第五話 奴隷解放宣言

リンカーンの奴隷解放宣言は、フランス人権宣言、アメリカ独立宣言と並び、世界の歴史を変えた偉大な宣言であるとされている。


宣言の文面自体は、決して難しいものではない。

難しい単語や構文は一切使われていない。

子どもや外国人ですら、解りやすい文書。

誰でも読みやすくありでありながら、思想的に高邁であり、詩的であり、感動的ですらあった。

この奴隷解放宣言こそ、アメリカ合衆国大統領エイブラハム・リンカーンの最大の功績であるという者も多い。

それ故、この奴隷解放宣言の発表をもって、エイブラハム・リンカーンを最も偉大なアメリカ合衆国大統領と評価する者も少なくない。

それ程の世界史的な評価を受けるのが奴隷解放宣言なのである。


奴隷解放宣言は、まず最初に、全ての人間は平等に造られていると高々と訴える。

アメリカ独立宣言と同じ価値観の下に出された宣言であることを示すのだ。

そして、奴隷解放宣言は、どんな人も、不可侵の権利として、「生命・自由・幸福追求」の権利があると掲げる。

そして、奴隷解放宣言は、これまでの価値観より一歩踏み出し、人は人種、民族、宗教、文化、生まれた身分などによる差別をしてはならないと述べる。

だから、その価値観の下、アメリカ合衆国は全ての奴隷制に反対し、これを根絶する為に戦うと宣言するのである。

それは、美しい文書で書かれた、あらゆる世界の差別、世界への理不尽に対する宣戦布告。

この当時の道徳的に考えて、誰にも否定できない、一点の曇りもない正義の宣言であった。


この奴隷解放宣言は、戦う理由を見つけられなかった多くのアメリカ合衆国国民の心に正義の火を灯した。

これまで、アメリカ合衆国(北軍)には、奴隷を使う南部の大農場主を良く思っていなかった者が結構いた。

それは、北部の工場で働く労働者が持つ、南部の大金持ちの農場主に対する嫉妬であったのかもしれない。

アンクルトムの小屋を読み、奴隷の過酷な運命に同情する人々もいた。

それは、単なる感情論であったのかもしれない。

だが、それでも、多くの人は戦い、殺し合ってまで奴隷を解放しようとまでは思っていなかったのだ。

南部の連中が、独立したいと言うなら、独立させてやれば良いではないか。

南部の野蛮で無学な連中は切り捨てれば良い。

そんな風に思う者も少なくはなかったのだ。


しかし、奴隷解放宣言は、奴隷制を悪であると断罪し、悪を見逃すことも同罪であると断罪する。

過激で純粋な正義の宣言。

奴隷解放宣言を読み、感動した者は、もはや戦いから逃げることはなかったのだ。


この様に、有名な奴隷解放宣言であるが、その発表が変則的だったことを知る人は、あまり多くない。

奴隷解放宣言が最初に発表されたのは、ワシントンの議会での採択でもなければ、リンカーン大統領の演説でもない。

この時、アメリカ合衆国は最大の危機に瀕していた。

大勝利で終わるはずの南北戦争の最初の大規模戦闘に北軍(アメリカ合衆国)が壊滅。

ワシントンを守るべき守備隊が壊滅し、いつ南軍がワシントンに攻め込んで来るか、ワシントンに住む人々が戦々恐々としていた時のことだ。


絶望に沈むワシントンで、奴隷解放宣言はワシントンの新聞各社から一斉に発表されたのだ。

新聞では、議会で発表されるはずのリンカーン大統領の草稿を入手したと述べられている。

議会での議決を経ていれば、どうしても時間が掛かる。

大統領の演説を通して宣言するにしても、この過激な宣戦布告に反対する閣僚がホワイトハウスにいて、調整に時間が掛かる状況であったと言う。

だから、アメリカ合衆国を救う為、各新聞社は、入手した草稿を発表したのであるとしている。

そして、各新聞社の決断は、アメリカ合衆国を大きく動かすこととなる。


奴隷解放宣言が、失いかけていたアメリカ合衆国の人々の戦意に火を付けたのだ。


後の戦況分析によると、この時点において、アメリカ連合国(南軍)は北軍を撃退しただけで疲弊していた。

