8/7(金) 月見里蛍①

 あの日からザキさんは部屋に戻ることなく、隣のベッドは空きになった。


 ザキさんの鼻は複雑骨折していたが、問題を起こしたのでこの病院では処置ができず、すぐに隣街の病院に引き取られて行ったらしい。



「まぶしい」



 俺の隣でほたるは目を細め、全面ガラスの窓から外を眺めている。

 あんなことがあったのにも関わらず、彼女はいつもどおり俺の病室に来た。

 さすがに病室は……と思い、待ち合いに移動して今にいたる。

 俺からいつも話題を振ることが多いはずなのに、声が出ない。こういうとき、なんて声をかけたらいいんだ。



「……ふう」

「元気ないね?」



 逆に心配されてしまった。



「いや、俺は……」

「わたしは平気だよ。気にしないで」



 うっ。俺、年上なのに全然ダメダメだよな……。

 俺のひざを枕にして、ほたるは待ち合いのベンチにゆっくりと寝転がった。俺のひざにふんわりとかかった髪を、優しくすいてやる。



「あの日、助けにきてくれてうれしかった。でもね、怖くはなかったよ」

「そうなのか?」

「もうすぐ死ぬ人間に、怖いものはないから」



 そのまま俺の病院着のボタンをいじっている。

 俺は静かに聞いていた。



「殺されると思ったとき、『ひとりで死ななくていいんだ』とすら思った」

「おい……」

「眠るとき、いつも怖いの。このまま夢の中に引きずり込まれて、目が覚めなかったらどうしよう、って」



 その気持ちは分かる。

 でも、殺されるのがうれしいなんて、そんな悲しいこと思わないで欲しい。



「もうすぐ死ぬんだとしてもさ、生きているうちは人間でいる権利はあるんだよ」

「??」

「笑っていいし泣いてもいい。話してもいいしぼーっとしてもいい。自由だ。それを他人が終わらせる権限はないし、許してはいけない」

「……」

「あのときほたるも言ったよな。あいつのために生まれてきたんじゃないって。それが本音なんじゃないか?」

「ん……」



 黙り込んでしまったほたるを撫で続けながら天井をあおいだ。

 ぷつぷつと穴がたくさん開いた天井はまるで、瓶に入れた虫を生かすために開けた空気穴のように見えた。でも、俺たちはそうじゃない。自分の意思で生きてる。



「……ずっと思っていたけど、お兄ちゃんって、病気に、ちゃんと向き合ってないね」



 胸元から聞こえた的を射すぎた言葉に、胸が疼く。

 ほたるの手が腰に回り、ぎゅっと抱きつかれた。



「……あたしね」



 彼女の体温がゆっくりと伝わってくる。



「本当は、今月末まで……だった」



 顔を腹に埋めて小さく震えている。



「……」

「……ほたる?」



 そっと腕に手を置いて、その腕が熱すぎるのに気づいた。



「体調悪いんじゃ?」

「……へい……き」



 明らかに息づかいが変だ。



「無理してたのか。ごめん気づかなくて。戻ろう」



 身体をゆっくりと起こして腕に抱え、彼女の部屋に急いだ。



「ごめん……なさい。早く……話したくて」

「いいよいつでも会いに行くし」



 どんどん呼吸が荒くなっていくのに不安を覚える。



「お願い。ひとりきりで……死なせないで……」



 彼女は俺のパジャマを握り、うわごとのようにつぶやいた。

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