第二十二話 日本という国の進歩

実に、清潔で、規律正しく、美しい。

それが、父島に上陸してアルフォンス・ド・ロチルドが最初に得た日本の印象だった。


アルフォンスは、慶喜にアラスカ購入資金を貸したロチルド家(ロスチャイルド家)の次期党首。

アルフォンスの父、ロチルド家の現当主であるジェームス・ロチルド男爵は慶喜との交渉の末、英仏露を対立させ消耗させるという日本の策に協力することを決めた。

それは、資金を返せなければアラスカを担保として取れるということや、英仏露を互いに消耗させればロチルド家がそれぞれの政府により深く食い込めると見込んだということが理由となっている。


だが、資金を提供した日本という国の実像を知らずに、日本とその後も付き合うことを決めるほど、ロチルド家は甘い存在ではない。

目先の利益は確保出来ると判断したから資金提供はしたが、長期的に日本とどういう関係を築くかは実際の日本を見てから判断すると決めていたのだ。

まず、日本人が他の欧米人よりも、反ユダヤ主義的思想を持たないということは長所と言える。

だが、日本という国が国家として安定性と信用性があるかと考えれば話は別だ。


今のところ、日本はロシアからアラスカを購入して、ロシアに大量の資金を渡しておきながら、英仏に敵視されていない。

なかなか、見事な外交手腕であるし、プリンス・ケーキとその側近が切れ者であることは間違いないだろう。

しかし、切れ者が権力争いに負け、愚か者が権力を握るなど、歴史上、決して珍しい話ではないのだ。

だから、日本の本当の姿を知る必要があった。

プリンス・ケーキが権力争いに敗れた場合でも、日本という国は正しい判断が出来る国なのか。

日本という国自体が実際には、どんな国家なのか。

プリンス・ケーキの提案したユダヤ人国家の協力者として信用出来る国なのか。

ユダヤ人国家の協力者になりうる国であるとしても、欧米列強の侵略に対抗出来る国であるのか。


もし、日本が信用に値せず、欧米列強に蹂躙されることが間違いない国であれば、逆に日本を利用し、搾取することさえ考えている。

その程度の判断が出来なければ、反ユダヤ主義のあるヨーロッパにおいて、財閥など築くことさえ出来ないのだ。


日本という国については、運よく日本に着く前にも情報収集をすることが出来た。

それは、アルフォンスを日本に連れて行った日本人からの情報だけではない。

日本人と付き合いのあるオランダ人からも話が聞けたし、何より同じ船に高名な日本の専門家、シーボルトも同乗していたのだ。

シーボルトによると、日本の一部に外国人嫌いの勢力が存在するが、概ね道徳心が高く、礼儀正しく、親切であるとのことである。

もっとも、代わりに、日本の政府は頑固で融通が利かないと愚痴も溢していたのだが。

それでも、シーボルト自身は日本が好きなのだろう。

その辺は、シーボルトが、まだ子供の長男まで連れて一緒に日本に向かっている点にも現れている。

それ故、シーボルトの日本評が鵜のみにしてはいけないとアルフォンスは考えていた。


そして、アルフォンスは、プリンス・ケーキらと共に、日本の蒸気船に乗り、アフリカからアジアを廻り、まずは対馬という島、そして父島にやってきたのだが、そこで見た光景は、聞いていた通り、日本が世界でも稀な存在であると確信させるものであった。

アジアも、アフリカも、白人の住まない地域は混沌そのものであった。

薄汚れた、秩序のない群衆。

街全体が汚れており、スリ、物乞いなども多いから、治安が悪く、気を抜く暇もない。

それに比べて、日本という国の何と清潔で、礼儀正しいことだ。

シーボルトが言う様に、窃盗はなく、世界中で最も多くの人が旅行する国というのも本当なのかもしれない。


対馬では移動区域が限られており、地域住民と話す機会が与えられなかったのだが、ここ父島では江戸に行くまでの間は、自由に見学して良いと言われている。

それ故、アルフォンスは、日本の接待を受けるアメリカの視察団と離れて、父島を廻ることにしていた。


アルフォンスが、最初に訪問したのは造船所である。

まず、日本の工業力がどれくらいの物であるか見ておこうと考えたのだ。

残念ながら、アルフォンス自身は銀行家であり、工業に関する専門知識はない。

だが、武器などの工業製品を見たことはあるし、現場の人間に話を聞くことにより、大体の状況は理解出来ると考えていたのだ。


アルフォンスが造船所に近づくと、造船所が3ブロックに分かれているのが解る。

第一ブロックは軍艦のドック。

軍艦を支え、船の本体を作り、あるいは修理をしているようだ。

ここで、アルフォンスが驚いたのは、この軍艦ドックにいるのが日本人ばかりなこと。

造船について指示を出している白人すら姿が見えないのだ。

暫く待って、やっと通りかかったオランダ人の海軍士官に聞いたところによると、造船の技術について、日本の船大工たちは既に指導が必要ないほどのレベルに達しているとのこと。

