遠い夜明け(改題しました)―戊辰戦争で徳川慶喜が大阪城から逃げなかった結果、最悪の未来を辿った世界を知る何の力もない老人が、黒船来航直後から、幕末の英雄たちと一緒に歴史の再改変に挑みます
第七話 日本国新領土ペトロパブロフスク・カムチャツキー
第七話 日本国新領土ペトロパブロフスク・カムチャツキー
ペトロパブロフスク・カムチャツキーは、カムチャッカ半島にある不凍港である。
緯度は樺太の北部と同じ位。
大きさは約400平方キロメートル。
場所としては、カムチャッカ半島の南太平洋側にあり、山に囲まれている。
その為、陸路で来ることは、ほとんど出来ない陸の孤島であるとも言える。
日本がアラスカ購入の際に、アリューシャン列島と一緒に、追加として譲り受けたのは、この都市なのだ。
この街は、アラスカから、アリューシャン列島を通って、日本まで繋ぐ地域を守る為の海軍基地としての役割を期待されている。
また、この都市は、約3年前、クリミア戦争中、英仏連合軍の攻撃を撃退した都市でもある。
もっとも、海軍力では英仏に敵わず、補給も困難ということから、英仏軍は撃退したものの、ペトロパブロフスク・カムチャツキーはロシア軍自身によって放棄され、ロシア軍基地はアムール川河口に移動されていた。
そのロシア軍のいなくなった無人の街を日本が譲り受けたのである。
1857年秋から、この都市に来ていた人々には、三種類の人々がいた。
その第一は、越冬訓練として来ている人々。
この中には、樺太で越冬を経験した者、ロシア視察に参加した者、アラスカ視察に参加した者も含まれる。
越冬訓練が終われば、この都市に滞在し続ける者もいれば、アラスカに赴任する者もいる。
彼らは、この北の大地を日本が異国から防衛する為の最前線であると考え、赴任を希望したのだ。
当然のことながら、彼らは、ずっと、この北の大地に配属されている訳ではない。
数年すれば、日本に呼び戻され、その功に応じた地位と権限が与えられることになっている。
ただ、最初に赴任する人々には、どの様な困難が待ち受けているかは、解ったものではない。
それ故、第一次越冬隊には、高い評価が与えられることが約束されていたのだ。
その第二は、越冬の為の技術を学びに来ている技術者たち。
この都市は、放棄されていたとは言え、千人近い人々が住み、冬を越していた街でもある。
それ故、日本にはない隙間風の入らない石造りの街、ペチカなどの暖房器具が残っているのだ。
これらの造りを理解し、アラスカで冬を越せる建物を研究をしようと言う訳だ。
その中には、樺太でロシア人と共に越冬した者たちもいる。
これらの人々の内訳は、今までは城の石垣等を積む仕事をしていた石工集団や家を建てる大工が中心。
この当時の日本の土木技術の水準は決して、西欧列強に劣るものではない。
その彼らが嬉々として新しい技術を学び、秋から、幾つもの試作品を作成しているのである。
全ては、アラスカでの金の発掘を容易にする為に。
その準備が進められていた。
そして、この都市に来た最後の人々は、国防計画を策定し、この都市の安全性を確認する為に来た人々。
陸の孤島であると聞いても、それで安心する訳にはいかない。
日本がロシアからカムチャッカ半島で譲り受けたのは、この都市だけなのだから。
カムチャッカ半島の人口のほとんどが、この街に集中しているとは言え、それ以外のカムチャッカ半島の土地はロシア領。
もし、ロシアが日本侵略を目論むなら、この街が最前線になる可能性があると考え、その視察に向かうことにしたのだ。
