第7章 8月17日

第1話 怠慢は身を滅ぼす

季節は夏。熱気を纏った風が、窓から部屋へと吹き込んだ。


「暑すぎる……」


アイスを咥え、暑さを紛らわせようとするも、口以外のすべてが暑さを感じ取る。


実家にいた頃は夏休みは天国のようだった。


学校もなく、ただただ自由。寝て、食って、遊んで。


……いや、そんなことないな。たしかに自由にはしていたが、それはいつもと変わらない。それよりも、親が色々とうるさいことが問題だった。ある意味地獄。


だが、唯一このアパートでの一人暮らしよりも実家が優っている点。それは、冷房だ。


一人暮らしとなってから経験した夏は、まさに地獄と言っても間違いではない。


なぜか。それはこのアパートにエアコンがないことが一番の原因だ。


そのせいで、俺は1回生の夏のほとんどは大学で過ごしていた。大学、休みの間も冷房ガンガンにかかってて涼しいんだよな。


しかし、そんなユートピアである大学も、夏の間に閉まっている期間がある。そう、お盆だ。


昨年はお盆に帰省をしていたため、こんなことにはならなかったのだが、今年は帰省をお盆前に済ませていた。帰省ラッシュに巻き込まれるのはもうごめんだ。そう思い、帰省ラッシュ前に帰宅した俺は、お盆を自宅ことポロアパートで過ごしていた。


そしてその結果。


現状である。


「帰省ラッシュを耐えて帰っておくべきだったか……」


もはやただの木の棒と化したアイスの軸だったものを、がじがじと噛みながら呟く。

あまりの暑さになにもやる気が起こらない。


テレビを流すにも、テレビ自体が熱を発して室内の温度が上がってしまう。この部屋はそういう狭い部屋なのだ。


ぼーっとしていると、玄関の扉に鍵が差し込まれる音がした。


ガチャリ、と音を立てて解鍵された扉が開き、そこに現れたのは──


「あ、先輩。おひさしぶりです」


ふわり、と笑う美少女。肩口まで伸びた茶色がかった髪が、夏らしく涼しげな水色のスカートが、柔らかく風に舞う。


それはこの数ヶ月で見慣れた、どころではないほど共に過ごした後輩、雨空蒼衣だ。


「お? 帰ってきたのか。おかえり」


「はい、ただいまです」


「……暑くね?」


「暑いですね。というかこの部屋、エアコンないんですね」


そう言いながら、雨空はキャリーケースを玄関に置き、室内へと入ってきた。


「気づいてなかったのか……。残念ながらこんなオンボロアパートにはエアコンなんてねえんだよ。だから家賃が安いとも言えるが」


「……これ、冬も死活問題なのでは?」


「冬は案外いけるぞ。炬燵があるからな」


「なるほど。着込めばいけるみたいな」


「そういうことだ」


「それはそうと先輩。あまりに暑いですし、なんだか先輩が溶けてる気がしますし、わたしの部屋に来ません? エアコン付いてますよ」


「マジか!? なら……うん? ちょっと待て」


危うく雨空の部屋に上がってしまうところだった。危ない危ない。


「ダメだ行かない」


「えっなんでですか」


「ホイホイお前の部屋に上がるのは良くない。雨空の貞操観念が崩れる」


そう言うと、雨空は大きくため息をつく。


「はぁ……まだそんなこと言いますか。わたし、先輩が好きなので別になにされても構いませんよ。それに、他の人は上げませんし大丈夫です」


「え、あ、はい」


「それに! 先輩どう見てもこのままじゃダメです」


雨空は、びしり、と人差し指をこちらへと突きつけてくる。


「ダメ、とは?」


「先輩が気づいているかは知りませんが、明らかに夏バテです。はい、わたしがいなかった間に食べたものは!」


びしり! ともう一回人差し指をダメ押しされる。


「えーと……あれ?」


言われてみて、考えて気がついたが。


「俺、ほとんどアイスしか食ってねえな?」


雨空の瞳から光が減った。


「……他には?」


「……実家でもらったきゅうりをずっと食ってた」


「……まあきゅうりはいいですが。それで他はなにを?」


「初日にそうめん食った」


「他には?」


「……終わりだな」


雨空の瞳から完全に光が消えた。


「先輩」


「はい」


揺らめく恐ろしいオーラに、思わず背筋が伸びた。


「わたしの部屋に今から来てください。お昼はわたしが作ります。というかしばらく全食わたしが作ります」


「えっ」


「いいですね」


「いや全食は」


「い い で す ね」


「は、はい!」


そんなわけで。先輩の威厳など欠片もない俺は、雨空の部屋へと連行されていくのだった。

  • Twitterで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます

新規登録で充実の読書を

マイページ
読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
フォローしたユーザーの活動を追える
通知
小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
閲覧履歴
以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
新規ユーザー登録無料

アカウントをお持ちの方はログイン

カクヨムで可能な読書体験をくわしく知る