数年前、西洋帆船の作り方を学んだ船大工たちの中には、ロシア語、オランダ語、英語などを学んだ者もいるらしい。

だが、僅か数年で、西洋の造船技術を習得している船大工が増えてきて、今では日本語で造船技術を学べる様になってしまった。

それで、造船に関して、アメリカ人やオランダ人から指導を受ける必要がなくなり、外国語を学ぶ者はほとんどいなくなってしまったようなのだ。

西洋の造船技術の基礎を学び、理解し、応用することが出来るようになるならば、確かにそんなことも可能だろう。

だが、たった数年で日本人がそんなレベルに到達するとは、アルフォンスは驚きを隠せなかった。


次に訪ねた第二ブロックは鉄工所。

そこには、反射炉の他に、見慣れない形の溶鉱炉が隣接しており、そこで、出来上がった鉄鋼で蒸気機関、鉄砲、大砲などを作成しているようだ。

そして、この場にいるのも日本人ばかりだ。

また、オランダ人が来るのを待たなければならないかとアルフォンスが考えていると、作業を監督しているらしい目の大きな日本人の少年が英語で声を掛けてくる。


「こんにちは、何かお困りですか?」


「英語が解るのですか?」


「ええ、大丈夫ですよ」


「それは助かります。

軍艦ドックでも、日本人しかいないようなので、英語が解る人がいないのかと思っていたのですが、あちらにも英語が解る方がいたのでしょうか?」


「いえ、あちらは造船の修理をする者が中心で残っているだけなので、英語を話せる者はいないかもしれません」


「残っていると言うと?」


「ここは狭い島ですからね。大規模な造船も武器の製造も難しいのです。

だから、今、ここでは技術の開発が中心に行われ、多くの職人はもっと広い所に移動し、そこで製造作業をして貰っているんですよ。

去年位までなら、ドックに異国の言葉が解る者もいたのですが。

今、このドックに残っているのは今ある船の整備・修理する船大工だけ。

異国の言葉が解る船大工は隣の開発ドックにならいると思いますが」


それを聞いてアルフォンスは頷く。

つまり、この国は、この島で工業技術を研究し、何処かで大量生産を始めているということか。

その規模はここでは確認のしようはないが、技術水準ならば確認出来るだろう。


「なるほど、ここでは、この国の最先端技術が開発されているという事なのですね」


そう言って、アルフォンスが辺りを見渡すと目の前の少年が否定する。


「いえいえ、ここでしているのは最先端技術の開発とは言えませんよ。

今ある技術の改良の研究と言ったところでしょうか?

蒸気機関の出力をどうやって上げるのか。

鉄砲や大砲をどれだけ遠くまで、正確に飛ばすのか。

飛ばした砲弾をどれだけ爆発させるのか。

そう言った研究です。

私の英語通じているでしょうか?」


「大丈夫ですよ。仰ることはわかります。

しかし、今仰ったような技術は十分に最先端技術に値すると思うのですが、あなた方はそれ以上の技術を開発しているということですか?」


アルフォンスは少し信じられない様な思いで、辺りを見渡す。

彼は銀行家であっても、ある程度の武器の知識程度なら持っている。

アジアには青銅製の武器しかないと聞いていたが、ここにあるのは、見た所、恐らく鋼鉄製に見える。

それは、日本の武器の性能が一定水準以上に達している証拠。

鋼鉄の武器ならば、火薬の量を増やしても暴発しないので、遠くまで弾を飛ばせる。

その上で、ここにある鉄砲や大砲の内側には、ライフリングが施されているようなのだ。

とすると、研究しているのは、ライフリングの数や種類だろうか。

砲弾の火薬の比率を変えて、爆発率の研究をしているのだろうか。

そんな研究をしているとするなら、日本の軍事技術のレベルは、アルフォンスが知っているヨーロッパの先進国の武器と変わらないではないか。


「とすると、あなた方は、ここにある以上の武器を開発しているというのですか?

一体、どこで、どんな武器を開発されているのでしょうか?」


アルフォンスが尋ねると、少年は苦笑して応える。


「開発は、この隣の第三ブロックで行っています。

ですが、そこは関係者以外立ち入り禁止。

何を開発しているかも国家機密なので、お教え出来ません」


そう言われてアルフォンスは苦笑する。


「確かに、そんな重要機密なら、外国人に話す訳にはいきませんな。

ですが、そんな技術開発も、日本人だけでやっている訳ではないのでしょう」


「ええ、あなたの国、アメリカから、技術者の方を招聘して開発に協力して貰っていますよ。

資金援助をした上で、開発に成功した技術は、我が国が独占する約束をした上でね」


それを聞いてアルフォンスは納得する。

なるほど、資金のない研究者に資金提供をして、開発をさせているのか。

それならば、喜んで日本に協力する技術者がいてもおかしくはない。

もし、日本が本当に有能な技術者を見つけることが出来るなら、一気に技術レベルを上げることが出来るだろう。

いや、既に成功しつつあるのか。

だが、それでも、疑問に感じた点があったので、アルフォンスは尋ねることにする。


「なるほど。しかし、それなら、何故、こんなに国境近くで技術開発をされるのですか?