日の丸が建てられた街で一番大きな建物に入り、ペチカで暖められた部屋に入るとユリシーズ・グラント日本軍陸軍教官は、分厚いコートを脱ぎ、一緒に部屋に戻った村田蔵六に声を掛ける。
「聞いていた通り、ここが陸の孤島であることに間違いなさそうだな」
蔵六もグラント同様、防寒の為、靴を履き、洋装でコートを着ている。
合理的精神の塊である蔵六は、寒いのだからと何の抵抗もなく、洋装に着替えていたのだが、全ての者がすぐに洋装を受け入れた訳ではない。
異人の格好など出来るかと反発する者も少なからずいたのだ。
しかしながら、カムチャッカ半島の寒さは、その様な反発心を挫くには十分過ぎる程の凶暴さであった。
和服や足袋はどちらかと言うと高温多湿の気候に適応した服装であって、防寒着としては、どうしても足りないものなのだ。
それ故、現在、この街に滞在する日本人は陸軍の用意した洋装を纏い、靴を履いて活動している。
「山に囲まれていることが大きいですな。
ロシアと地続きになることから、ロシアの大軍が陸路で攻めてくる危険性を考えておりました。
しかし、山道を通って来るのでは、大軍で来たとしても、狭い山道を通らねばなりません。
となれば、大軍の利点は失われ、兵站が伸びるだけになるかと」
グラントは蔵六の言葉を聞いて頷き、尋ねる。
「では、君がロシアの将軍であったとして、この街を攻めるならば、どうする?」
そう言われて、蔵六は暫く考えてから答える。
「攻めませんな。
大軍で攻められる見込みがあるならば、一気に攻め込んだやもしれませんが、山道を越えても、川や渓谷に囲まれ、陸からでは、この街は攻め難い。
手に入れられる利に比べ、犠牲が大き過ぎるのです。
もし、この都市がロシア所有のままであるなら、日ノ本を攻める拠点とされたやもしれませんが、今は我が国の都市。
うまい取引をしたものであります」
蔵六の答えにグラントは苦笑しながら尋ねる。
「確かに、日本本土を攻める為には、この街に対する攻撃は不要かもしれない。
だが、この都市を海から攻略すれば、アラスカへの連絡を分断出来るのではないか」
「アラスカは、元々ロシアより購入した土地であります。
たとえ、金鉱が発見されたとしても、購入した物を取り返す為に、侵略するのは、あまりにも名分が立たず、他の国の批判を受けやすく、ロシアにとっても割りに合わないことかと。
更に、この街を海軍で攻めようとすれば、陸軍国であるロシアは貧弱な海軍力で我が国の海軍を倒す必要があります。
今、現在、北蝦夷(樺太)に揃いつつある
「だが、この付近で海戦がなされ、アラスカへの補給が途絶えれば、アラスカに送った者たちが飢えるのではないか」
「補給先を日ノ本にしなければ良いのです。
アラスカへの補給はアメリカからにすれば、何の問題もありません。
幸い、アラスカからは金が出ると言います。
ならば、アラスカで出た金で、アメリカから様々な物資を買えば良いのです。
うむ、これは、
アラスカで入手した金でアメリカから物資を買い、その一部を日ノ本に送り、残りをアラスカの都市開発に使うというのは、使える手かもしれませんぞ」
蔵六の言葉にグラントは満足した様に頷く。
「うん、完璧だ。
ロック(蔵六)は間違いなく、名将になれるよ。
果たして、私が教えられることがあるのやら」
グラントがそう言うと蔵六が応える。
「いえ、リズ(ユリシーズの愛称)が聞いてくれるから、気が付くこともあります。
更に、リズがいるから、私は、あなた達、西欧人の常識を知ることが出来るのです。
