が1番気にしてるんだよなあ」


まあ、言われてみればではあるが、呼び方を変えたときにあれだけこだわっていたのだから、急に戻したらこうなるのもわからなくもない。


抗議の目線を向けてくる蒼衣に、俺はため息を吐く。


「わかったわかった。次のゼミからは名前で呼ぶ」


「絶対ですよ?」


「おう、絶対」


それを聞いて、満足そうに頷く蒼衣。それから、ちらり、とこちらを見る。


「……ちなみに、なんで急に呼び方を戻したんですか?」


「ん? ああ、さっきも言ったけど、ひとりだけ特別扱いしてると思われても困るからな。公私混同はダメだと思って」


まあ、本当は別の要因なんだが。


「わたし的にはむしろ、しっかりと特別扱い感を出して見せつけていきたいですけど」


「見せつける意味……」


「わたしのものだぞーって」


「それ、指輪で見せつけてると思うんだが」


左手の薬指を見ると、銀色のリングがはまっている。蒼衣と俺のペアリングだ。たしか、そんな意味も込めていたはずだ。蒼衣が。


「もっとこう、大々的に見せていきたいです」


「俺的にはちょっと恥ずかしいんだが……」


そう言った俺に、蒼衣は目敏く反応する。


「あ、先輩が名前で呼ばなくなった本当の理由はそっちですね!? それっぽい理由で誤魔化そうとしてましたけど、お見通しですよ!」


ぴん、と俺と繋いでいる手と反対の人差し指を立て、そう言う蒼衣。くそう、バレた。


「……なんかこう、恥ずかしいな、と思ってな……」


中学生みたいなことを言っているのはわかっているのだが、恥ずかしいと思うことはどうしようもないのだ。……というか、中学どころか小学校からまともな恋愛をしてきていないのだ。それくらいは許してほしい。


「恥ずかしくても名前で呼んでほしいです。雨空、なんて他人行儀すぎます」


「2ヶ月前までそれで呼んでたんだが……」


「2ヶ月前はまだ、ただの先輩後輩だったのでセーフです」


「セーフ……」


いったい何がセーフなんだ……。


「とにかく、今度からは雨空って呼んだときには、覚悟しておいてください」


それを聞いて、俺はひとつため息を吐いて、わざと、こう言った。


「わかった。雨空の言ったことはしっかり覚えておく」


「だから名前で呼んでくださいー!」


さっきまでのむすっとした感じではなく、可愛く不満げな蒼衣に、俺は思わず吹き出した。

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