27話

「……ず、……鈴!」

 誰かが私を呼んでいる。ぼんやりとした意識の中でそれを確認し、その声がお母さんのものであると認識して私は瞳を開いて覚醒した。

 目の前にはお母さんが私を抱きかかえるようにして居る。

「お母さん?」

「良かった! 鈴! 玄関で倒れているのを見たときは心臓が止まるかと思ったわ」

「玄関? 倒れる?」

 良く見渡せばそこは私の家の玄関前。どうやら私はここに倒れこんでいたらしい。

(仮面屋で意識を失って。覚えてないわ。仮面屋がここに運んだのかしら?)

 目を覚ましたことで安心し、肩をなでおろすお母さんに支えられながら立ち上がった私はゆっくりと家の中に入り、ソファに座らされ母さんが差し出した冷たい麦茶を一口飲んだ。

 私の横に座って体を撫でてくれているお母さんを眺める。

 少し疲れた風な様子はそのまま。以前のように時間が巻き戻ってはいない様子で、恐らくあのもう一人の私の所業はそのまま残っているのだろう。

「……お母さん、この前はごめんなさい」

 どうしても言わずにはおれなかった。

 私の本心であり私の一部がやったことだったが私にはもう一人の私もいる。

 悪い事をしたという気持ちがあるなら謝らなければならないと訴えてくる良い子の私。

「我が儘だって分っていたけど、我慢できなくって。分かっているつもりだったの。お母さんは私の為に働いてくれているし、私が勝手なことを言っちゃいけないってことぐらい。でも、いつだってお母さんは忙しくって、約束を守ってくれることは無くって、私を後回しにしている様な気がして、私って必要ないんじゃないかって思った」

 これも言わなきゃいけないと思った。

 謝って自分だけが悪かったんだと我慢することはしない。私の考えも聞いてもらわなきゃいけない。もう一人の私も主張しなければ何のために見つけ出したのかわからない。

 お母さんは暫く瞳を閉じた後、小さく頷いて少しの笑みを見せながら私と視線を合わせた。

「そうね、言われるまで気付かないなんて母親失格だわ。いつだって鈴は聞き訳が良くってそれが自分に都合が良かったのね。文句も言わない鈴に甘えて、お母さん酷かったわね。ごめんなさい。でもね、破るつもりで約束したことは一度もないのよ」

「うん……」

 お母さんの声が何だか素直に心に入っていく様な気がした。

 以前なら「どうせその場しのぎ」なんて何処か心の中で思ったりもしていたけれど今はそんな気持ちはかけらもない。

 少しだけ、お母さんとの距離が近くなったようで少しの照れ笑いを返すと、お母さんも私の肩をだきかかえて笑顔になる。そして私はお母さんの耳元で小さく、

「お母さん、私、良い子をやめるわ」

 と囁いた。

 不思議な十字街の不気味な仮面屋での出来事は誰にも言うつもりはないけれど、きっとずっと私の心の中であるだろう。

 私は何だか今までの私とは違う、私らしい私としてこれからは生きていける、そう思えるのはきっとあの仮面屋のおかげだろうから。

 御代として仮面屋が欲しがった私の仮面。

 思い出すだけでも嫌な気分になってしまうような私の醜く歪んだ厭らしい顔。あんな顔をした私が私の中にあったなんて知らなかった。それと同時に、仮面屋が欲しがって持って行ってしまった私の一部ではあったけれど、あんな仮面なら無い方がいいと私は思う。

 これから、私はきっと私らしく私として生きていける。あんな醜い私なんていらない。

 心からそう思った。


 店主は歪んだ妬みの仮面を壁に飾りながら嬉しげに含み笑いをして店一面に飾られた仮面を満足気に眺める。

「これでまた、この店も賑やかになります」

 惚れ惚れとするような恍惚とした表情を浮かべる店主。

 暫く自らのコレクションともいえる仮面達を見惚れていれば店の扉が来客を知らせる鐘の音と共に開いた。店主は先ほどまでの表情をあっという間になくして、無常状に変化させ扉の方へ向き直る。

「いらっしゃいませ。ここは仮面屋です」

 あまりに不気味な店主の微笑みは怯える青年をさらに怯えさせた。

 しかし、そんな客である青年の様子を気にすることなく店主は一際醜い表情をした仮面に目をやって青年に言う。

「素晴らしいでしょう? 先ほど入荷した仮面なんですよ」

 その仮面の表情は酷く歪んでいて、青年でなくてもだれが見ても眉間に皺を寄せただろう。

「そんなに気持ち悪そうになさってはいけませんね。これは誰でも、貴方だって持っている仮面ですよ?」

自分の体がいう事をきかない事態に戸惑っている青年をよそに店主は続ける。

「喜怒哀楽、それ以外にも仮面は様々にございます。この醜く歪んだ妬みの仮面もそんな多種多様な仮面の中の一つ。もちろん、この仮面がここにあるという事はその方の中からこの仮面の存在が無くなったという事ですが」

 青年は醜いその仮面を見ながら「良かったじゃないか」と呟いた。

「こんな仮面、無い方がいいと思っていらっしゃるのですね。それが、そうでもないんですよ。そこから生み出される物もある。人が人として持っている感情に不要なものなど無いのです。どんなにいらない感情だと思っていても時にはそれが無くてはならないものとなる。それが分かるのはそれを無くした時。まぁ、仮面に限らず人というのは何故か無くしてしまってからその大事さを思い知るわけですが。気付いて仮面を取り戻そうとも、無くしてしまった自分の仮面はもう二度と取り戻せない。何故なら、私が決して手放したりしないからです」

 小さく空気を歯の間から漏れ出させるように笑いつつ、視線を青年に向けた店主。

(貴方はどんな仮面を私に捧げることになるんでしょうねぇ)

店主の小さな囁きは店主の左の白い仮面の中にしみこんでいった。

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