第二十三話 江戸の祭り
圧巻だ。
目の前に広がる光景を見て、マッキーン大佐はそう考える。
視察団の面々は、ハリス特使も含めて、声を合わせて『星条旗』を歌う日本人に感動している様だ。
日本視察を遊覧記にして、新聞で報告すると言っていたサム・クレメンズという若い新聞記者は感動して涙さえ流している。
確かに、感動的な光景ではある。
だが、軍人であるマッキーン大佐から見れば、その印象は大きく変わる。
父島の軍の整列は数百人規模だから、理解出来る。
それが日本の精鋭部隊なのだろうと。
数百人程度なら、アメリカ軍でも実行可能だろう。
ところが、今度は万単位の軍。
それどころか、群衆も含めての一糸乱れぬ行動。
何という統率力、組織力だ。
その上で、彼らの言葉が本当なら、彼らは名誉を大事にし、死を恐れずに最後まで戦うと言う。
そんな奴らとは絶対に戦いたくない。
軍人であるマッキーン大佐は思う。
その上で、父島で見せて貰った日本軍の軍備、ライフル、大砲の形状、ここまで自分達を輸送した蒸気船の性能、それを動かす海軍の能力。
数は解らないが質の上では、我がアメリカに決して劣るものではないではないか。
誰だ、日本にあんな武器を売り渡したのは。
それとも、自力で日本人は、あんな武器まで、製造出来るようになっているのか?
その上で、それ以上の技術は開発中で機密にしていると言うし。
日本の隣国、清国は眠れる獅子と呼ばれているが、日本という国は眠れる
ペリー提督は、何て奴を起こしてしまったんだ。
マッキーン大佐はため息を吐く。
星条旗を群衆が歌い終わると歓声が辺り一面に響き渡る。
歌っていた少女たちが下がると、その後ろに馬車が見える。
屋根のないタイプの馬車だ。
プリンス・ケーキがハリス特使を案内し、一緒に馬車に乗り込む。
「着いて早々、お疲れでしょうが、宿まで江戸の街をパレードして頂きます。
江戸の庶民たちが閣下たちに歓迎の意を示したいようでしてな」
一橋慶喜の言葉を通訳として一緒に乗り込んだ大久保一蔵が訳して伝える。
「構いません。私も、日本の街は早く見たかったので」
ハリスがそう言うと馬車が動き始める。
馬車に乗っているのは、ハリス特使とマッキーン大佐。
それの案内役で一橋慶喜と大久保一蔵が乗り込む。
その後ろには、何台もの馬車が連なって続く。
江戸の街は、何処に行っても整然としていて清潔だ。
先日までいた父島が、外国人を迎え入れる為の特別な街なのかもしれないと思っていた。
勿論、パレードなんだから、スラムなんかは通らないのだろう。
だが、それにしても、何処に行っても整然として美しいのだ。
他のアジアの国との比較だけでない。
我が祖国アメリカどころか、先進ヨーロッパ諸国ですら、こんなことはないかもしれない。
何処に行っても、集まった日本人の群衆が星条旗を振り、歓迎の声を掛けてくれるのがハリスは誇らしかった。
実際のところ、集まった群衆は決して歓迎の気持ち一杯で集まった訳ではない。
日本人というのは、元々好奇心旺盛。野次馬根性一杯の様なのだ。
ペリーが来た時でさえ、港一杯に野次馬が集まったのが江戸っ子だ。
その上で、今回は大名行列の様に、頭を下げる必要はない。
港に来るなら、歌を覚えることが条件とされ、合図があるまで黙っていろと言われただけ。
異人さんを喜ばせる為に、江戸っ子の粋な所を見せてやれと言われ、星条旗が刷られた和紙を付けた旗が配られている。
その上で、普段は頭を下げなければいけない慶喜公も一緒にいると言う。
そんなもの、江戸っ子が見に行かないはずはないだろう。
花魁道中でも見に行く様な気軽な気分で、江戸っ子たちは集まっていた。
何処までも続くパレードの先に、ハリス達、アメリカ人の息を飲ませる様な美しい光景があった。
辺り一面に広がる桜並木。降り注ぐ桜吹雪にアメリカ人たちは声を失った。
その様子を見て、慶喜が言う。
「ハリス閣下、お待ちいただいたのは、こういう理由だったのです。
桜の花は咲き始めてから散るまで数日しかございませんのでな」
慶喜の言葉にハリスは驚き、首を横に振る。
「では、この景色を見るために、父島で我々は待たされたのですか」
「はい。皆さんに喜んで頂く為には、是非、この景色を見て頂きたいとの声がございましてな。
