第4話 チョコより甘い、はじめての
「ど、どうぞ」
リビングへと移動した俺は、緊張した面持ちの雨空から、あるものを受け取っていた。
「ど、どうも」
自分でもわかるが、受け取る側の俺も多分、堅い。
手元にあるのは、可愛らしくラッピングされたチョコレートケーキ、だろうか。
……名前、なんて言うんだったか。
そんな風に思っていると、俺の表情で何を思ったか察したのだろう雨空が解説をしてくれる。
「ガトーショコラ、です。まあチョコレートケーキの一種みたいなものですね」
「あー、これがガトーショコラか」
名前だけ聞いたことはあったが、実際に食べるのははじめてだ。
「……食っても?」
「もちろん。どうぞ」
「じゃあ、いただきます」
包装を丁寧に開け、雨空が台所から持ってきてくれた皿に載せる。フォークで扇型の角の部分を刺し、ひとくち。
濃厚なチョコの風味が口の中に広がる。まだ少し温かい。
しっとりとした食感に、ほんのりと甘味がある。
「おお、美味いな」
俺の言葉に、雨空は安堵したように小さく息を吐いた。
「珍しいな。雨空が料理に自信がないのって」
「そんなことないですよ。……基本的に自信のあるものしか先輩に作ってないから、っていうだけです」
「へえ、そうだったのか」
「さすがに自信のない料理を出すのはちょっと……」
「別に俺は構わねえけど」
間違いなく、俺が作るものよりかは美味いからな。
「わたしが構うんですー!」
「そういうもんか」
「そういうもんです。あ、あとお菓子作りは料理とはちょっと違いますよ」
「……?」
少し考えたものの、そもそもお菓子作りをしたことのない俺にはその違いがわからない。
「料理って、割と大雑把でも出来るんですよ」
「……と、言うと?」
「レシピ通りに全部従わなくても、それなりに美味しいものが出来ます」
「なるほど」
確かに、俺が昼飯がわりに作ろうとしていたものですら、肉を焼いて、適当に味付けをするだけで美味いものが出来る。……あれを料理だ、なんて言うと雨空からツッコミを受けそうだが。
「ですけど、お菓子作りはそうはいかないんです。しっかり量って作らないと失敗して全然美味しくなかったりします。……さっき知りましたけど」
「へえ、そうなのか」
ガトーショコラをまたひとかけら口に放り込む。
……ん? さっき?
「……なあ、雨空」
「なんですか?」
「もしかしてお前、お菓子作ったのはじめてか?」
「まあ、そうです」
「意外だな……」
あれだけ料理が出来るのだから、作ったことくらいあるのだと思っていたが……。これも、雨空がお菓子作りと料理が違うと言うところのひとつなのだろうか。
「まあ、そんなわけなので緊張してました」
「なるほど……」
これは、つまるところあれだろうか。お菓子作りが初ということは──
「……ちなみに先輩、ひとつお聞きしたいんですけど」
「……ん?」
雨空の質問に、俺の思考が途切れる。
「先輩、バレンタインデーにチョコを貰った経験、あります?」
「なくはない」
即座に、条件反射で見栄を張った。
「えっ!? 貰ったことあるんで……あれ? なくはない、ですか?」
そんな俺の見栄を、雨空は見透かしたのか、すぐに言葉のチョイスがおかしいことに気づいたらしい。……というか、えっ、てお前……。そんなに驚かなくてもいいだろ……。
「……なくはない」
もうバレていると確信しつつも、認められないのが男の子というものである。
「……ちなみに、それは誰から貰ったんですか?」
「……母親とか」
「親戚は外してください」
親戚から貰ったチョコも立派なひとつだろ!?
そう叫びたいのを我慢しつつ、最後の砦を出す。……手札が少なすぎる……。
「……一応、クラスメイトにも」
「む……。それは、どういう感じのですか?」
ぴくり、と雨空が片眉を上げる。
「どういう感じ?」
「こう、あるじゃないですか。個人的に貰ったもの、とか、クラス全員に配っていたもの、とか」
「……クラス全員に配っていた、駄菓子屋のチョコです……」
「いわゆる義理チョコですね」
「そうです……」
がくり、と項垂れる。なぜ俺はこの歳にもなって、これまでバレンタインに貰ったチョコでダメージを受けなければならないんだ……。
「……つまりは、先輩にとってはじめての……チョコってことですね」
撃沈していると、頭上からそんな言葉が聞こえた。
「ん?」
「なんでもないです」
聞き返すと、雨空が目を逸らす。
「そ、そうか……」
まあ、別に問い詰めるほどのことでもないだろう。
そう思い、ガトーショコラの最後のひと口を放り込む。
……あ、そうだ。さっき気になったことがあった。
これだけダメージを受けたのだから、ひとつくらい聞かせてもらおう。
「……なあ、雨空」
「はい」
「さっき、お菓子作りはじめてだって言ってたよな?」
「はい。簡単なものはやったことありますけどね。おやつに作ったホットケーキとか、混ぜて冷蔵庫に入れるだけのプリンとか、ですけど」
「まあ、その辺は俺でも出来るからな……。じゃなくて、だ」
こほん、とひとつ咳払いをする。
「雨空は、誰かにチョコレートを渡した経験、あるのか?」
そう言うと、雨空は、きょとん、とした。
……よく考えたら、この質問って結構デリケートというか、あんまりするような質問でもないような……?
そうは思ったものの、言った言葉は引っ込めることはできない。それに、気になるのも事実だ。
ちらり、と雨空の顔を窺うと、目を細めて口角を上げている。
「気になります?」
「……まあ」
「わたしもはじめてですよ。女の子同士で友チョコはしたことありますけど」
「そ、そうか」
そう俺が言うと、雨空はニヤついたまま俺を見ている。
「先輩、実は結構独占欲強めですか?」
「そんなことはないと思うが……。というか、今の話の流れだと、お前も独占欲強めってことになるんだが?」
「えっ、わたしはそんなことないですよ。……ないですよ?」
「なんで2回言って、さらに疑問形?」
絶対独占欲強めだな……。そう俺が確信を持っていると、雨空が何かに気づいたように、「あ」と呟いた。
「どうした?」
「言い忘れてましたけど」
「?」
途中で言葉を区切って、机を挟んだ向かいにいた雨空が、対面の俺のところに机を回って寄ってくる。
そして、顔を俺の耳元に寄せた。
「それ、本命チョコですからね、先輩」
「──!?」
そばに寄った雨空の香りが、声が、熱が、吐息が、言葉が、ダイレクトに脳へと向かう。
脳を貫く、チョコより甘い感覚に、思わず固まっていると、隣の雨空は少し離れて、
「ホワイトデー、期待してますよ、先輩」
なんて言って、くすくすと笑っていた。
……まったく、この後輩は……。
ホワイトデー、お返しなんてしたこともないし、自信もまったくないが。
「……善処する」
そのひとことだけ、呟いておいた。
「はい」
そう言って、雨空は機嫌良く立ち上がり、台所へと向かった。恐らく、夕飯に向けての冷蔵庫の中身の確認だろう。
……さて。
とりあえず、調べてみるか。
俺は、ベッドに放置したスマホをぺちぺちと叩き、ホワイトデーのお返しについて調べる。
……ふむ。3倍返し。
……3倍返しって、手作りの場合どうしろと……? というか、何をもって3倍なんだ……?
……わからねえ。
結局、調べたところでわからなかった俺は、ベッドへと投げたスマホと共に、思考を放り投げた。わからないときは放棄するに限るのだ……!
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