8/7(金) 月見里蛍③

 売店脇の椅子に移動して、しばらくぼーっとしていた。野中が現れるまでそれほど待たなかった気がする。



「……よう」

「うす」



 目が合うと一瞬野中は立ち止まったが、すぐに片手を上げた。

 俺たちのいつもの挨拶だ。何も違うところはない。



「パジャマってガチ入院じゃん。何したの」



 俺の前で立ち止まって見下ろされる状態になった。茶化している口ぶりだったけど、目は笑ってない。



「……合宿の次の日から、入院してる」

「えっ、みんな知ってるの?」

「いや、今日初めて家族以外に打ち明けてるよ」



 声は震えていないだろうか。野中の顔をまともに見れない。

 野中がすっと隣に腰掛けるのを感じて、俺はようやく顔を上げた。



「で、退院はいつ?」

「2学期は行くつもりだよ」

「そうか、間に合うんだな。良かった。なっちゃんがいないと寂しいから」

「俺も暇で仕方ないよ」



 苦笑いしてみせる。



「んで、文化祭が終わったらまたこっちに戻る……と思う」

「? 治ってないの?」

「うん……。悪い腫瘍ができてて、手術しないって決めたから。あとは最後の日を待つだけなんだ」

「は……?」



 ちらりと隣を見る。

 野中の顔がどんどん険しくなっていく。

 ああ、ごめん野中。

 胸がぎしぎしと痛い。



「本当は誰にも言わないつもりだったんだけど、どうしてもひとりじゃなんともならなくなって」

「……」

「お前とは最後まで笑って、冗談ばっかで、それで終わりたかったのに」



 うつむいて、顔の前で合わせた手に額を当てた。目を閉じて、込み上げてくる不安の塊をいなす。カッコ悪いので、どうか震えているのがバレていませんように。



「終わるって……え。なんだよ、それ」



 戸惑う声色。その答えを急かすように、外から聞こえるセミの声が大きくなる。



「……ごめん」

「どうにもならないのか」

「手術すれば助かる可能性が7割だって」

「7割……」

「成功しても5年もてばいいって言われてる」



 返答すると、野中は黙り込んでしまった。

 隣を見れない代わりに、瞳を開けて前を見据えた。

 廊下はたくさんの人々が行き交っている。その様子は学校の廊下と変わらない。違うのは、そこにいるのが弱々しい患者や白衣の看護師だってこと。



「俺ね、手術も怖いんだけどそれよりも、記憶がなくなるかもしれないことのほうがもっと怖いんだ」

「……!?」

「成功しても高い確率でそうなるらしい。そんな状態で生きながらえても意味ないんじゃないかって。虎蛇の活動、家族との暮らし、友人たちとの日々、お前との会話……それが俺の今の全てなのに」



 それが初期状態になったとき。俺を俺だって言えるのだろうか。



「やだよなっちゃん。なにもできないのか、俺は……」

「それで野中にお願いがある」



 チラリと隣を見る。



「病気のことはギリギリ誰にも言いたくない。特に2学期、バレないようにサポートして欲しい」

「……音和にもか?」

「だってあいつ、正気保てると思う?」

「笑えねー」

「もちろん虎蛇メンバーにも。文化祭前にごたごたして、せっかくいい感じになってきた結束を壊したくないんだよ」

「……ふう」



 背筋を伸ばして、野中は大きく息をついた。

 そんな野中を俺は信用しているし、心強いと思っている。



「ありがとな、頼むわ。で、あとひとつ。近々ヒマな日ない?」

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