21話

 深く呆れたような溜息が、外から聞こえる。

 あれから数日の間、鈴は自分なりの「答え」を彼女にぶつけていた。

 しかし、彼女は「正解」の一言は言ってくれない。もう既に期限間近となり、鈴に残された時間はあと一日半しかなかった。

 全く出てこない正解に(まさか本当は『答え』なんて無いんじゃないでしょうね)と何気に鈴が心の中で思ったことも全て筒抜けになっているのか、この数日、鈴が言葉に出さずに思った事でも仮面は必ず返事をするようになった。

「疑り深いわね。嫌われるわよ、そういうの」

(ちょっと、また勝手に。私の考えを本人の意図していないところで読むの止めてちょうだい)

「仕方ないでしょ? 私は鈴なんだから。鈴だって認めたじゃない。別々に思えてもそこは一つの人だもの、思考が筒抜けになるのは当たり前。それにね、『答え』はちゃんとあるわよ。鈴が『正解』を導き出していないから私が頷かないだけ。別にいじわるをしているわけじゃないわ」

 仮面はそう言ったが、鈴にとっては全てが意地悪に思えて疑いの姿勢を崩さずに息を吐けば、仮面は楽しげに瞳を細くして笑う。

「それにしても鈴もそんな風に言えるようになってきたのね。上々と言ったところかしら? でも、それだけじゃ駄目だわ」

(言っている事が意味不明。嘲る様に言われて何が上々なのよ)

「あら、そう? でも言っている事が問題じゃないわ。鈴がそういうことを言えるようになったことが上々といっているの。今までの鈴ならそんな風にやめてなんて、私にだって言えなかったでしょ?」

 笑いながら言う仮面の言い分に、鈴は確かにその通りだと思っていた。

 今までの自分ならきっと「我慢」して思うだけに留め、歯を食いしばっていたかもしれない。

 思考が読まれていると思っても仕方の無い事だと諦めていたのかもしれない。どちらにしてもわざわざ仮面に対してやめてくれとは言わなかっただろう。

「ねぇ、どうして『我慢』しなかったの?」

 そう聞かれて鈴は考え込む。

 どうしてと言われても理由が分からずただ「さぁ、考えて無かったわ」と言えば仮面は嬉しそうに微笑む。

「そうでしょうね。考えないから『我慢』しなかった。それは正しい応えだと思うわ」

 応えという言葉に鈴がそれって何か関係しているの? と聞けば仮面は微笑みを絶やさず「それは鈴が探すべきものでしょ? 」と言ってのけた。

 いつだって肝心な所になると笑ってはぐらかす仮面と、ここ数日間同じようなやり取りをしてきた様な気がすると鈴は息を吐く。

 そして何度もやり取りをして分かったのはこういう会話の流れになると、仮面はまるで悩む鈴を楽しむように笑って、一切鈴の問いかけには答えてくれなくなる。

 仮面の性格が分かってきた鈴は仮面の態度に(まぁ、いいわ)と言って、期限までにと自分の中でもう一度考える事に集中し始めた。

 今まで出してきた鈴なりの「答え」は全て「不正解」だった。

 だとすればその考えは全て捨て去らなければならない。そうして全てを捨て去った後、残るのはたった一つ、「自分自身」という事だけ。

 そうしてまた壁にぶち当たり、鈴は毎回ここで別の考えを浮上させて「自分自身」という事柄から離れてしまう。しかし、多分それでは駄目なのだろうと今度は「自分自身」という事柄を考えようと眉間に皺を刻んだ。


 自分の事なのに答えが自分自身とはどういうことなのだろう?

 自分自身、私自身、瀬戸鈴という私。「私」って何だろう? 今まで余り考えた事は無かった。そりゃそうよね、だって私は私であって自分を考える必要なんて感じてなかったんだもの。

 私はどういう人物なのだろう? ……おかしいな、私は私がわからない。そんなわけない。だって自分の事よ? 自分自身の事じゃない。

 自分で自分を考えるなんてしたことが無いからわからないだけかもしれない。私は「私」を考えてみよう。

 私、名前は「瀬戸 鈴」。「十四歳の中学二年生」。「母子家庭」。

 それが私の状態。

 私、「聞き分けが良い」「先生には優等生、クラスメイトにはストレスの捌け口、母親には自慢の娘」

 それが私の外面。

 その外面を守るために本当の私は不要と思われる色んなものを全て封印してきた。心の奥底に鍵をかけて沈め決して箱が開かないようにしてきた。そう、この時の私は、我慢は必要な事であり、それ以外は不要だと。要不要、その二つの事柄だけで物事を分けて来ていた。だとすれば、「本当の私」って何だろう? 外面とは全く反対なものが私なのだろうか? 聞き分けの悪く、劣等生で情けない娘が本来の私だろうか。

 いや、違う。

 ただ外面を反対にすれば本当の私になるかといえば、それは違う様な気がする。そもそも、私はどうして外面を持つようになり、それが私の本体だと思う様になってしまったのだろう。

 素直に居る事が悪いことだと感じたのは、その人の目が、その人の反応が怖かったから。人の顔色を極端に窺うようになった。私は自分の中に生まれた考えや思い、自分の言葉を何度と無く飲み込んできた。我が儘を言って母親の顔色が変わるのが怖くて、本当の気持ちを言って、友達が友達で居なくなるのが怖くって。そうして、自分の気持ちを言わなくなった。そうだ、他者の気持ちを優先して自分の気持ちを、感情を押し込めてきたんだ。

 ずっと、自分自身でそうしてきた。「周りが」、ではなく「自分自身が」。

 だから彼女は本当に私が思っている私の感情を素直に表現する。確かに、彼女の行なっている行為や言動は私が本来そうしたかった事かもしれない。でも、それが本来の、本当の自分かといわれれば私は首を傾げてしまう。

 彼女は私。

 それは間違いない。でも違うと思ってしまうのはどうしてだろう? 彼女の感情の表し方が直線的過ぎるのが私ではないと思わせているのだろうか。おそらく私ならそんな風には言わない。人の機嫌、雰囲気を気にして出来る限り損ねない様にと気を使って話すだろう。でも、そのように言ったとして、素直に自分の気持ちを表現する事ができるんだろうか? 物事を率直に、自分の気持ちを正直に言えば人と自分を傷つけるだろう。人を傷つけたくはない、何より自分が傷つきたくはないからとる態度は果たして自分の気持ちであるだろうか。

 私は溜息を、深い深い溜息をついた。自分を考える事がこんなに難しい事だとは思っても居なかった。自分自身の事、誰よりも分かっているし分かりやすい事だと思っていたが、他人のことを考え思うよりも難しい。

 でも、考えていて一つだけ分かったことがある。

 私は私が良い子である事を自分自身で選んで自分でそうなっていった。他の誰でもない。私は私自身を良い子に作り上げていったんだという事が分かった。


 鈴は時間と言うのは本当にあっという間に過ぎるものなのだと今更ながら思っていた。考えている間に期限は後半日となっていたからだ。そして、その頃には鈴の考えは考えでなくなっていた。

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