5/18(月) 転校生⑧

 突然の言葉にごくりと息を飲む。

 いやでもこの人、いつもこういうこと平気で言うからな……。


 純情男子高校生こと俺はラブコメ耐性がなさすぎて、音和相手だっていうのに、正直動揺してたりする。

 なんだこのダメダメ感。

 動揺してるとか、絶対悟られるわけにはいかない。

 とにかく何か言わねば。なにか。気のきいたことを言わねば。うーん、ひらめけ俺の右脳左脳!


「ど、どんだけ俺といるつもりだよ」

「一生がいいな」


 っだあああ! よどみなく答えやがった!!


「ねえねえ」


 袖が遠慮がちに引かれて歩みが止まる。

 半歩後ろをそっと振り向くと、音和は泣きそうな顔をしていた。


 どうして……その顔は反則だ。


 空気が変わった。

 なにか言いたいけど、喉が乾いて言葉が出ない。

 いや、出ないんじゃない。


「あたしね、知ちゃんが好きだよ」


 そういう音和の言葉が予測できたから。声をかける前に、答えを考えていたんだ。

 卑怯だ、俺は――。


 心臓がありえないくらい音をたててる。

 それが隣にいる音和に聞かれるんじゃないかってくらいに、かなり盛大だったから焦った。

 心音が伝わるのが怖くて、目を合わせられない。それに目を合わせて、今更なにを言えばいいんだ。


「なんでなにも言ってくれないの……?」


 先に口を開いたのは音和だった。

 同時にスッと袖から重みが抜けた。

 音和はうつむいたまま、一歩ずつじりじりと後退していく。


「もしかして、困る……?」


 あ、このままだと……。


「いや、そんなこと……」


 カラカラの口を開けて出た言葉は、あまりにも間抜けなものだった。


「あるよ。ある。……だってあたし、知ちゃんのこといちばんよく見てるもん。わかるよ……」


 それは、俺も同じだ。

 音和は小さな腕でごしごしと目元を拭った。



「……帰る」



 そう言い捨てるとそのまま顔も上げずに、俺を追い抜き、走って行った。

 伸ばしかけた手は行き場を失い、去って行く姿を見ているだけで。俺は結局あとを追わなかった。


 あいつとはずっと兄妹みたいな関係だった。いつも一緒にいた。嫌いなわけないだろう。

 でも、好きってさ。付き合う……ってことだよな。

 それって、今までの関係とはやっぱり違うわけだよな?

 そう考えると頭の中がぐちゃぐちゃで、どうしたらいいのかまったく分からない。

 音和のことは大事にしたいし大事に思っている。

 じゃあ付き合えばいいのか? それが俺と彼女の望む関係なのか?

 ああちくしょう、一体どうしたら。何が正解なんだよ。



┛┛┛



 しばらくブロック塀に腰掛けていた。

 とっくに空になったコーヒーの缶をもてあそぶのにも飽きて、空を見上げる。

 すっかり周りも暗くなってしまったし、そろそろ帰るかと立ち上がると、偶然、目の前のパン屋から日野が出てくるのが見えた。

 ほくほくと顔をほころばせながら腕に大きな袋を抱えている。

 そのビニール袋の中に、やっぱりというかなんというか……。


「!」


 日野が気づいた。


「きゃあ!!」


 悲鳴を上げ、その場で腰を抜かした。化け物か俺は。

 ため息をつき、てくてくと日野に近寄り手を差し出す。

 日野はパンの耳がたくさん入った袋をしばし見つめて、恨めしそうにそっと、俺にそれを差し出した。


「違う、手だっつの。パンはいらん!」


 そう言うと、彼女の表情がぱっと明るくなった。


「良かったです! これもパン屋さんにご無理を言って、やっと譲っていただいたんです! なんの苦労もなく盗られてしまったら、生きている意味、自分に問わなきゃいけませんよね!」


 そうまくしたてると、今度こそしっかりと俺の手を握り、立ち上がってくれた。


「生きてる意味?」


 なんだろうこの大げさな人は。


「弱肉強食がまかり通る世の中を嘆きたい、そういうことです!」

「いやわかんないけどわかったから、とりあえず、手を離してくれ」

「あっ。し、失礼しました!!」


 ぱっと俺から距離を取って、日野は片手でスカートについた埃を払いはじめた。

 ツッコミたいのはやまやまだけど、やっぱり気分が全然のらん。ここはさっさと退散すべし、だな。


「んじゃ……」


 ふらつきながらも去ろうとすると


「ま、待ってください!」


 意外にも止められてしまった。

 今日じゃなかったらうれしくて発狂するところなんだけど、あいにくそんなテンションじゃない。


「ああ、このことも、誰にも言わないから。じゃあ」


 必要なことだけボソリと残して再び歩を進めた。


「違う! 違くて、大丈夫ですか??」


 日野が俺の前に回り込んできたので立ち止まざるをえなかった。

 眉毛をぐっと下げて、こっちを見上げている。大丈夫? なにが?


「別に俺は負傷してないけど……」

「なんか顔が青いからっ」


 は? もしかして、心配してくれてる?


「なにかあったんですか? 怪我ですか?? 恐喝? 迷子? お腹痛いんですか!?」


 マシンガンのように質問攻めにされる。


「いや、ちょっと人といろいろあって……」

「そ、そうなんですか、お悩みですか……。神妙な顔だったのでびっくりしましたよ」


 なんで一緒に困った顔をしているんだろう。こいつには関係ないのに。


「いいこと思いつきました!」

「は?」

「ごめんって言って、握手ですよ。そうすればきっと、お友だちとも仲直りです!」


 ビシッと俺の顔へ向けて指をさし、胸を張っている。

 ……ああ。なぐめてくれてるのか。

 全然的を得てないのに、なんでこんな自信満々なんだ。

 その姿がおかしくて、つい吹き出してしまう。

 彼女は不安そうに指を下ろした。


「あはは、ああごめん。ありがとな。なんか少しだけ胸が軽くなったわ」

「ほんと?! 良かったです!」


 いいヤツなんだな。ただの空気読めないヤツだと思ってた。


「しかし、なんか俺たちタイミング悪いよなあ」


 日野は数秒ぽかんとしたあと、クスクスと笑った。


「そですね。私も失態ばかり見せてますし」


 そして、腕に抱えた大きな袋を見つめる。


「生きるって、大変なんですよ」


 笑顔は自然と苦笑に変わっていった。


 その姿を見ていると、なぜかもやもやする。

 パンの耳を袋いっぱいに持つ謎の転校生。

 何でもかんでも首を突っ込むのはよくないことは知ってる。


 でも、この子は関係ない俺を心配してくれたじゃないか。

 面倒ごとを引き受ける理由は十分だろ。


「……あのさ、明日もそれ?」

「はい?」

「お昼」

「あ……」


 腕の中の袋をさらにきつく抱き、彼女は顔を真っ赤にして頷いた。


「……今日会った階段のいちばん上の踊り場で、明日の昼休みに待ってて」

「えっ、あのー?」

「階段でメシ食うとまた誰かに見つかるかもだし暗いだろ。屋上来いよ。そこで食えば見られないから」


 俺と野中がいるけどな。

 つか勝手に決めてしまったが、人助けとして野中には割り切ってもらおう。


「じゃあね。気をつけて」


 日野に背を向け、俺は歩き出した。


「たったかなし、くん!」


 後ろから名前を呼ぶ声がする。


「ありがとうございますっ」


 こんなのただの気まぐれだ。それなのに、なんだか耳がくすぐったい。

 照れ隠しにピースを掲げて、振り返らずに帰路についた。

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