第3話 重量級の帰宅

雨空から電話があってから、2日経った。


あれから雨空は毎日電話をしてきたので、退屈することはなかった。


親からの「こいつまた電話していやがる」という目線は痛かったが。


まあ、それも今日で終わりだ。


早朝に実家を出た俺は、大学最寄駅、つまりはポロアパートの最寄駅へと向かう電車に乗っている。


見覚えのある緑色の景色が、少しずつ知らないコンクリートの灰色をした景色へと変わっていく。


それからまたしばらくすると、見知らぬ灰色の景色は、見知った灰色の景色へと変わっていった。


「なんか、長かったなあ」


そう呟いて、あくびをひとつ。くぁ、と漏れそうな声を噛み殺し、トートバッグと実家で貰ってきた食料の入ったビニール袋を手に握った。


……にしても、大きなビニール袋2つ分は貰いすぎた気がする。使い切れるのだろうか。というか重い。めちゃくちゃ重い。


ビニール袋の重さにうんざりしていると、まもなく駅に到着するというアナウンスが車内に流れる。


電車は少しずつ速度を落とし、ホームへと入る。


ビニール袋を握り直し、席から立ち上がる。程なくして電車が止まり、開いた扉を潜って改札へと向かう。


「うわ、めんどくせえ」


そう呟いて、塞がった右手になんとか持ったICカードをかざして改札を通り抜ける。


「……重……」


ぶつぶつと愚痴を呟きながら、階段を降りて駅からロータリーへと出る。


「いや、ほんと重いな……」


同じことを幾度となく呟きながら、アパートを目指す。いや重い。ほんと重い。マジ重い。指千切れるわ。


そして、ポロアパートと雨空の住むマンションを分ける交差点に差し掛かる。


この道を通るのも随分と久しぶりな気がするな、なんて重さから逃避していると、背中越しに声が聞こえた。


「おや、重そうですね」


「重い。ほんとに重い。何が入ってるのか俺も知らないんだよな……。……ん?」


今、誰と話してるんだ?


その答えは、ぴょこり、と左隣に飛び出してきた。


「しばらくぶりですね、先輩」


そう言って、茶色がかった髪を揺らすのは、雨空だ。


「お、おう。つーか急に話しかけるんじゃねえよ。気づかないでそのまま会話しちゃったじゃねえか」


「え、わたしだって気づいてないのに返事したんですか?」


不思議そうに首を傾げる雨空。たしかに、なぜ気づいていないのに返事をしたのだろう。考えてみても、これしか答えがない。


「なんか、無意識に」


「遂に先輩の無意識にまでわたしが刻まれましたか」


そう答える雨空は、なぜかどこか誇らしげだ。


「怖い。さすがに出て行ってくれ」


「嫌ですよ。このまま無意識を侵食します」


「もはや洗脳じゃねえか」


そんな中身のない会話をしていると、日常に帰ってきたことの実感が湧いてくる。


「それで、お前なんで外に出てるんだ?」


「買い出しに行こうかな、と思って外に出たら先輩がいたので」


「なるほど、それでか」


「あ、先輩を見つけて出てきたとか思いました? 残念ながらわたしの部屋からは外の道路は見えません」


タイミングが良すぎたので、まさかわざわざ出てきたのかと思ったが、そういうわけではなかったらしい。


とはいえ、なんとなく見透かされているのが気恥ずかしく、否定しておく。


「思ってねえよ見えねえのも知ってるよ」


言われてみれば、雨空の住む部屋は特徴的な六角形の対角線上。外に面していない部屋だ。たしかに道路は見えない。


「本当ですかー? まあ、いいです。お荷物半分持ちますよ」


「……助かる」


そう言って、1袋雨空に渡す。


「重っ!? これ、何が入ってるんです?」


「わからん。親が渡してきたのをそのまま持って帰ってきた。話からするとそうめんは入ってるはず」


「……これ、ほとんどそうめんなんじゃ……」


苦笑いする雨空と共に、アパートへと歩く。


たった数日離れただけなのに、とても久しぶりに感じる。それと、安心感もある。大学生になってからの、この2年の間に、俺の家は精神的にもこっちに移動しているらしい。


ギシギシと音を鳴らす古びた階段も、久しぶりに聞く。


そして、自室の鍵を開け、中へ入り、部屋の中心へと向かう。


「あー、やっと帰ってきた……」


思わずそう呟いて、荷物を置いて座り込んだ。


「あぁ……重かった……」


雨空は、そう言いながら荷物を置く。


「サンキューな、助かったわ」


「は、はい……。先輩、これ駅から持って歩いてきたんですか……」


「まあ、そうだ。マジで指が千切れると思った」


「でしょうね……」


ふぅ、とひと息ついて、雨空が立ち上がった。


「さて、先輩。お昼まだですよね?」


「おう」


「じゃあ久しぶりに、わたしが作りましょう!」


「お、ありがたい」


「腕によりをかけて作りましょう! ……と、言いたいところですけど、冷蔵庫の食材は先輩が帰る前に使い切ってますし、先輩がご実家から貰って帰ってきたものの確認からはじめましょう」


「……だな」


そう言って、俺は近い方の袋を引っ張って、自分の方へと引き寄せる。

雨空はもう一方の袋の中へと手を伸ばしている。


すると、そこで雨空が何かに気づいたように顔を上げた。


「先輩、言い忘れてたんですけど」


「ん?」


何かあったのだろうか?


そう思っていると、雨空は、


「おかえりなさい」


そう言って、柔らかく微笑んだ。


「……おう、ただいま」


こうして、俺の日常は、また動きはじめた。



ちなみに、だが。袋の中身はそうめんが8割だった。


お中元のそうめんを押し付けられたらしい。


ご丁寧に上からはわからないように申し訳程度の野菜が乗せられていた。


ここから、俺と雨空の、そうめんを消費する戦いが幕を開けることになるのだった。

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