技術開発をするなら、もっと、国内奥深くで開発した方が良いのではありませんか?」


そう言われると少年は、少し考えてから答える。


「理由は幾つかありますが、最大の理由は、国境付近なら、資源、先端技術の器具を手に入れやすいからでしょうか。

鉄鉱石や石炭は、我が国では、まだ十分に産出されていません。

ライフリングの為の器具も、今は我が国でも作れるようになりましたが、作れない内は、輸入する方が早かった。

だから、技術開発は国境近くでやるのですよ」


アルフォンスは、そう答える少年の様子に、何処か隠しているような雰囲気を感じる。

シーボルトから、日本人の中に外国人嫌いがいると聞いている。

その言葉が本当ならば、外国人を国内に入れたくないというのが本音なのかもしれない。

だが、外国人技術者を日本に招きたい人々から見れば、外国人嫌いが日本にいるなど知られたくない情報。

それが、この少年の言葉に現れている以上、彼に幾ら聞いたところで、本当のことは話してくれないだろう。

そう考えたアルフォンスは、説明してくれた少年、江川英敏(江川英龍の三男、現江川家の当主)に礼を言うと、島の他の部分を廻ることにする。


それから、半月の間、アルフォンスは父島の様々な人々と交流することになる。

日本海軍操練所の教官をやっているオランダ海軍、もともと父島に住んでいたアメリカなどの開拓民らとの交流した上で、日本に対する理解を進め、日本本土に向かうのである。


*****************


新聞記者サムの『日本遊覧記』より


島に残って半月過ぎても、どういう訳か僕たちは、暫く待たされたんだ。

そのことで、ハリス団長は幕府に文句を言っていたみたいだ。

島の環境は快適だったんで、僕も、他のアメリカ人も特に不満はなかったんだけどね。


3月頃、準備が済んだという連絡が来て、アメリカの日本視察団は日本の用意した船に乗り込み、日本本土に向かうことになる。

日本人の操船技術は、海軍のお偉いさんに聞いても、立派なものだったらしいよ。

船に乗って、日本の首都江戸という街に近づくと、まず、その大きさに驚かされたんだ。

別に高い建物がある訳じゃないんだけどね。

見渡す限り地平線の果てまで、家が並んでいるんだ。

アメリカにだって、こんな大勢が住んでいる街はどこにもないぜ。


船が港に入っていくと、ビックリする位の人数の兵隊が並んで待ち構えていたんだ。

父島では海軍の数百人単位だったけど、今度は数万人はいるんじゃないかな。

それだけの数の兵が物音一つ立てずに整列しているんだ。

いや、それだけじゃないな。

港をグルっと兵隊が囲んでいて、その外に見物人が鈴なりにいる感じ。

でも、それでも、物音一つしないんだぜ。

日本の船に乗っているから礼砲も鳴らないし、結構緊張があったんだよ。


僕ら、視察団が全員、船を降りて、整列すると、日本軍は一斉に動き出す。

一糸乱れずというのは、こういうのを言うんだろうな。

父島では数百人単位だったけど、今度は数万人が綺麗に動き出すんだ。

もう、それだけで、ビックリだよ。


整列していた日本の兵が真っ二つに分かれると、その先に、数人の日本の少女の姿が見える。

アジア人らしい、真っすぐな輝く黒髪を持つ少女たち。

思いがけない光景に驚いていると、静寂の中に、聞いたことのない弦楽器(三味線と後で聞いたんだ。弦をバチというピックで弾いて曲を弾く日本の楽器)の音が響き渡る。


曲は『星条旗』。僕の大好きな歌だ。


僕は、全身に鳥肌が立つのを感じたよ。

だって、想像しないじゃないか、こんなところで、アメリカの歌を聞けるだなんて。

三味線が最初の節を弾き終わると、次に、前に立つ少女たちが、改めて『星条旗』を歌いだす。

静寂の中だから、驚くほど、声が響き渡るんだ。

そして、少女たちが歌の最初の節を歌い終わると、一斉に星条旗が日本の兵隊、群衆の中から上がり、日本兵も、群衆も声を合わせて『星条旗』を歌い始めたんだ。


この感動を何て言葉で現わせば良いんだろう。

日本の友人たちは、僕らを出迎える為に、どれだけ練習をしたんだろう。

僕らを歓迎したいという気持ちが手に触れらるように明確に感じられたんだ。


日本という国は、僕たちアメリカとは全く違う文化を持つという。


だけど、僕は、この瞬間、日本視察が素晴らしいことになると確信したんだ。

  • Twitterで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます

新規登録で充実の読書を

マイページ
読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
フォローしたユーザーの活動を追える
通知
小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
閲覧履歴
以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
新規ユーザー登録無料

アカウントをお持ちの方はログイン

カクヨムで可能な読書体験をくわしく知る