そういう意味では、あなたが日ノ本を侵略するとしたら、どんな手を取るか、聞いてみたいものであります」
そう言われて、グラントは考える。
「まずは大義名分を作ることからだな。
今の日本は国際的に非常に評判が良い。
そんな日本を侵略しようとすれば、世界中を敵に回すことになりかねないだろう」
「では、どうしますか?」
「この街か、樺太、対馬、あるいはアラスカなどで、日本人による残虐な虐殺があったなどのニュースを流すかな。
現地人を殺したところで、我々のほとんどは、大した問題だとは思わない。
だが、日本人が白人を殺したとなれば、国際世論は黙っていないだろう。
もし、戦争したいなら、罪を犯しそうな者をこの地に送り込み、罪を犯したところで、日本に処罰させるのも一つの手だろうな」
条約では、日本に来た者は日本の法に従わなければならないとしている。
それ故、罪を侵せば、罰せられるのは当然のことだろう。
特に、日本の法は死罪などの厳格なものも多い。
それを利用して、戦争を吹っ掛けられるとすると、さすがに避けようがない。
罪を犯した者を異人だと言うだけで、罪を軽くして、国外追放で済ませれば、今度は日本の攘夷的な考えを持つ者が黙っていないだろう。
ここ数年の交流で単純な攘夷主義者はなりを潜めたが、日本人は長く異国との付き合いを制限し、自分達と異なる者には排他的なのだ。
だが、そんなに簡単に風聞を作れるものだろうか。
蔵六が尋ねる。
「罪を犯した者が裁かれるのは当然のことであります。
そうだとしても、日ノ本の悪い風聞を流すことが可能なのでありますか?」
「それが、謀略と言うものだ。
金を渡せば都合の良い記事を書く記者もいるし、真実だと思い込ませて世論を誘導することも出来る」
「なるほど、それは我が国には決定的に欠ける技術でありますな。
それで、日ノ本を攻撃する大義名分を手に入れたところで、どう攻撃するのでありますか?」
「日本は海に囲まれた島国だ。
それ故、最も大事なのは海軍力となる。
日本に上陸する為には、必ず海を渡らなければならないからな。
その点、一番気を付けるべき海軍国、大英帝国がクリミア戦争に負け、インドでの反乱に手を焼いていることは非常に幸運だったと言える」
クリミア戦争とインド大反乱の裏に、日本の暗躍を知らないグラントは、現在の世界情勢を幸運であったと考える。
蔵六も、一橋慶喜らの謀略で今の情勢が作られていることを知らないので、グラントの言葉に素直に頷く。
「また、大英帝国が、インドなどで実施した方法として、相手の国に貴族性、連邦制など、様々な勢力が存在する状態であるならば、一部の勢力に協力を申し出て、反乱を起こさせ、その勢力に協力して、分断して支配するという方法もある。
しかし、日本は、ここ数年で一気に中央集権化に成功しており、地方軍閥の軍事力低下、国防軍の戦力増強にも成功しているからな。
その方法も難しいだろう」
「では、大英帝国が日本を侵略する可能性は低いと見積もってもよろしいでしょうか?」
「クリミア戦争の結果、バルカン半島がロシアの属国大ブルガリアとして独立したからな。
今後は、ロシアは大ブルガリアの軍備強化、開発に力を入れることになるだろう。
となれば、エーゲ海から出てくるロシア海軍に対抗する為に、大英帝国も対応せざるを得ない。
その上でインド大反乱も収集の見込みもない状況。
とても、アジア侵略に力を入れられる状況ではないだろう」
「では、勝ったロシアはどうでありましょうか?
