17話

 鈴は心の中の心と会話をするように自分自身に問いかけつづけていた。

 しかし、それに応えてくれるものは居らずぼんやりとした景色だけが瞳から脳へと送られる。

「じゃぁね、鈴。また明日」

 不意に聞こえてきた声に我に返って顔を上げれば、もう仮面はいつも通りの帰宅路を歩いていた。ほんのわずかな時間と思っていたが、現実世界ではかなりの時間が経っていたようで、何時の間にと鈴は驚きながら涙を手で拭う。

「あら、やっとお目覚め? それにしても余裕ね鈴。知っている? 一日って意外に短いものなのよ」

 

 鈴は一日が短いなんて考えた事は無い。何時だって一日は長いものだった。

 一日だけではない、一時間、授業の合間の十分間の休みさえ長いと感じていた。

 次は何をされるのだろうと怯え、受け身の日々はとにかく一分が長く、こんな風にいつの間にか時間が経っているなどという事は思い出せないほど昔の話。

「それで、一日をあっという間に使い切って答えは見つかった? 期限がまた一日減ったわよ」

 嫌味としか思えない口調に鈴は額を手で押えながら眉間に皺を寄せて声が聞こえてくる空間を睨み付ける。

(悪趣味ね。私が四苦八苦している姿を楽しむなんて)

 嫌味に嫌味を返したつもりだったが、仮面は気分を害することなく一つ呆れたような溜息をついた。

「そう、まだ見つけてないのね。本当に鈴って駄目ね」

 仮面の一言に鈴はびくりと体を揺らし、瞳を徐々に大きく広げて目を見開く。

「本当に鈴ってダメね」

 その言葉の響きは聞き覚えがあり、何処か胸をえぐるような感覚が自分に押し寄せてくるが、それが何かは思い出せない。

 でも、今すぐに思い出さねばならない気がして鈴はその後、何かしらを語りかけてくる仮面の言葉など耳に入らず考えていた。崩れていく頭の中で何かが現れ形作る感覚。拾い集め必死で引っ付けようとしていたのは現れるそれを隠すためだったようにすら思え、鈴はその形作るものへと集中した。


 現れてきたのは遠い昔の遠い記憶……。


 そう、私がまだ、小学生だった頃。

 私は得意な科目も得意なことも何も無くって、ただ大人しい隅っこの方でもじもじとじれったくしているだけの「出来ない子」だった。

 そんな私に言われるのはいつだって、

「駄目ね」

「どうして出来ないのかしら」

 という否定の言葉。

 でも、それを「駄目なんかじゃない! 」って言い返すほど自分に自信も無かったし、実際、自分でも「駄目だ」って思っていたから私の口から出るのは、

「ごめんなさい」

 という謝罪の言葉。

 謝れば済む、こういっておけば大人たちは仕方がないと諦めてくれる、そんな考えが無かったとは言えない。

 ののしられるのにも耐えられないし、いつまでも駄目な理由を延々と言われるのも嫌だった。

 だから、どんなに悪くなくっても謝る私が居た。

 努力しても、その努力が必ず報われるわけじゃない。

 努力をしている姿を見せつけているのならある程度は認めてもらえたのかもしれないけれど、それを見せていなければ私の努力は報われない結果として現れた。

 どんなに頑張っても出来ないものは出来ない、頑張ったけれどそれが形や実となって現れることは少なかった。

 でも、そんな私もただ一つ、だんとつではないにしても他の物よりもできる事があって、その時間だけはとても楽しかった。

 それは、図画工作。

 絵を描くのも、工作をするのも大好きで、周りの友達に褒められたりしていたし、成績表もそれだけはいつも五段階評価の五をもらっていた。私にとっては唯一の自慢であり得意になれることだった。

 夏休み前の終業式の日。

 成績表をもらった私は今回も五をもらっている図画工作の欄が嬉しくって、仕事から帰ってきたお母さんに成績表をみせた。

 他の成績は振るわなかったけど、図画工作は褒めてもらえるかもしれない。

 そんな期待を持っていた私にお母さんは何気に、悪気も無く、心に言葉の剣を突き刺した。

「本当に鈴って駄目ね。どうしてこう、お勉強が出来ないのかしら? やっぱり塾に行かせたほうが」

 お母さんは何も考えずに発した言葉かもしれない。

 私の心を突き刺しえぐりとっているなんて気付きもしなかっただろう。

 勉強は出来ないことは自分がよく分かっている。自分なりに頑張っているけれど、それが結果として出てこない。だからこそ、他を見て欲しい、いいところを見てほしいのにお母さんは私の思いとは全く違った言葉を吐き出した。

 期待は、裏切られた。

 もう、これ以上傷つきたくない。だから、傷つかないよう良い子になろう。

 もう、駄目なんて言われたくない。だから、勉強ができなくても駄目だと言われない良い子になろう。

 良い子にならなきゃいけない。だから、今までの自分で居ちゃいけない。

 そう、私はこの時良い子になることを心に決めた。

 

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