5/29(金) 芦屋七瀬④

 彼女はエレベーターで3階に降りたようだった。

 それを確認して、俺は一気に階段を走った。

 ポニーテールを目印にフロアをうろついていると、ひとつの病室の前で立ち尽くしている彼女を見つけた。

 ……。

 ここまで来るとストーカーだな。訴えられると困るので、その前に声かけるか。


「七瀬~」


 それと同時に七瀬が病室のドアを開けた。開けながら、驚き引きつった表情で俺を見る。


「よお……タイミング悪かっ……た?」

「えっえっ? なっちゃんなんで……ここに……」

「ほら俺、貧血系男子だから」


 薬の袋を掲げる。七瀬は横目でそれを見て、面倒くさそうにため息をついた。そして俺の腕を引っつかみ、病室に引きずりこんだ。

 室内でよろけそうになりながらバランスをとっていると


「責任とってもらうからねっ!」


 七瀬が小声でささやいた。

 責任てなんなんだ、大げさな。


「おじいちゃん!」


 俺から離れた七瀬は部屋に1つしかないベッドに駆け寄った。

 そこに横たわっていた老人はゆっくりと起き上がり、七瀬に気づくと目を細めた。


「ナナちゃん、いらっしゃい」

「なにー元気ないじゃん。ごはん食べた?」

「まずくて食えるかあんなもん。から揚げが食いたいな」

「アハハ、だよねー。今度内緒で持ってきちゃおうか!」


 七瀬は学校にいるときと同じ調子で、老人に話しかけていた。

 こいつはいつでもこうなんだなあ。なんだかそれが無性にほっとする。

 微笑ましく眺めていた俺におじいさんも気づいて、一瞬、二人の会話が止まった。あわててぺこりと頭を下げる。


「……ほう。ナナちゃんの彼氏かい」

「ああ、違い……」

「ぜんぜんちっがーう!!」


 俺が否定するより早く七瀬は力強く否定した。だからなんなんだお前は!


「おじいちゃん? あたしはもっとイケメンが好きだからね」

「おいこら聞こえてるぞ」


 くそやろう、あとで覚えてろよ。


「いやー、わしにはじゅうぶんいけめんに見えるが」

「はあ? おじいちゃん目が悪くなったんじゃない!? レーシックしたら?」


 つかそんなもん入院中の老人にすすめんなよ。


「入院する手間もはぶけるね♪」


 そういう問題じゃないし。たしか日帰りだしあれ。


「さっきからブツブツうっさいな」

「はっ!?」


 どうやらモノローグがお口からこぼれていたようです。


「……おじいちゃん今日もお話し聞かせて?」


 七瀬はベッド脇に腰掛けた。

 俺も近くのイスに座る。

 老人は目を細めて、指でアゴをなでる仕草をした。



それはある男の恋の話だった。


男は好きな人と夢を達成させるために生きてきた。


男は古生物学者だった。


そして、この街でずっと助手と化石を掘っていたそうだ。


助手はその後、彼の奥さんになった。


夫婦になってからもそれが休むことはなかった。


35年前、彼らは大きな化石の全身骨格を掘り当てた。


それは見たことのない恐竜の骨だった。


全身がきれいに残っていた化石は、街の博物館に展示された。


だが実は1ピース、足りていなかった。


それを掘り出したところで土砂崩れが起きて、化石は大量の土の中に埋まってしまったのだ。


幸い夫婦は二人とも無事だった。


仕方なく1ピースだけ足りていない化石を世に公表した。


それでも公表するには十分すぎるくらいだからだ。


そしてその事件があったおかげで夫婦の愛は深まったし、


夫婦の名前は街の博物館にも刻まれることになった。



┛┛┛ 



 玄関をくぐるとすでに暗く、高台から見える街は、クローバーの花畑のように街灯がぽんぽんと咲き乱れていた。


「七瀬んちどこ? 俺、駅に行くけど」

「あたしここからバイクだよ」

「そっか、じゃあ明日な」

「あのさー、なっちゃん」


 別れようと背中を向けた矢先に呼び止められる。


「なに? 便所なら」

「違うわっ! ……明日、練習終わったら付き合って欲しいんだけど。予定ある?」

「いや、別になにも」

「だよね!」

「だよね!ってなんだ、だよねって」


 うししししと歯を見せて笑うと、七瀬は手を挙げた。


「じゃあ、また明日。学校でねー!」


 手を振りながら駐輪場に向かう背中をチラリと見て、俺も駅に向かうために歩いた。

 うーん。

 これは、デートの誘いなのだろうか。

 俺は考えを巡らせながら病院の門をくぐる。


 でもその前に今日のあいつの埋め合わせ、どうするか考えないとたぶんやばい。

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