所詮は庶民の浅知恵。ご不快でしたら、申し訳ない」
慶喜がそう言うとハリスは慌てて止める。
「いえいえ、謝罪には及びません。
この様な素晴らしい景色が見られるなら、不平など言うべきではありませんでした。
素晴らしいサプライズです。
しかし、日本人というのは、自然の景色すら、歓迎に利用されるのですね」
「はい。自然を尊び、花鳥風月を愛でるのが日本人です」
「それが日本人なのですね。
伝統と文明が同居しているということですか。
実に、素晴らしい。
この景色は、まるで自分が天国に導かれた様な気持ちにさえなりますよ」
桜吹雪を越え、パレードは進んで行く。
パレードの先に辿り着いた宿は、国防軍の駐屯所の一画に設けられた新築の建物。
総ヒノキ造りのエキゾチックな建物。
彼らの為に、わざわざ建築された建物であるとの説明を受け、再び感動するハリス。
実際のところ、異人を穢れと感じる人間がいるから、新しい建物を一般人から隔離出来る国防軍駐屯所に作られただけなのだが。
この様に、ハリス達日本視察団は、1週間江戸に滞在し、何度も感激させられることになる。
江戸城登城が許可されたのは、ハリスとマッキーン大佐だけで、十三代将軍家定が病の為、慶喜が代理で謁見したのはご愛敬というところではあったが。
その間にも、アメリカ訪問をした井伊直弼らの表敬訪問があり、夜になると、花火が打ち上げられ、7日の間、江戸はまさに祭りと言えるような状況であった。
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新聞記者サムの『日本遊覧記』より
江戸に着いてからは、僕を感激させることばかりだった。
その中でも、僕が一番気に入ったのは、寛永寺という仏教のお寺の庭で開かれた晩餐会かな。
食いしん坊だなんて言わないでくれよ。
日本では、食事でさえ芸術だなんて、僕は夢にも思わなかったんだ。
そもそも、寛永寺の庭というのは、パレードの時に見た桜に囲まれているんだよ。
日本人は花見と言って、桜の花を見ながら、食事をする習慣があるんだってさ。
全く、凄いことを考えるものだよ。
そして、そこで出される食事は日本各地の様々な食材で作られた素晴らしい食事。
最初の乾杯で出されたお酒は、琉球という南の島で作られた
それも、アメリカ合衆国建国の年から熟成させられたお酒だって言うんだ。
乾杯のお酒にそんなお酒を出すなんて、何てことをしてくれるんだろうね。
勿体なくて、中々飲めなかったんだけど、飲んでみると、強いお酒なのに口当たりが良くて本当に美味しいんだよ。
そんな感じで、何処で作った物と由来を説明されながら、食事が出されていく。
日本は文化も豊かなんだよな。
今回の食事で一番気に入ったのは、日本風のオムレツ、井伊宰相の故郷の牛の味噌漬けのステーキ、車海老のフライ(天ぷら)、薩摩のオレンジ(みかん)も美味しかったよ。
ああ、思い出すだけでお腹がなりそうだよ。
それが、花吹雪舞う美しい景色の中で、エキゾチックな数百年前に建てられた建物のある庭で、食べられるんだよ。
なんて、素晴らしいんだろう。
日本には、他にも美味しい物は沢山あると伝えてくれる。
だけど、日本人は新鮮な物を食べるのが一番と考えているみたいで、現地に行くのを楽しみにしてくれと言われたんだ。
これから、僕たちは日本中の色々な都市を廻り、色々な工芸品を見せて貰えるらしく、本当に楽しみで仕方ないよ。
日本の素晴らしさを、皆に伝えたいもんだよ。
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アメリカ帰国後、新聞記者サムのこの願いは、彼の希望以上に、叶うことになる。
出版された彼の『日本遊覧記』はアメリカのみならず、ヨーロッパでもベストセラーとなり、第二次日本ブームの切っ掛けとなるのだ。
そして、その出版を切っ掛けに、サミュエル・クレメンズは新聞記者を辞め、作家として独立することになる。
彼のペンネームは、マーク・トウェイン。
トム・ソーヤの冒険、ハックルベリー・フィンの冒険の作者となる男である。
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