その為、南軍には実際に、ワシントンを攻めるだけの戦力はなかったとされている。

しかし、この当時、多くの北軍の人々は、ワシントンは陥落目前であると考えていたのだ。

その情勢が、奴隷解放宣言によって一変する。

アメリカ合衆国の多くの人々が、正義の為に戦うことを希望し、兵になることを志願する様になるのである。

ワシントンには志願兵が溢れ、難攻不落の都市が誕生することとなるのである。


そして、この奴隷解放宣言は、驚くべき速さで世界中に拡散される。


まるで、世界中がこの宣言を待ちわびていたかの様に。

大西洋ケーブルも未発達であり、蒸気船による直接の伝達が最も早い伝達手段であったにも関わらず、圧倒的な速さで奴隷解放宣言は文書ごと世界中に拡散されるのだ。

この異常な速さには、後の時代に疑問視する歴史学者も多い。

文書の拡散が早過ぎるのだ。


それ故、アメリカ合衆国が、戦略的に全世界に拡散させようとしていたのではないかという見解も存在する。

だが、この時に、アメリカ合衆国の船が世界中に奴隷解放宣言を配って回ったという事実は確認されていない。

それ故、早過ぎる文書の拡散は、歴史のミステリーとされ、陰謀論と共に様々な説が語られることとなるのである。


しかし、奴隷解放宣言が世界中に拡散されたことは客観的な事実である。

ヨーロッパに、アジアに、植民地各地にまで。

時に、現地の言葉に翻訳され、奴隷解放宣言は拡散されていく。

その拡散速度が異常であることに、当時の人々は気が付くこともなかったのではあるが。

「世界は、この宣言を待っていた」というのが、当時の人々の率直な感想だろう。


この奴隷解放宣言に、一番最初に反応したのは、フランス皇帝ナポレオン三世であった。

ナポレオン三世は、リンカーンの奴隷解放宣言を絶賛する。

奴隷などと言う非人道的制度を廃絶しようとするアメリカ合衆国こそ、フランス人権宣言を引き継ぐ、最も正しい正義の国であると。

そして、もし、アメリカ合衆国が戦力を必要とするのならば、正義の為に、いつでも力を貸そうと述べるのだ。

奴隷制度は野蛮な行為であるというのは、既にヨーロッパで広まり始めていた思想である。

それ故、このナポレオン三世の発言は、フランス国民に広く支持された。

クリミア戦争に敗れ、低下していたナポレオン三世の人気を復活させるのに一役買ったとも言われている。


ナポレオン三世がアメリカ合衆国の支援を宣言すると、次々に追従する国が現れる。


その中に、東洋の神秘の国、日本の姿があった。

世界で最も有名で人気のある王子の一人、日本のプリンス・ケーキ(一橋慶喜)は声明を発表する。

「弱き者を助けようとするアメリカ合衆国リンカーン大統領の姿勢は見事である。

人種、民族、文化、宗教、生まれついての身分から起きる全ての差別に反対する心根に感服した。

我らも、それらの差別を是正する様、努力していきたい」と。


この言葉の通り、封建主義国家と看做されていた日本は徐々に四民平等、選挙制度導入の方向に徐々に動いていくのである。

が、ポイントとなるのは、全ての差別に反対するという言説である。

ヨーロッパでは、リンカーンの奴隷解放宣言は、そのまま奴隷を解放する為の宣言と看做されていた。

しかし、ヨーロッパ以外の世界各地、アジアや植民地各地では、奴隷解放宣言は全ての差別に反対する人種平等宣言と看做され、高い支持を得ていったのである。


この様に、奴隷解放宣言の解釈が地域によって異なるのは、最初に伝わった時点で情報が歪んでいたという者もいれば、願望が事実を歪めたという者もいる。

だが、この人種平等宣言は世界中に広まっていくのが客観的な事実である。

「人は見たい物しか見ない」といカエサルの言葉通りに。


この動きに、最も喜んだのはイギリスに住む無国籍者、カール・マルクスである。


「素晴らしい。実に素晴らしいぞ、この人種平等宣言は」


「人種平等宣言ではない。奴隷解放宣言だよ」


フリードリヒ・エンゲルスはため息混じりに応える。


「同じことだよ。

