7/13(月) 葛西詩織②

 廊下に向かってダッシュする。張り紙の前は大にぎわいだった。

 きっと鈍臭い先輩のことだ。なかなか前に行けなくて、順位表が見れなくて困っているはずだ。それを見つけて、事情を説明すれば……!

 一様に正面を見上げる人の中で、俺はキョロキョロと顔を見回した。でもそれもつかの間、すぐに足が止まる。


 葛西先輩さ、無理しなくていいのに。

「人が多くて見づらいです」って。

「あたくしこんな密度の高い場所では呼吸ができませんのよ」なんてさ。俺を呼びに来てくれたら良かったのに。

 なんでこんなときだけ頑張るんですか……。



「先輩……」



 黒山の人だかりのいちばん前で、張り紙を見上げている背中。俺のよく知っている小さな背中だ。



「あ、小鳥遊くん。おはようございます」



 振り向くといつものように、にっこり微笑みを携える。でもいつもと違うのは、すぐに顔を見せないようにうつむいてしまったこと。

 とりあえず、ここじゃ話ができない。



「先輩、とりあえず離れませんか」



 人ごみから引っぱり出そうと手を伸ばした。



「やめて! 来ないで!!」



 叫ぶと、先輩は自分を抱きしめるようにして後ずさりした。


 モーゼが海を割ったように、先輩の周りに道が開けた。周りの人たちの視線が俺に集中する。伸ばしかけた手は、行き場をなくして宙にさまよってしまう。



「……ひとりで行けます。わたしに触れないでください」



 警戒するように先輩がつぶやくと、同級生がざわついた。

 ……これは……あんまりじゃないですかね……。



「わかりました……」



 彼女に背中を向け、集団の外に出た。みんな不審がって避けてくれて造作なかった。



「おはよー! どしたのーしおりん先輩? ここ2年だよー?」



 俺たち2Aの教室の入り口に近い場所に、様子を見にきた虎蛇メンバーが集まっていた。



「ふう、はあ……」



 振り返ると、一歩後ろで先輩はゆっくりと息を整えていた。みんなが先輩の動向を見守っていると、先輩は前屈みだった体を伸ばし、微笑む。



「残念でしたね」



 うんうんと、自分を納得させるように先輩は頷いた。



「小鳥遊くんは頑張ってたから。うん、だから仕方ないですよね」



 俺は、五百蔵いおろいとの約束を果たせなかった。それは虎蛇の合宿に先輩が参加できなくなるということ。

 だったら、さっきみたいなきつい言い方になるのも仕方ないのかもしれない。みんなの前で罵倒されたり大泣きされなかっただけ、まだ良かったというか……。



「では、私は教室に戻ります」

「あ。ちょっ、待って!」



 去っていく腕をつかもうとして、無意識に手が止まった。さっき、きつく拒否されたのが頭に引っかかっていたからだ。



「っ!」



 ためらった一瞬は、先輩を遠ざける時間として十分過ぎた。

 気づくと先輩は人ごみの向こう側に行ってしまっていた。



「先輩!!」



 声は届いているはずなのに一度も振り返らずに、先輩は階段を下りていく。

 俺は頭を抱えてその場に座り込む。



「や…………っべええええええ」



 アウト。これは絶対に嫌われた。

 信頼関係、0に戻った〜〜〜〜。



「あいつも切れることあるんだな」



 窓枠から半身だけ乗り出して、野中が階段を眺めてつぶやいた。



「ほんとだよなっちゃん! しおりん先輩があんなに取り乱してるの初めて見たけど、何したの?」



 七瀬といちごが両脇にしゃがみ込んで心配してくれる。



「……実は、虎蛇で夏休み合宿を企画していたんだよね……」



 この際もう仕方ない。ことのあらましを簡単に説明し、張り紙をチラ見する。



「……てなことがあって、あれに俺の名前がないだろ。だから先輩は、このままだと合宿に行けない」

「あーそれは、怒るっしょー!」



 七瀬ののんきな声がまた心にブッ刺さった。いちごはうーんとこめかみに指を当てて、



「キチンと説明して、ごめんなさいするしかないよ」

「あ、俺も今日から顔出すから。虎蛇会」



 こんなときに野中がしれっと宣言する。



「え、そうなの? やったーうれしい! 虎蛇でも一緒なんておもしろいね、よろしく野中くん!」

「わかったからやめて日野。それ割と恥ずかしい」



 いちごが野中の手をとってよろこんでいる。

 七瀬はそれを見て苦笑してから、俺の背中をぽんぽんと叩いた。



「なっちゃんがしおりん先輩のために頑張ってるの、あたしはわかってるから。踏ん張んなよ。そんで、絶対にみんなで行こうね!」



 ありがとうと思いながら、俺は膝をついたまま、なかなか頭を上げることができなかった。

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