今回の清国の内乱でも、ロシアは、清国に協力しているという噂がある様でありますが」
アロー戦争が起きていない、現在のこの世界線では、清国は、アヘン戦争では負けたものの、まだアジア最大の強国としての地位を保っている。
だから、後にロシアのアジア侵略の拠点となるウラジオストク(東を支配するという意味のロシア語)も存在しないのだ。
とは言え、ロシアが清国に協力している可能性及び、その報酬として、清国北東部外満州がロシアに譲渡される可能性があることは、蔵六に伝えられている。
それ故、蔵六は清国沿岸にロシアの海軍基地が出来る可能性を考えて尋ねたのである。
「うーん、どうだろうな。
ロシアは産業革命には、まだ十分成功していないと言う。
だから、今回のクリミア戦争の勝ちを利用して、内政を充実させるべき時期であるはずなのだ。
だが、ロシアは皇帝の専制国家。
勝利に酔った皇帝が、更なる領土拡大を目指せば、そのままアジア侵略を続け、日本への侵略を目論む可能性もないことはないと思うが」
「では、ロシアに日本侵略の意思があり、リズが指揮官であった場合、どう致しますか?」
「先ほど言った通り、大義名分を揃えるのが第一条件だ。
その上で、可能ならば、大英帝国を味方に付けたいところだが、栄光ある孤立を標榜する大英帝国を味方に付けることは難しいだろうな。
特に、クリミア戦争に勝ち、大英帝国の国際的地位を低下させてしまったロシアでは。
となると、ロシアは自力で海を渡らざるを得ない。
だが、ロシアは陸軍国家。
海軍力は弱いのだ。
大ブルガリアのエーゲ海海軍を充実させなければならない状況で、アジアにも海軍基地を作る余裕はないと思うのだがな」
「クリミア戦争のロシア勝利が、我らに、非常に都合の良い状況を生み出したということでありますか」
「そうだ。
もし、ロシアが、あのままクリミア戦争に負けていれば、不凍港を求め、ロシアはバルカン半島に投資することもなく、アジアへの侵略を考えたかもしれない。
だが、バルカン半島を手に入れた現在、どうしてもバルカン半島を武装化、開発をせざるを得ないはずだからな」
「それでも、ロシア皇帝が日ノ本侵略を目論むとするならば」
「海軍力が貧弱である以上、なるべく海を渡る距離を短くする必要がある。
アムール川辺りに海軍基地を作り、樺太とロシアが最も近い地点辺りから、大量の兵を樺太に送る必要があるだろうな」
「そして、樺太を南下した後、蝦夷に渡るということでありますか?
しかし、それでは」
蔵六が困った様な顔で反論しようとすると、グラントが片手で蔵六の言葉を止める。
「分かっている。それは、ほとんど不可能だ。
私なら、ロシアの大軍が樺太に渡った時点で、海から攻め、補給を断つ。
そうすれば、我らはロシア軍が持って渡った物資を使い切るまでの間、守り切るだけでロシアの大軍を壊滅させることが出来るのだからな。
逆に、私がロシア側にあるならば、余裕を持って樺太を占領出来るだけの物資を持って、海を渡ろうとするのだろうが」
「もし、大量の兵と共に物資の輸送が予想される様ならば、輸送中のロシア船を攻撃すれば、良いのではありませんか?
また、万が一、ロシア軍の樺太輸送を許してしまった場合、樺太では無理に戦わず、海から樺太のロシア軍を完全に孤立させ、兵糧攻めにしてしまえば良い。
樺太には、大軍を養うだけの兵糧はありませんからな。
結局、日ノ本を攻めるならば、海軍力がなければ、どうしようもないはずなのであります」
樺太に渡ったロシアの大軍が兵糧攻めで壊滅する状況が頭に浮かび、グラントは身震いする。
日本を攻めようとするならば、ナポレオンを敗北させた焦土作戦でロシアが敗北することになるなど、ロシア皇帝は想像も出来ないだろう。
それをナポレオンを知らないはずの、この男の口から当然の数式を割り出すように出されるとは。
目先の戦術的勝利に固執せず、戦略的勝利を十分理解している優秀過ぎる生徒にグラントは改めて戦慄を覚える。
だが、教官を引き受けている以上、油断や慢心はさせない様にするべきだろう。
そう考えて、グラントは頷いて答える。
「その通りだ。
だが、それは日本にも言えることだ。
もし、日本の海軍力を上回る国が日本を攻め、日本の海運を分断した場合、壊滅する地域が少なからずあるはず」
「それ故、我が国は、海軍力の増強に力を入れ、我らは、その補完に努める。
さすれば、日ノ本を異国から守ることが出来るということでありますな」
蔵六の言葉にグラントは頷く。
この時点で、日本が侵略される可能性は低いはずだったのだ。
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