植民地各地では、この宣言を人種平等宣言であると看做しているというじゃないか。

それならば、人種平等宣言と呼んでも差し支えないはずだ」


「だとしても、この宣言は無駄になるだろう。

大軍を率いて勝てなかった北軍の将軍は無能ばかり。

リンカーンは勝てないよ」


「そうとも限らないさ。

北部と南部では国力が違い過ぎる。

戦争は軍事だけで決まる時代ではなくなってきているんだ。

何より、勝って貰わないと、僕が困る」


「君が?」


「そうさ。

人種平等を巡る、この戦いは、アメリカ南部の資本家を倒すアメリカ北部の労働者の階級闘争に繋がる。

市民革命からプロレタリアート革命へと繋がる。

その為に、リンカーンに負けて貰っては困るのだ。

種は撒かれたんだ。

世界中に革命を広げていかなければ」


マルクスは、この時、最高に上機嫌であった。


マルクスが笑う頃、激怒する男がいた。


「誰だ!一体、誰が、こんなバカな宣言を書いたのだ!」


奴隷解放宣言と言われているエイブラハム・リンカーン大統領、その人である。


「しかし、大統領閣下、奴隷解放宣言は議会でも準備中であったのでは?」


「私たちが、検討していた奴隷解放宣言は、こんな過激な物ではない。

人種平等?全ての奴隷制に反対して戦う?

誰が、そこまで言うのだ」


「ですが、そのおかげで、アメリカ国民の支持率はうなぎ登り。

志願兵が街に溢れる状況です」


アメリカ陸軍総司令官が誇らしげに応えるとリンカーンは声を荒げる。


「奴隷解放宣言は戦意高揚の為の宣言ではない。

戦いは戦意で決まるものではない。

もっと、単純な戦力や国力で決まるものなのだ。

奴隷解放宣言は、あくまでも、イギリスなどのヨーロッパ各国が、この内戦への介入を阻止する為に検討していたもの。

外国を刺激しないようにする為、事務的に南部の奴隷を解放すると宣言するだけで良かったのだ。

それだけで、南部の政情は不安定になるだろう。

奴隷解放を大義とすれば、外国の介入を防げるだろう。

その為の奴隷解放宣言であったはずなのに」


「では、宣言の訂正、取り消しをなさいますか」


「それこそ、出来る訳がない。

もはや、アメリカ国民は、あの宣言を支持している。

そんな中で、私が、あの宣言を撤回したら、どうなるか。

一体、誰が、あんな宣言をばら撒いたのだ」


「調査したところ、何処の新聞社も回答は同じでした。

タイプライターに書かれた宣言文の草稿と、アメリカを守る為に一刻も早く、この宣言を世界に知らせて欲しいとの一文が添えられた手紙がポストに投函されていたと。

そして、その内容に感動し、売れば、絶対に大量に売れると確信して、報道することを決めたと」


この時代に、報道の裏を取るという手法を持つ報道機関は決して多くない。

報道は真実を伝える為にあったのではない。

より多くの新聞を売る為に存在したのだ。

だから、各新聞社には、草稿が配られたという事実を伝え、それが売れれば、それで良いと考える者達ばかりであったのである。


「本当に余計なことをしてくれる。

一体、誰が、こんなことをしたのか」


リンカーンが頭を抱える。


「しかし、あの宣言の正義は否定しようもないものではありませんか。

実際に、フランスを始め、世界各国は我々を支持しております。

その上で、我々が援助を求めない限り、内戦に介入しないとも言っております。

我々に敵対すれば、世界の敵と看做されるような情勢です。

このまま、勝てば、そのまま、我らは世界の指導的立場に立つことが出来るのではありませんか」


「それは最良の場合の結末だ。

だが、果たして、このまま進んでくれるのか」


それから、2か月後、リンカーンの不安は的中する。

今度は南軍、アメリカ連合国から、再び世界を揺るがす宣言がなされることになるのだ。


奴隷人権宣言である。

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